狡猾なる賭け

@JULIA_JULIA

第一の勝負

 午前の授業が終わり、俺は食堂へと足を運んでいた。正午までは、まだ時間がある。今のうちに昼食を済ませておこう、この時間帯なら空いている筈だから。大学の食堂はかなり広いが、生徒もかなり多い。混み合う中での食事はできるなら避けたい。そんな考えから、この曜日は早めに昼食を摂ることにしている。


 十一時を過ぎた頃、食堂に到着。席は充分に空いている。とはいえ、そこそこに埋まってもいる。なんだか、いつもよりも人が多くいるように感じる。その後、豚の生姜焼き定食を手に食堂内を彷徨うろつく。程なくして無人のテーブルを見つけると、その一角に陣取った。そうして食事を進めていると、見知った顔が現れる。


「やぁ。ここ、イイかな?」


 スラリした長身と、うなじを隠す程度の短めの髪を持つ女性。俺と同じ三年生の椿山つばきやま かえでだ。彼女は今日もジャケットにパンツスタイル、そして右肩にはやや大きめのバッグというで立ちだ。


「あぁ」


 俺が許可を出すと、椿山つばきやまは真向かいの席に腰を下ろした。そこからは雑談を交えての会食。やがて食べ終えた俺は、食事中の彼女を置いて席を立とうとする。


「ちょっと待ってよ。なにか用事でもあるの?」


「いや、別に」


 午後の授業があと一コマあるが、それまでには随分と時間がある。よって、今すぐに用事などはない。


「だったら、もう少しイイよね?」


「ん、あぁ・・・」


 中途半端に浮かせていた腰を再び下ろし、またも雑談に興じる。そうして椿山つばきやまも食べ終える頃、彼女は妙なことを口走る。


「最近ギャンブルに興味があってね」


 その言葉は意外なモノだった。椿山つばきやまはこれまでパチンコや競馬などは勿論のこと、宝くじを買うことにさえ冷ややかな目を向けていたからだ。そんなカネがあるなら貯金をするべき、というのが彼女の考え方だったのだ。そのため俺は、少なからず驚いた。


「でもね、いざやろうと思うと踏ん切りがつかないっていうか。自分のギャンブル運がどのくらいなのかを知ってみたいんだ」


 ギャンブル運───そんな言葉が椿山つばきやまの口から出るなんて、これまた驚きだ。彼女はギャンブルについて、『ああいうのは親が勝って、子が負けるから産業として成立しているんだよ』と、以前は言っていた。つまりパチンコも競馬も競輪も、いま世の中にあるギャンブルのほぼ全ては、『子』───つまりはプレイヤーの負け確率が高いことを指摘していたのだ。それなのにギャンブル運だなんて、まるでそれ次第では勝てるかのような言い分じゃあないか。


「だからそれを確かめるために、ちょっと手伝いをしてくれないかな?」


「手伝い?」


「うん、手伝い」


 そう言うと椿山つばきやまは自分のバックから掌サイズの小箱を取り出した。その小箱の表面に記載されている模様や文言を見るに、トランプのようだ。


「ポーカーって知ってるかい? それをして欲しいんだけど」


 小箱を片手に、椿山つばきやまはニコリと笑った。


「それくらい知ってるよ・・・。あ、でも詳しくは分からないぞ」


 ポーカーと一口に言っても、その種類は様々だ。色々と違いがあり、その差異については、よく知らない。


「あー・・・。えっとね、最初に手札を五枚ずつ持って、そこから手札を何回か交換していくヤツなんだけど」


「一般的なヤツだな。それなら大丈夫だ」


「そう? じゃあ、『手伝ってくれる』ってことでイイのかな?」


「あぁ、それくらいなら構わないさ」


 すると椿山つばきやまは小箱の中からトランプの束を取り出し、シャッフルを始めた。ゆっくりと繰られていくトランプ。なんとも遅い。更には時折、元気なヤツらが飛び出してきた。あまりにも覚束おぼつかない手つきのため、代わりに俺がシャッフルをすることにした。


