第6話 破壊

私はどんどん壊れていった。


食事も睡眠もろくに出来ず、心は疲弊していったし、時々パニックになって泣き叫ぶことも増えた。


過呼吸にもなった。


妊娠8ヶ月、体重は5キロ落ち、妊娠前の体重とほぼ変わらないまでになってしまった。


泣いて癇癪を起こして、でもふと我にかえり、何やってんだろうという気持ちにもなった。

夫の洗濯物をしないと、夕飯作らないと、そんな気持ちにもなった。


リビングテーブルの上に乗っかっている物を思いっきり落としたり、リモコンを何度も叩きつけたりもしたし、飾ってある夫との写真を見て何度も泣いた。


泣いても、泣いても、変わらない現実が悔しくて、どうしたらいいのかも分からなくて、とにかく自分が壊れていくことだけを実感していた。


仕事終わりに、相手の家の付近まで車を走らせたこともあった。

会いにいく勇気なんてないのに、どんな道を夫と通ったのだろう、どんな会話をして、どんな顔で、いつも私が乗っていた助手席に相手を乗せて車を走らせていたのだろう。


その時私のことは頭に1ミリもなかったのかな。


少しは思い出してくれていたのかな。


私に怪しまれないように帰らなきゃいけない時間になったら、相手とどんな会話で別れたのかな。


次会う約束をして別れたのかな。


別れた帰りの車の中も、ありがとうと送り合っていたのかな。


それでも別れた寂しさを埋めるために電話していたのかな。


向き合いたくない現実と嫌な妄想が頭を何度も巡った。

出口の見えないトンネルが、こんなにも暗くて怖くて、虚しくて、そして恐怖なのだと実感した。


それでも夫の帰宅を待たねば、と、明るくいつも通り接しなければ、と私は普段の、今までの私を偽った。


食事を作り、おかえりと笑顔で声をかけ、LINEも明るく返した。

毎日『今日もありがとう』と伝えた。


少しでも、いつもの大好きだったあの家に戻って欲しくて。

夫の帰宅時間間近になると、自然と笑えたし落ち着けたし、頑張らないとと心の底から思えた。


夫には相手と切ってもらった。

別れのメッセージも送ってもらった。


あれは遊びだったと、子どもが生まれるから家庭を大事にすると、もう連絡しないでほしいとメッセージを送ってもらった。


しかし、相手からの返信はない。その場で相手の連絡先を消した夫だったけど、正直その時だけの安堵で、私の心には本当に切れたの?本当は連絡とってるんじゃないの?そんな気持ちですぐにいっぱいになった。


そっからというもの、夫から笑顔が消えた。何に対しても無気力な夫になった。

そんな夫を見てると、余計に私の心は不安になっていった。なんで?相手と切ったから?相手と会いたいの?どこからか聞こえてくる言葉にならない声と、自信をなくしている自分がいることを私は感じていた。


笑顔のなくなった夫だったけど、私へのLINEはこまめにしてくれた。今から職場でる、何分くらいで着く、今これをしているから終わったら出られる、今この辺りを走ってるよ。こまかく、LINEを入れてくれた。安心させてくれようとしてくれているのだと思い嬉しかった。 


でも、笑顔はない。抱きしめてくれることも、おやすみ前のキスも行ってきますのキスも、私が不倫の事実を突き止めてから1度もなくなった。夫が私への愛をくれるのは、LINEのこまかいやり取り、ただそれだけになった。


それでも、私は居心地の良い環境を作ろうと必死だった。


『今日仕事どうだった?』

『お昼は何食べたの?』


日常的な会話しか聞くことができなかったけど、笑顔で夫が話しやすいように、聞く姿勢を大切にしながら、私はこんなことがあってね、と夫との時間を向き合った。


今日はどんな顔で帰ってくるかな、どんな話を聞かせてくれるかな、どんな1日だったのかな、今まで当たり前に過ごしていた日常や会話がどれだけ大切なものなのかをここでもまた実感した。


時々、私からハグをせがんだ。


『ぎゅってして』と。


夫は何も言わずに抱きしめてくれたけど、それに強さはなく、ソフトなハグ。


夫から

『ごめんね』

と聞きたい。


『好きだよ』

と聞きたい。


そんな言葉を聞くことなんて出来ないのに、うっすらと感じる大好きな夫の胸に顔を埋めると涙が溢れそうになった。


愛し合うことが今は無理なのだと思っても、私はマタニティ用の下着ではなく、通常の下着を身につけた。メイクも念入りにしたし、スキンケアだって今まで以上に時間を費やした。


