第20話# 「星天の協奏曲」



放課後の第二音楽室に差し込む夕陽が、ピアノの上で優しい影を作っている。扉を開けると、すでに秋月みらいが窓際に佇んでいた。


「よく来てくれたわ」


みらいの声は、いつもより柔らかく響く。彼女はゆっくりとピアノの前に向かい、一音を奏でた。


澄んだ音が空間を満たすと同時に、部屋全体が薄い光のベールに包まれる。まるで星屑のカーテンが張られたかのようだった。


「結界を張らせてもらったわ」

みらいが説明する。

「これから話すことは、星霊術の秘密に関わることだから」


「先生...」

天宮柊が慎重に言葉を選ぶ。

「朝の星座図も、この結界も。今までに見たことのない術です」


「ええ。これが本来の星霊術の一つの形なの」


その時、天窓から銀色の光が降り注ぎ、星見凛の姿が現れる。


「12年前、星霊術は大きく歪んでしまった」

凛は静かに語り始める。

「その時、多くの星霊術士が力を失い、星天の協奏曲も消失したの」


「星天の...協奏曲?」

織部翔が身を乗り出す。


みらいがピアノの前で頷く。

「星霊術の本質を記した、伝説の楽曲よ。でも、それは単なる音楽ではない」


みらいの指が鍵盤を奏で始める。繊細な旋律が部屋に満ちていく。するとメンバー全員の星霊カードが、かすかに光を放ち始めた。


「星霊術は本来、星々との対話の術だった」

凛が説明を続ける。

「そして星天の協奏曲は、その対話を可能にする鍵」


「でも、なぜ音楽なんです?」

蠍島アカネが不思議そうに首を傾げる。


「波動」

春野カズマが呟く。

「星々の波動と...音楽の波動が」


「その通り」

みらいの演奏が続く。

「星霊術と音楽は、本来一つのもの。だからこそ、この音楽室が必要なの」


星川綺羅は、自分の北極星のカードを見つめる。確かに、みらいの奏でる音色に合わせて、カードが温かく脈打っているのを感じる。


「私たち新星霊団の使命は」

凛が告げる。

「失われた星天の協奏曲を取り戻し、本来の星霊術を復活させること」


その瞬間、不思議な出来事が起きた。みらいの演奏に重なるように、どこからともなく神秘的な旋律が響き始めたのだ。




「この音は...」

天宮双葉が目を閉じ、その旋律に耳を傾ける。


「星天の協奏曲の断片」

凛が答える。

「朝、あなたたちのカードに現れた新しい模様は、この楽曲の一部を表しているの」


アカネが自分の蠍座のカードを掲げる。カードの縁の深紅の模様が、まるで音符のように波打っている。


「星天の協奏曲は、全部で十二の楽章から成り立っている」

みらいが演奏を続けながら説明する。

「それぞれの楽章は、十二星座に対応しているわ」


「そして」

凛が窓際から歩み寄る。

「各楽章は、特別な場所に眠っている」


「特別な場所...」

翔がメモを取りながら考え込む。

「星座に関連した場所、ということでしょうか」


その時、アカネのカードが突然、強い光を放った。その輝きは、みらいの奏でる音に完璧に同期している。


「蠍座の楽章が...反応してる?」

アカネが驚いた声を上げる。


「六本杉神社」

カズマが思いがけない場所の名を口にした。

「境内に蠍座の石碑があるんです。週末のバイト帰りによく通るんですが」


「気づいていたのね」

みらいが微笑む。

「あの神社は、かつて星霊術の聖地の一つだったのよ」


「でも、簡単には見つからないわ」

凛が注意を促す。

「その場所に眠る楽章を見出すには、それぞれの星座の真の意味を理解する必要がある」


綺羅は自分の北極星のカードを見つめる。確かに、まだ分からないことばかり。でも、今はチームの中で自分にできることから始めよう—。


「じゃあ、まずは六本杉神社から調べてみない?」

アカネが目を輝かせる。

「私の蠍座の楽章なら、きっと何か感じ取れるはず!」


「その前に」

柊が冷静に提案する。

「基本的な調査と、神社の歴史について調べておいた方が」


「両方進めましょう」

綺羅が決意を込めて言う。

「アカネと私たちで現地を確認して、翔くんと柊は資料を集めて。そして...」


綺羅の言葉が途切れた瞬間、音楽室に満ちていた神秘的な旋律が、まるで彼女の決意に応えるように、より鮮明に響き渡る。


「素晴らしい采配ね」

みらいが演奏を終え、立ち上がった。

「これが新星霊団、最初の任務となるわ」


夕陽が傾きかけた音楽室で、新たな冒険の予感が、メンバーたちの心を静かに、しかし確かに揺らめかせていた。




「ところで」

翔が資料に目を落としながら切り出す。