「それじゃあ、なにを賭けようか?」


「え・・・?」


 頬杖を突きながら俺のシャッフルを眺めていた椿山つばきやまからの提案に、少し戸惑った。


「・・・なにか、賭けるのか?」


「そりゃあ、そうだよ。ワタシのギャンブル運を確かめるためなんだから。ただポーカーをしても、意味がないよね?」


「まぁ、そうだけど・・・」


 賭けると言っても、なにを賭ければイイのだろうか。現金だと生々し過ぎる気がするし、物を賭けようにも今は大した物を持ってはいない。いや、大した物を賭けるつもりなんて、全くないのだが。


「別になんでもイイよ。あ、『なんでも』は流石にダメだね。それなりのモノを賭けてくれないと。例えば、ケーキを奢ってくれるとか」


 そう言いながら、椿山つばきやまはジャケットのポケットから小さな手帳を取り出して、ページを一枚破り取った。


「なにしてるんだ?」


「賭けるモノを書いておくための紙だよ」


 破った紙を更に半分に破り、自分のバッグから二本のボールペンを取り出した椿山つばきやま。その言動に、俺は些か戸惑う。


「あとで決めたらダメなのか?」


「ダメダメ。ちゃんと賭けるモノを決めておいて、そこから勝負をするんだよ。そういう形式を守らないと、キチンとしたギャンブル運を確かめられないからね」


「はぁ・・・」


 そういうモノなのだろうか、しかしまぁイイだろう。シャッフルを終え、トランプの束をテーブルに置いて、紙とボールペンを取る。すると椿山つばきやまからの注意喚起。


「見えないように書いてね」


「なんで?」


 テーブルの上で大っぴらに記入しようとしていた俺は手を止め、椿山つばきやまの顔を見た。


「楽しみに取っておきたいから」


 おいおい、既に『勝者気取り』とは恐れ入る。椿山つばきやまはギャンブル初心者で、一方の俺は多少のギャンブル経験を持っている。となれば、有利なのは俺の方だと思う。それなのに彼女は勝つ気マンマンのようだ。


 まぁともかく、そんな椿山つばきやまの注意喚起に従い、紙を左手に持ち、彼女から隠すようにして、『ケーキ』と書く。しかしその文字を見て、俺は小首を傾げる。あまりにも曖昧すぎないだろうかと。


 椿山つばきやまはキチンとしたいようだった。となると、賭けるモノもキチンとしてくるだろう。曖昧な文言を書き込まず、正確に書き記すだろう。だったら俺もそうすべきではないだろうか。


 単に『ケーキ』と書いたところで、どこのどんなケーキなのかが分からない。コンビニで売っている手頃なケーキもケーキだし、高級店のケーキもケーキである。切り分けたケーキもケーキだし、ホールケーキもケーキである。よって、あまりにも曖昧すぎる気がする。


 仮にこのままでも俺が勝てば問題はない。しかし負けた場合はどうだろうか。椿山つばきやまは高級店のホールケーキを所望するかもしれないし、俺はそんなモノを買い与えるつもりはない。よって書き直すことにした。いや、先程の『ケーキ』という文言の前後に書き足すことにした。


 そうして書き上がった内容は───この大学の近くにあり、それなりに評判は良いが、決して高級店ではないケーキ屋の店名。それと、『既に切り分けられているケーキを二つ』ということを示す文言。


 ケーキの種類までは書いていないが、それはまぁ良いだろう。そこまで限定しては申し訳ない。椿山つばきやまが勝った際に、彼女自身が決めれば良いことだ。とはいえ、俺は負けるつもりなどないが。


 書き終えた文言の最終確認を済ませて顔を上げると、椿山つばきやまは準備万端という感じで待っていた。少し悩んでいた俺とは違い、彼女は即断即決だったらしい。いや、あらかじめ決めていたのか。ともかくテーブルの上には、三回ほど折り畳まれた紙。その上にはボールペンが乗っている。なんだか、やけに厳重に閉じられている。