少しでも、私を見て欲しくて、無駄とも言われるような行動をして自分の心を押し殺して、愛されたい一心で女になろうと努力した。



どこにも吐き出せず、どこにも言えず、ただ1人で自分の気持ちとたたかっていたけど、限界がきた。


ネットで何度も【夫、不倫】【再構築するには】【無料相談】【カウンセラー】・・・と検索をした。


同じような境遇の人のリアルがネット上には書き込まれていて、再構築成功!とかもあれば、結局離婚になったというケースも多かった。


不倫のフラッシュバックに悩まされている人の話やいまだに不倫相手と会っているという類の話もあったし、夫の愛が復活したという話も多くあった。


こうなればいいな、こうなったら嫌だから読むのやめよう、などと、自分に都合の良いエピソードしか読む気にはなれなかったけれど、世の中に同じように悩んでいる人がいるのだと感じることが出来て、どこか救われたような気持ちになった。


そして私の話も誰かに聞いて欲しくなった。1人で抱えきれなくなって、他の人の意見が聞きたくなった。


そこで見つけたのが【不倫問題、無料相談電話】。


本当に無料なのか、本当に話してもいいのだろうか、こんなこと電話する人いるのだろうか、様々な疑問が浮かんだけれど、私は仕事の合間に電話をかけた。


今まで電話番号を押せずにいたのに、その迷いはいつの間にかなくなっていた。


誰か助けて、


私の精一杯のSOSだった。


相談に乗ってくれた方は、過去に妻に不倫をされた経験がある年配の男性だった。


探偵を雇った話、相手に直談判しに行き慰謝料を請求し、妻と別れさせた話、妻には直接不倫の事実を突き付けた訳ではないけれど、不倫相手と切らせることに成功した話を聞いた。


今の私の状況を伝えると、やっぱり相手と完全に切らせるしか方法はないと言われた。


どうしたらいいかも聞いたし、探偵の選び方も聞いた。


話を聞き終えた時、私は絶対相手と切らせてやる、制裁を加えてやる、という復讐心のやる気に満ちていた。


涙なんて出なくなったし、絶対相手に直談判してやるという気持ちにもなって強気でいた。


人に聞いてもらうことで、心も軽くなり、それがまた私の心の奥底にあった相手への悔しさに火をつけたのだと思う。


しかし、その燃えた炎は一瞬で消えた。


実際に探偵を調べていく中で1番の悩ましい部分は、やはりコスト面だった。安い金額ではない。


でも戦う中で証拠集めは必須なものだとも理解していた。

あとは、やっぱりそれに費やす時間を作るためには私も我慢が必要だということだ。


もちろん1日で全ての情報やより効果な証拠が集まるとは限らない。


ましてや、夫はもう不倫相手とは会っていないとどこかで信じていたから、もし会っていたら?そんなことが頭をよぎり、どうしても踏み出せなかった。


幸いなことなのかは分からないが、正直相手のことはいくらでも調べることは可能だった。


伝手はあったし、探ることは簡単なことのような気もした。

私の中の消えた炎が再加熱したのは、2度目のカウンセラーとの話の時だった。


もし直談判をするのであれば、法的な証拠が必要となるため、自分で探って調べたことも必要ではあるが、もしかしたらそれだけでは立場が弱くなってしまう可能性がある、とのこと。 


私は夫との話し合いの中で相手から慰謝料を取らないという約束の元、別れのメッセージを送ってもらっていたのもあったし、どうしても慰謝料を取る選択肢を選べなかった。


これが仮に夫に伝わって、夫と取り返しのつかないことになったらどうしようと恐怖を感じたのだ。


しかし、慰謝料を取らないのであれば誓約書を書かせて金で縛りをつけるのはどうかと提案された。


それなら私にも出来そう、


そんな安易な考えから一瞬で炎は再加熱したのだ。またしても私は強気になった。


相手に制裁を加えることで、どこかスッキリするかもしれないと思ったのだ。


それからまた2度程カウンセラーと話をする時間を作った。


でも、その時の私の感情は不安定、再加熱した炎は燃えたと思ったら消え、不安定になり、また燃えたと思ったら消えを繰り返し、カウンセラーの男性はひどく頭を抱えたに違いない。


その日によって私の気持ちはひどく偏りがあり、波もあり、自分がまずどうしたいか、の根本的な所が定まっていなかったからだ。


妊娠後期になり、大事な時期だし行動を起こすのは正直生まれてからでも遅くないとも言われた。


でも、今どうにか動かないと自分でもおかしくなりそうなほど、私の心は乱れていたのだ。


結局、自分で調べられることは調べることにし、よく検討し、また何かあったらカウンセラーに電話をかけることにした。


こうして、私の再構築に向けての強い気持ちは一度は芽生えたものの、いとも簡単になくなり、また私は自分の弱い気持ちとたたかうことになったのだ。


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