「この楽章を探すにあたって、何か注意点はありますか?」


「そうね...」

みらいは再びピアノに向かい、静かに鍵盤に手を置く。

「例えば、こんな音を聴いてみて」


柔らかな旋律が部屋に広がる。と、同時に凛の周りに銀色の光が渦巻き始めた。


「これは12年前、星霊術士たちが力を失う直前に響いた音」

凛の声が、どこか遠くから聞こえてくるように変化する。

「歪んだ波動は、時として危険をもたらすわ」


その瞬間、アカネの蠍座のカードが激しく反応し、深紅の光が爆ぜるように広がった。


「きゃっ!」


アカネの手からカードが飛び出し、宙に浮く。周囲の空気が重く、どこか不穏な雰囲気に変わる。


「アカネちゃん!」

綺羅が駆け寄ろうとした時、みらいの指が別の旋律を奏で始める。穏やかで、しかし力強い音色。それは先ほどの重たい空気を、少しずつ薄めていく。


「大丈夫?」

双葉がアカネを支える。


「う、うん...」

アカネは少し青ざめた顔で、床に落ちたカードを拾い上げる。

「なんだか、胸が苦しくなって...」


「これが歪んだ波動の一例」

凛が説明する。

「星天の協奏曲の探索は、同時に危険も伴うの」


「でも、みらい先生の演奏で...」

柊が考え込むように言葉を続ける。

「波動は、音楽によってコントロールできる」


「その通り」

みらいは鍵盤から手を離す。

「だからこそ、この音楽室が必要なの。ここで基本的な波動の制御を学んでもらうわ」


綺羅は自分の北極星のカードを見つめる。確かに、さっきの出来事は、星霊術の新たな一面を見せてくれた。力の使い方を、もっと深く理解する必要がある—。


「なるほど」

翔が新しいページにメモを取り始める。

「六本杉神社の調査と並行して、音楽的な訓練も必要になるわけですね」


「ええ」

みらいが頷く。

「明日から、放課後にここで特別レッスンを始めましょう」


「私も時々、様子を見に来るわ」

凛が窓際に歩み寄る。

「そして、もう一つ大切なこと」


全員の視線が凛に集まる。


「星霊術の真髄は、決して力の行使だけじゃない。星々との対話、そして—」


凛の姿が、夕陽の中で輝きを帯び始める。


「人々の心との共鳴。それを忘れないで」


その言葉と共に、凛の姿は夕陽の光の中に溶けていった。残されたメンバーたちは、それぞれの胸に、新たな決意を抱いていた。




夕暮れの音楽室に、穏やかな静けさが戻ってきた。結界の光が薄れ、普段の教室の空気が戻る。


「じゃあ、明日から」

みらいが立ち上がりながら言う。

「毎日、この時間に」


「はい!」

メンバー全員が力強く頷く。


「あ、そうだ」

アカネが思い出したように声を上げる。

「六本杉神社、土曜日に下見に行くのは...どう?」


「私も賛成」

双葉が手を挙げる。

「その前に、翔くんと柊の調査結果も聞けるし」


「では」

綺羅がみんなの顔を見回す。

「金曜の放課後に作戦会議。そして土曜日に現地調査、ということで」


教室を出る時、カズマが静かに呟いた。

「僕、あの神社の周辺、よく知ってます。案内はまかせてください」


「ありがとう、カズマくん!」

アカネが嬉しそうに飛び跳ねる。

「なんだか、ドキドキする!」


下校時間を過ぎた校舎は、オレンジ色の光に包まれている。階段を降りながら、綺羅は今日一日の出来事を振り返っていた。朝の不思議な星座図、星天の協奏曲の存在、そして—。


「綺羅」

後ろから柊が声をかける。

「大丈夫?」


「うん...ただ、色々と考え事が」


「無理もないわ」

柊が珍しく優しい口調で言う。

「でも、一人で抱え込まなくていいのよ」


校門に向かう道で、翔が資料を広げながら歩いている。その隣でアカネと双葉が楽しそうに話し合い、カズマが地図をスマートフォンで確認している。


「そうだね」

綺羅は微笑む。

「私には、みんながいるもんね」


夕焼け空の下、新星霊団の第一歩が、静かに、しかし確かな光を放ちながら踏み出されようとしていた。


#


「どう思う?」

音楽室に残ったみらいに、凛の声が響く。姿は見えないが、確かにそこにいる気配。


「心配ないわ」

みらいは窓辺に立ち、去っていく生徒たちの背中を見つめる。

「彼女たち、きっと見つけ出せる」


「そうね」

凛の声が柔らかく空間に溶けていく。

「星天の協奏曲も、きっと彼女たちを選んだのね」


「ええ」

みらいは静かに頷く。

「新しい時代の、新しい星霊術の形を」


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