「俺も見たらダメなのか?」


「もちろん」


 ニコリと笑った椿山つばきやま。よって俺はテーブルの上に、ボールペンと二回折り畳んだ紙を置く。すると椿山つばきやまからのルール説明が始まる。


「トランプの束から一枚ずつ取っていって、それぞれの手札が五枚になったら、勝負開始。手札の交換は最大二回まで。同じ役の場合は引き分けで、再戦。それを勝者が決まるまで続ける───ってことでイイ?」


「あぁ」


「あ、それと! 『紙に書いた、賭けるモノ』は必ず勝者に譲ること。あとからゴネたり、言い訳はナシ。既に持っているモノなら速やかに譲る。まだ持っていないモノなら、できる限り迅速に用意して、勝者に譲る。・・・イイ?」


「あぁ」


 妙に丁寧に念を押してきた椿山つばきやま。そのため俺は、あることを疑い始める。それは、イカサマだ。


 よくよく考えてみれば、出だしから可笑しかった。椿山つばきやまがギャンブルに興味があるなんて、なんだか可笑しかった。つまり彼女は自身のギャンブル運を確かめようとしているのではなく、俺からなにかを奪い取ろうとしているのではないだろうか。


 そういえば俺が『賭けるモノ』に迷ったとき、椿山つばきやまはケーキを提案してきた。そして俺はなんの気なしに、そのケーキを景品とした。これは、彼女に誘導されたということではないだろうか。椿山つばきやまは、俺からケーキを奢ってもらおうとしているのではないだろうか。とはいえ、たかだかケーキのために、そこまでするだろうか。しかし、すぐに俺は思い直す。


 俺は最初、単に『ケーキ』と書いていた。迂闊にも書いていた。もしかしたら俺が予想したとおり、椿山つばきやまは高級店のホールケーキを所望しようとしていたのかもしれない。そんな大それた代物を危うく献上する羽目になるところだった。危ない、危ない。書き足して正解だったようだ。


「どっちからにする?」


 やはりニコリと笑って訊いてきた椿山つばきやま。その顔は己の勝利を確信しているようにも見える。そのため、俺は確認をする。


「・・・イカサマとか、しないよな?」


「え? イカサマ? なんのために・・・?」


 椿山つばきやまは少しばかり呆けた表情となった。俺の言葉が予想外のモノだったのだろう。彼女の顔を見るに、イカサマを仕込んでいるようには思えない。


「ワタシ、言ったよね? 『ギャンブル運を確かめたい』って。それなのに、どうしてイカサマをする必要があるの?」


「あ、うん・・・。そうだな・・・」


 そこで俺は思い出す。椿山つばきやまはトランプをシャッフルするのにも手子摺てこずっていた。よってカード捌きに長けているとは考えにくい。そして結局シャッフルをしたのは俺だ。となると、どんなイカサマがあるというのだろう。仮にトランプの裏面を見て数字やマークが分かるとしても、トランプを手の中に隠せば、それで済む話だ。よって、イカサマはないと考えられる。つまり、彼女は本当にギャンブル運を確かめたいだけなのだろう。


「で? どっちからにする?」


「じゃあ、俺からで」


 そうして互いに五枚の手札を揃え、勝負開始となった。念のために手の中に隠すようにしている俺の手札は、いわゆるハイカード。別名は、『役ナシ』や『ブタ』。更には数字の並びやマークの揃いも悪く、ストレートやフラッシュを狙うのも厳しい。さて、どうしようか。


 とりあえずキングがあるので、その一枚は残すとして・・・。いや、待てよ。『同じ役の場合は引き分け』というルールだったな。となると、一枚一枚のカードの強さは関係ないワケだ。だったらキングを残す必要なんてない。よって俺は五枚全てを交換することにした。


「えっ!? 全部替えるの?」


「そうだよ」


 なんだかイヤな予感がした。椿山つばきやまの今の言葉はまるで、『ワタシは五枚も替えないよ』と言ったようにも聞こえた。それはつまり、既になにかしらの役ができているということだ。そんなことを考えながら新規のカードを見ると、ワンペアができていた。


 ヨシッ!!


