第10話

「正一さんは男の子を望んでいたのではないの?後継ぎを生まないとダメじゃない。全く・・・やっと懐妊したと思ったらとんだ間違いをしてしまったのね」


お産祝いを持って来た幸恵はそんな言葉を芳江に浴びせていた。

相変わらずの口調に、そういえば義姉はこういう訳の分からないことをよく言う人だったと思いだす。


芳江はそんな理不尽なと思いつつも適当に返事をした。

そもそも性別なんて選べないじゃないなんて正論をかましても、よくわからない理屈を返してくるだけで水掛け論になってしまうのだ。


「正一さんは女の子でも喜んでいるわ。肌身離さず抱いてくれるもの」


それは本当のことだった。

夜中に泣いたときなどは、寝不足になろうとも代わりに面倒を見てくれる時もある。


正一が街で仕事をしている昼間は、正則や守也が交代にその役を担ってくれるのだ。



今も正一が幸恵の夫である麻井みのると話をしながら胡坐の中にいれ、揺り籠のようにユラユラと揺らしていた。



そんな光景が幸恵には気に障る。

自分にはこんなにも協力的になってくれた人は誰一人いなかったのだ。


気まぐれのように訪問してくるみのるの母でさえも、子供が泣きだせば「寝かせなさい」と言うだけで子供を突っ返して急いで帰っていった。



自分は夫にも協力してもらえず閉鎖的な環境だったというのに、どうして貧乏一家に嫁いだはずの芳江はこうもいい思いをしているのか。

そんなことが気に障って、今すぐにでも帰りたい気分だった。


でも、夫はここで仕事の話があるらしかった。

ついにこのおんぼろの家を壊し、新築で家を建てるというのだ。


そんな金がどこにあるのか?

幸恵は呆れるばかりだが、夫のみのるは話の折が付かないのか、いつまでたっても帰れそうにない。


普段は言いなりな夫でも”仕事だから”と言われれば反論できなくなるのだ。

「マンママンマァ!」


それに追い打ちかけるように息子はこの場所に飽きてしまったのか泣きぐずる。

最近は特に自分から離れようとせず、負担が増えるばかりだった。


「芳江さん!ああ、いだいだ、カレイを煮たから、鍋に入れ替えてくね?あと、漬物も漬かったから土間に置いといたよ」

「ありがとうございます!ご迷惑をおかけしました!」

「いやいや、なんもだってぇ。秋にでっかい秋鮭貰ったもの~。こっちこそありがとうね」





家の中の人ばかりではなく、近所の人にまで芳江は慕われていた。

芳江の人柄が良く、気が利く働き者だからだ。

こうやって近所の人たちが助けてくれるのも、彼女を認めてくれた証であると同時に信頼の絆が芽生えた結果なのである。


だが、幸恵はそこまでの考えに至ることも出来なければ、想像することもできなかった。


ただ単に、自分より見た目が”少し”良いだけで、ここでもこの子ばかりがチヤホヤとされている。

そんな風に見えてしまうだけなのだ。


人が良いとか、働き者だからとか、誰もが嫌がりそうなことも率先してやる人だからとか。

そんな理由で芳江を認めたくはなかった。


父親を奪った女の子供のくせにと、いつまでもそんな恨みが消えないのだ。

同じ旅館に居た頃のように重い気持ちが幸恵の中で溜まっていき、心が鉛のように重くなる。


この空間にいるのはもう限界だった。



「じゃあ、これで手付金は大丈夫でしょう。あとは月々の支払いをうちの銀行とそちらの漁組と二口にすれば少額になって審査も通りやすいから、大丈夫でしょう」


やっと話が終わったようだった。

幸恵はこれで帰れると思ったのに今度は芳江のほうにすり寄るみのる。


また重いため息が出てきてしまう。

目の前で泣いてぐずる自分の息子が見えないのだろうか?



「やあやあ、話が長くなってすまなかったね芳江さん。産後の肥立ちはどうだい?」

「ええ、もう20日は経ちますので身体も戻ってきました。もうそろそろ家事仕事に戻ろうかと思ってるんです」

「ああ、だめだ、芳江。無理すると長引くからちゃんと休め。俺たちが足りねえとこをちゃんとやるがら」



正則や守也も同じことを言ってくれて、芳江は安心したように微笑む。

でも、その隣で幸恵はまたもや面白くない顔をしていた。




「私にはあんな風に構ってくれる人なんていなかったわ」

自家用車に乗った幸恵は運転する夫に向かって愚痴をこぼしていた。


「しょうがないじゃないか、剛は君にしか懐かないのだから」

剛は生まれた時から人見知りが激しく、他の人に抱かれようものなら母ではないと文句をつけるように泣き叫ぶ。


父親であるみのるでさえもそうなるのだ。

そうとなれば、懐かないわが子に出来る事は何一つない。


「それでも、何か手伝ってくれても良かったじゃない。お母さんだって忙しいからって来てくれなかったし、貴方のお母さまも泣きだせばそそくさと帰ってしまうし…」


また始まったとみのるは溜め息をつく。

最近は幸恵からこの手の愚痴ばかり聞かされて気持ちが滅入っていたのだ。


こんなにしつこく責められるのならば、あの頃もう少し気遣ってやればよかったと思うが、時間が過去に戻ることはない。


もう手遅れなのだ。

更に言えば、幸恵は出産してから一度も体を許してくれず、笑いかけてもくれない。



そんな様子だから、どうしてもさっき会ったばかりの芳江と比べてしまう。

産後の女というのは個人差はあれど、どれも幸恵のように気分が不安定になるものだと思っていた。


だが、芳江は幸恵とは違い、とても穏やかな表情をして幸せそうに微笑んでいたのだ。


同じ姉妹だというのに母親が違うだけでこんなにも性格に差があるものなのか…。




みのるはなおも続く幸恵の愚痴を聞きながら適当に相槌を打ち、頭の中では妻と芳江の違いを次々と見出していた。




正一と芳江は、表面的いい夫婦に見える。

でも、どちらも外面そとづらがいいという事実もある。

本当に心の中で思っていることを隠す傾向にあるのだ。


二人とも心の奥底で思っていることは表面上に出すことはなかった。



哀れな夫は自分の妻にかつての面影をかさね、健気な女は夢の中の出来事だと自分に制御をかけて我慢をする。


お互いに頑張っていてもその少しのズレは表面上に出てきて亀裂を作り始め、大きく変化する時を待ち構えていた。

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