3話 五万と莫迦

 渋谷川のほとり。

 川縁ギリギリに立ち並ぶ長屋のひとつの、地下にある隠し小部屋の、工具の散らばった作業台に向き合い、遠藤透也は鼻歌を歌っていた。


 こうして機械をいじるのが何より好きだ――二十二世紀にいた頃から、それは変わらない。


 そんな透也の肩にピョンと飛び乗り、リュウが手元を覗き込んだ。

「何だか楽しそうでアリマスね」

「そりゃそうだろ。この時代の最新鋭の腕時計だ」


 透也の手の中にあるのは、瑞西スイス製の高級腕時計。蜘蛛兄弟の兄が持っていたのをスリ取った。

 何処どこかで盗んだものだろうが、昨夜の件には関係ない。懸賞金が得られない代わり、少しくらい報酬を貰ったってバチは当たらない筈だ。


 彼が懸賞金の受け取り先を孤児院や養護施設とするのには、幾つかの理由がある。

 懸賞金から足が付かないようにする為。

 彼自身が孤児であり、似た境遇の子供を助けたい為。

 そして、彼が怪盗を捕まえる目的が懸賞金でない為。


 首を伸ばしたリュウが首を傾げる。

「売れば幾らでアリマスか?」

「多分、五万はいくだろう」

「ご、五万!」

 リュウの声がひっくり返るのも当然だ。国家公務員の初任給が七十円の時代。二十二世紀の貨幣価値に換算すると、一億を超す価値がある。

「早速売るでアリマス。それでドブネズミの出ない、もっといい家に引っ越すでアリマス」


 すると透也は目を細めリュウを見た。

「でもその前に……見たくね? 中身」

「まさか、分解する気でアリマスか!?」

「元に戻せばいいんだよ。見ろ、この革新的に滑らかな針の動き、聴診器を当てても動作音を感じない制震性能。この時代にこんな技術があるとは驚きじゃね?」

「まぁ、興味がないといったら嘘でアリマスが……もし、元に戻せなかったら?」


 透也はニヤリと口角を上げる。

「研究者ってのはな、始める前から失敗することを考えないモンだ」

「…………」

「手順を録画しておけば大丈夫さ。リュウ、頼んだぜ」


 そう云うと、透也は右目を覆う長い前髪を掻き上げてピンチで束ねた。

 そこに現れたのは、ケロイド状のあざ――二十二世紀末に起こった魔能使いによる攻撃で、東京が火の海となった際に負った火傷の痕だ。

 ギロリと見開かれた右目は、義眼。

 火傷で右目を失った彼を拾い育ててくれた恩人からのプレゼントである。


 この義眼には様々な機能が付いている。

 顕微鏡レベルの光学ズーム、動体補足性能、暗視モード、広範囲サーモグラフィー……。

 動力源は生体エネルギーだから、死ぬまで電池切れの心配はない。

 通常の生活ではほとんど必要ないから、痣と一緒に前髪で隠しているが、「仕事」では非常に役立つ。

 とはいえ、二十世紀で怪盗相手に賞金稼ぎをすることを想定して造られた訳ではない。


 二十二世紀の世紀末。

 彼は「怪盗」として、東京を飛び回っていた。


 ごく一部の魔能使いが富を牛耳るあの世界で「持たざる者」が生きていくには、奪うしかなかった。

 彼の面倒を見てくれた蛭田ひるた博士という人が、人類を救うための技術研究の費用を捻出するために怪盗をしていると知り、透也も手伝いたいと申し出たのだ。

 怪盗行為のために義眼を改造し、道具を自作し、改良していく。

 その過程で透也の機械工作の腕前が磨かれた。


 こちらの世界で賞金稼ぎをするのに、持ち込んだそれらの道具が役に立っている。

 視覚、聴覚の補助、脳波通信を助けるフルフェイスのヘルメット。絶縁性のある握力強化手袋。左腕装着式ワイヤーガン。格納式ドローン。

 ブーツは靴底に仕込まれた電磁バネで瞬発力を増す。

 漆黒の強耐性ボディスーツは、俊敏な動きをサポートする。


 それから、光学迷彩マント。

 特殊な生地で出来たこのマントは、非常に薄手で持ち運び易く、「仕事」の時はスカーフのように首に巻いている。皺が寄るとモスグリーンに見えるが、伸ばすと背景となる映像を映し出すから、これで体を覆うと透明になる。