 俺が心の中で喜び勇む中、椿山つばきやまは三枚のカードを交換。やはりワンペアができているのだろう。そうして新規のカードを受け入れると、ニコニコとした笑みを浮かべた。まさかとは思うが、ツーペアが誕生したのだろうか。それとも、それ以上の役なのだろうか。そこで、ふと思う。椿山つばきやまはポーカーの役について知っているのだろうかと。


「念のために訊くけど、役の種類とか強さは知ってるのか?」


「当たり前じゃないか、バカにしないでくれるかな。そんなことも知らないでポーカーをしたりしないよ。ちゃんと調べたから知ってるよ」


「そうか・・・」


 わざわざ調べなければならないくらいに知らなかったようだ。そんなことで俺に勝てるのだろうか。いや、別に俺はポーカー名人ではないけれど・・・。


 さて、どうやら椿山つばきやまはツーペア以上のようだ。とはいえ、俺ができることは限られている。わざわざワンペアを崩すような真似はしない。三枚のカードを切って、スリーカードを狙うだけだ。しかし残念ながら、その望みは叶わなかった。


 その後、椿山つばきやまは一枚のカードを交換した。やはりツーペアらしい。そうして俺たちは共に二度の交換を終え、カードを見せ合うことに。


「・・・ワンペア」


 自身の手札を椿山つばきやまに見せると同時に、力なく漏れた声。ケーキを奢る羽目となり、俺は肩を落としている。その直後、椿山つばきやまの手札が明らかとなる。


「・・・ん?」


 俺の頭の中には、いくつものクエスチョンマーク。いまいち状況が飲み込めない。なぜなら椿山つばきやまの手札は、ハイカードだからだ。つまり、役ナシのブタ。


「いや~、負けちゃったね。どうやらワタシには、ギャンブル運はないみたいだ」


「・・・いや、ちょっと待て。どういうことだ? なんでバラバラなんだよ?」


 椿山つばきやまの手札はハイカードどころか、なにかを揃えようとしていた形跡すら感じられない。彼女は二枚目の交換のとき、たった一枚しかカードを切らなかった。それはつまり、ツーペアやフォーカードができているか、ストレートやフラッシュがあと一枚で達成される場合にしか考えられない。普通はそうとしか考えようがない。そのことを椿山つばきやまに伝えると・・・。


「へぇ~。そうなの?」


 と、あまりにも『あっけらかん』と答えた。なんなのだろうか、椿山つばきやまは俺に勝つつもりではなかったのだろうか。勝ち負けなんて、どうでも良くて、本当にギャンブル運を確かめようとしていただけなのだろうか。


「とにかくさぁ、ワタシの負けだから。それ、見てよ」


 椿山つばきやまの視線がテーブルの上の紙へと向いた。固く折り畳まれた紙へと向いた。その紙は、彼女か『賭けるモノ』を記入した紙だ。なんだか納得できないながらも、俺はその紙を手に取り、ゆっくりと開く。程なくして現れた文言に、俺は絶句する。








『ワタシとキミの子供』






「さてと・・・。じゃあ、用意しないとね」


「・・・は、はぁ?」


 椿山つばきやまはなにを言っているのだろうか。いや、なにを書いているのだろうか。俺の頭は混乱し、なにがなんだかワケが分からない。


「ワタシ、言ったよね。『まだ持っていないモノなら、できる限り迅速に用意して、勝者に譲る』って。だから、急いで用意しないと」


「え? え?」


 俺が変わらず戸惑う中、椿山つばきやまは席を立ち、俺の傍へとやってきて、耳元で囁く。


「子作り、しよ」



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