雪景色に魅せられて

シオン

雪景色に魅せられて

 テレビの中の雪景色は幻想的で、都心で生きる僕にとっては遠い世界だった。

 都心でも雪は降るけれど、膝まで浸かるくらい降ることはまずないし東北や北海道みたいな綺麗な白色ではない。

 泥が混じった汚い色をしているので、特別雪が良いと思ったことはなかった。

 しかし、テレビの中の雪景色はすべてが真っ白で、遭難してもいいからこんな雪にまみれて過ごしたいと思うようになった。

 そんな僕が東北の岩手へ行く機会が生まれたのは、18歳の春だった。


 大学に合格した僕はその修学先である岩手へ住居を移した。

 岩手の盛岡のアパートを借りて必要最低限の日用品とスマホとタブレットだけ持ってきた。自炊はするつもりだが、物はあまり置きたくなかった。

 岩手の大学へ入学する数日前から盛岡の町を散策していた。都心と違って盛岡駅前は閑散としていて、都心の賑わいを知っている身からしたらそれは驚きと寂しさを感じた。

 しかしその寂しさは悪いものではなく、むしろ様々な服装や人種入り交じる都心に比べて盛岡は普通の人たちばかりで静かで僕は居心地の良さを感じていた。

 3月だからか道の端にはまだ雪が残っていた。

 少ないが、それでも都心に比べたら3月のわりにそこそこの雪の量が残っていて、この時期にこれなら真冬はどれだけ降るのか期待していた。

 それから大学に入学し、春から夏へ、夏から秋へ季節は巡り、とうとう冬になった。

 そろそろ雪が降る。そう期待した。

 しかし僕は舐めていた。

 雪国の寒さを。その極寒を。


「さっむっ」

 僕はダッフルコートに身を包んで凍えていた。

 刺すような冷気に身体が震える。さっき買ったホットコーヒーが数分で冷めてしまった。

 ダッフルコートの下にはベストとトレーナー、ヒートテックを着込んで寒さをしのぐ。

 Gパンの下にもタイツを履いて完全に防寒仕様となっていた。

 都心ではここまで寒さ対策をしていなかった。もっと薄着でもよかったくらいだ、

 まさか岩手がここまで寒いと思わず気温がマイナスを下回った頃に持ってきた冬服では寒さはしのげないと悟り、急いで某服屋で必要なものを買った。

 テレビの中の雪景色はあんなに綺麗だと思ったが、実際に現地に行ってみれば綺麗だけではない。

 寒くてとてもじゃないが景色を楽しめる余裕はない。

 盛岡駅でも風が吹き込んでいて、外にいれば凍え死んでしまうから駅構内へ入った。

 そしてカフェに入り、暖かいコーヒーを飲んで暖を取っていた。凍えた身体の内側から温まる気がして気持ちが緩んだ。

 カフェ店内でも似たようなことを思った人が多いのかかなり混んでいて、今僕が席を取れたのも奇跡的だ。

 都会人である僕が特別寒さに弱いわけではないようだ。東北人でも寒いのは嫌なのかもしれない。

 ホットコーヒーを飲んでホッといていると前の座席に女性が座ってきた。


「ごめん、席が空いてなくて。相席して良い?」


 その女性は不思議な人だった。

 まず上着を着ていなかった。上はニットだけ。下はタイトスカートにタイツだったが、とてもじゃないがマイナスを下回った今日の気温を生き抜くには装備が足りていないと感じた。