 そして何より、リュウの存在が大きい。

 元々は蛭田博士が子守りにと透也にくれた玩具おもちゃのヤモリ。「ヒロオヒルヤモリ」という、鮮やかな緑に橙の縞模様のある愛らしい奴だ。ヤモリだから、吸着する手足で壁や天井も移動できるところが怪盗っぽい。


 それを透也が魔改造した結果、一昔前のスパコン並みの性能を持つに至った。

 高性能AIに大容量HD。情報収集に録画も録音もお手のもの。目には透也の義眼と同等の性能と魔能探知レーダー。耳は超音波解析や音響解析もできる。

 動力は糖分を燃料とした内蔵発電機。金平糖を食べさせればいいから楽なものだ。


 だがそれ以上に。

 リュウに搭載された『時空間質量変位装置』が重要で、これのおかげで透也は瞬間移動の能力が使えるのだ。


 透也を二十二世紀末からこの時代に転移させたのも、この装置である。


 東京を焼き尽くし、蛭田博士を奪った魔能を根源から断つために、透也とリュウは、この時代にやって来た。

 「妖怪博士」と揶揄されるようなオンボロ研究所で、魔能を持たない人々が人間らしく生きられるよう研究していた蛭田博士は、ある日、机に血痕を残して姿を消した。

 科学を「野蛮なもの」と蔑み、研究の妨害をしてきた魔能使いたちの仕業に違いないと、透也は考えた。


 魔能は透也から全てを奪った。家族も、生活も、目も、恩人も。

 その復讐のために、魔能が開発されたとされる二十世紀初頭で、その根源たる『黒い魔女』を殺そうと彼女を探している。

 一方通行の時間遡上。二度と戻れない未来のために、透也は命を懸けると決めたのだ。

 『怪盗同盟ユニオン』の首領ボスとして、決して公に姿を見せない黒い魔女の情報を求め、片っ端から怪盗を捕まえているが、未だ成果は出ていない。

 

 とはいえ、この生活も嫌いじゃない。貧乏暮らしには慣れているし、リュウがいれば寂しくない。リュウは何度かドブネズミに喰われかけたから、この家がいやなようだが。

 

「……さて、と」

 透也は瞬きをして、義眼の光学ズームをオンにする。すると、虹彩が紫に光った。

 自動に設定を調整してから、精密ドライバーを腕時計の螺穴ねじあなに差し込む。器用にドライバーを回して螺を緩め、裏蓋を外す。

「これは凄いな。こんなに細かい歯車、見たことないや」

「ここでめるでアリマス。今ならまだ間に合うでアリマス」

 だが透也の指は止まらない。

「いや、やるね」

 と、透也はピンセットで部品を外していく。


 ……そして、リュウが録画した工程通りに組み立てるも、何度やっても何故なぜか部品が余り、透也は天井を仰いだ。

莫迦バカでアリマス。透也は五万をドブに捨てたでアリマス」

 作業台でリュウが絶望的な声を上げた。

「言うな……自分でも解ってる……」


 工具を放り出した透也は前髪のピンチを外し、伸ばし放題の癖髪をモシャモシャと掻き乱した。

「でもまぁ、制震性能の仕組みは分かった。もしかしたら、ドローンの出力を上げるのに利用できるかもしれない」

「確かに、モーターの振動を軽減すれば、動力効率が安定するでアリマスね」


 そうと思い立てば、試さずにはいられない。

 透也は椅子から立ち上がると、ぎだらけの上着を羽織り、型崩れした中折れ帽を被った。

「秋葉原の問屋街に行こう」

 透也はリュウを手に乗せ、上着の胸ポケットに収める。リュウはちょこんと顔を出し、恨めしそうに透也を見上げた。

「でもやっぱり、ワガハイはドローンの強化よりも、ドブネズミのいない豪邸が良かったでアリマス」

「まあそう云うなよ」

 透也はリュウの口に金平糖を押し込むと、地上へ出る梯子はしごを上っていった。



☩◆◆────────────────⋯

【リュウ】

 性能・ヒロオヒルヤモリ型高性能ロボット

 好きなもの・金平糖

 嫌いなもの・ドブネズミ

 能力・生生流転せいせいるてん

    (時空転移)

 攻撃方法・放電

⋯────────────────◆◆☩

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