第52話

 どのようにユウタと合流して、そのまま帰ってきたか覚えていない。


「ん……ッ、ちょ、ちょっと、待って……」


 玄関のドアを閉めた途端、唇を塞がれた。

 ギターケースを背負ったユウタが、狭い玄関でわたしをドアに押し付ける。久しぶりのユウタの匂いに、時間が巻き戻ったみたいだった。


「妃奈子」


 キスの合間に、ユウタが言った。


「髪、切ったんだな」


 ボブになった毛先に触れられながら、そのまま耳たぶをいじられると、もう駄目だった。ユウタこそ金髪に戻したんだね。返事さえ声にならずに思わず抱きつくと、Tシャツ越しに熱が伝わる。わたしはこの体温を知っている。カメラの前で、何度も触れ合った。


「好きだよ」


 路上ライブで聴いたラブソングの続きみたいだ。たった四文字が身体に降りかかり、わたしは身をよじってユウタを見上げる。


「嘘……」

「嘘じゃねーよ」

「分からないって言ったじゃない……」


 好きだと言った二年前、ユウタはそう言った。勘違いするなと、ただのファン感情だと。

 そう指摘すると、ユウタは小さく笑う。


「俺の歌、聴いてくれたんだろ」


 額にキスを落とされる。


「それが全部だよ」


 身動きできないくらい、力強く抱きしめられた。

 もつれる足で靴を脱いで、簡易キッチンの横を通り過ぎてから室内に入る。二年前とは違う、古くて狭いワンルーム。ベッドに押し倒されるまであっという間だった。

 ギターケースを壁に立てかけたユウタは、そのままTシャツを脱いで、わたしに覆いかぶさった。仕事に着ていったままの、何のこだわりもない白いカットソーが脱がされる。黒いハーフパンツも、靴下も、地味な下着も。

 電気の点いていない室内を、カーテンの開いた窓からの外灯が淡く照らしている。暗闇に慣れた目は、ユウタの引き締まった身体を映している。

 ユウタの指が辿るたびに、わたしは吐息を漏らした。


「な、なんで……?」

「何が」

「なんで、そんなに優しくするの……」


 記憶よりもずっと滑らかな手つきで、驚いた。乱れる呼吸の合間に訊ねると、焦点の合わないほどの至近距離でユウタがふっと笑った。


「当然だろ。おまえの事が好きで、抱いてるんだから」


 ユウタの熱が、わたしの中に入り込んでくる。久しぶりなのに、ぴったり当てはまる感覚に涙が出た。手で触れられるもの。温度を感じられるもの。自立していなかった頃のわたしは寂しくて、常に何かを求めていて、目の前にある分かりやすいものにしがみついていた。

 でも、今は違う。ユウタじゃなきゃ嫌だ。

 心地いい体温に溶かされる。ベッドが軋みを立てた。揺られるリズムはまるでユウタの歌のようだった。


「キモチイイな……」


 ユウタがつぶやき、手の甲で汗を拭ってからわたしの顔を覗き込んだ。


「妃奈子」


 行為の最中に名前を呼ばれたのは初めてだった。


「俺を好き?」


 そういう訊かれ方をされたのは二回目だった。一回目はうんと昔、ユウタを知ったばかりの頃。ホテルで初めて身体を重ねた時は、虚しさばかりが残った。

 だけど、今この瞬間。

 ユウタの感情が、気持ちが、愛情が、素肌を通じて伝わってくる。溺れそうになるほど、満たされる。コンプレックスさえ散り去って、私は私を取り戻す。

 ユウタの背中を抱きしめた。手のひらに汗の感触を感じて、愛おしい。

 好きだよ。

 言葉にならずにぐずぐずに泣いたら、わたしの頬に触れたユウタが笑った。顔を隠すマスクも撮影するカメラも必要ない、二人きりの空間で。

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