 しかしそんな薄着でも彼女は微塵も寒そうにはしていなかった。

 僕はつい訊いた。

「良いですけど、お姉さん寒くないですか?」

 すると彼女は薄く笑った。

「平気よ少年。私は昔からこの地に住んでいるからね。寒さは慣れているのさ」

 そう言うと彼女は持参していた紅茶を一口飲んだ。

 僕は東北人でも寒いものは寒いと思っていたが、やはり長く極寒の地にいれば自然と寒さに慣れるものなのだろうか。

 それにしてもこの人は行き過ぎな気がするが。

 慣れているとかそんな次元ではない。その証拠にこのカフェにいる客は皆上着を持参していた。

「少年は盛岡に住んでいる人?私は遠野から来たんだ」

「今は盛岡に住んでいますが、元は東京にいました」

 それから彼女と世間話をした。

 僕が大学入学するために岩手に来たこと。

 もともと雪が見たくてわざわざ岩手に北上したこと。

 そんな他愛もない話をした。

「雪が見たくて岩手に来たって、物好きね。ここは何も無いのよ?」

「でも、じゃじゃ麺とかわんこそばとかありますし」

「じゃじゃ麺は美味しいと思うけど、わんこそばなんてただそばを小分けにしただけじゃない。あんなの1回食べれば十分よ」

 わんこそばは大学の同級生と行って皆でどれだけ食べれるか競ったこともあった。

 そのときは楽しかったが、たぶん美味しいそばを食べたいだけなら普通のかけそばで良いかもしれない。

 でも、こういうものは味が問題ではないと思った。

「それに、君の目的は雪景色なんでしょ?盛岡じゃまだ十分とは言えないわ」

 彼女はスッと立ち上がった。

「君に雪景色を見せてあげる」


 彼女の車に乗せられて数時間が経った。

 最初は楽しく談笑していた気がするが、気がつけば僕は眠りこけていた。

 目が覚めた頃には外は暗く、真っ暗だった。

「着いたよ」

 彼女は車から出た。僕も車を出て外を見た。

 ・・・・・・外は絶景だった。いつの間にか外は吹雪いていて目を細めていたが、建物は住居がポツポツある程度でほとんど畑と田んぼばかりの場所だった。

 しかし、建物がないからか全面雪で覆われていた。

 山も畑も田んぼも家の屋根にもすべてに雪が積もっていて、その白銀の景色に目を奪われていた。

 少しも泥が混じっていない、綺麗な白だった。

 雪が吹雪いていたから本当に目の前が白で覆われている。

 これが夢にまで見た雪景色だった。

「・・・・・・綺麗だ」

「そうでしょ?ここは私のお気に入りなんだ」

 僕たちはしばらくこの景色を堪能していた。

 動きたくても足が動かなかった。

 それほどにこの景色に魅了されていた。

 僕はようやく満足して彼女の方を向いた。

「今日はありがとうございました。おかげで良い思い出ができました」

「いいよいいよ。君の役に立てたなら」

「はい。それで、結構空も暗いんですが帰れるんですか?」

 綺麗な景色に目を奪われて失念していたが、道路状況は良いとは言えなかった。

 話を聞けば雪道での夜間走行は事故率が高いらしい。しかも目を開けることも困難なこの吹雪の中車で運転できるか正直不安だった。

 すると、彼女は疑問でも抱くように言った。


「なんで?」


「えっ」

「なんで帰る必要があるの?このまま泊まればいいじゃない」

 僕は彼女のなんでもないことのように非常識なことを言ったことがなんとなく怖かった。

 君もそれを承諾して来たんだよね?とでも言いたげな顔をしている。

「でも、明日も大学があるし」

「そのときは明日私が送り届けてあげるよ」

 彼女はそう言うが、なんとなくそうしてくれない気がした。

 このままここに閉じ込めて、出してくれない。

 そんな不安がよぎった。

「いや、でも」

 彼女は言いよどむ僕の顔を掴んで微笑んだ。

「もしこの吹雪の中徒歩で帰ったら遭難しちゃうかもね。ここから盛岡までかなり距離もあるし。悪いことは言わないからこのまま私の家に泊まっていきなよ」

 そう言われ、逡巡する。

 確かにこの吹雪で徒歩で帰ろうものなら途中で凍え死んでしまうだろう。

 おまけに道中寒さをしのぐような小屋もなさそうだ。

 生存本能はこのまま残っちゃいけないと警報を鳴らしているが、まさか取って食いはしないだろう。

「・・・・・・わかった。今日は泊まらせていただきます」

 僕は仕方なく彼女の提案を承諾した。

 彼女は嬉しそうだ。

「よかった。家に着いたら私の家族に紹介するね」

 僕は彼女の車に乗せられて彼女の家へ向かった。


 そして、僕が現世へ戻ることはなかった。彼女の家へ、その世界へ生涯を終えた。

 雪に包まれた白銀の世界で。

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