12 わたし達、ホンモノのカップルです!

第49話

 にゃあ、と鳴き声が聞こえた。やたらと毛並みが整っている猫が、路地裏からわたしを見上げている。

 可愛いな。

 思わずスマホをかざして、写真を撮った。


「長崎さん……?」


 背後から声が聴こえ、振り向くと見覚えのある女性が立っていた。


「久しぶり。あの……、元気にしている?」


 四十代半ばの、フレアスカートが似合う彼女は、元同僚だった。


「お久しぶりです」

「やだ……、何年ぶりかしらね。長崎さん、全然変わらないからすぐに気付いたわ」


 元同僚はそう言って微笑んだが、同じ部署で働いていたとはいえ、彼女と話した回数は少なかったはずだ。

 親のコネで入社した会社を辞めてから二年が経ち、わたしは二十六歳になっていた。


「長崎さん、今何をしている?」

「病院で働いていますよ」

「ああ、そう。まだ若いんだもの、なんでもできるわね」


 彼女は、安心したように笑った。

 聞くと、元同僚は今も同じ職場で働いていて、ただし部署を異動になって今日は外勤なのだという。

 九月の風が街中を吹き抜けていった。元同僚のスカートの裾がふわりと揺れる。


「じゃあ長崎さん。お元気でね」


 柔らかな笑顔に、以前勤めていた会社の様々な出来事を思い出す。不遇な扱いを受けたり、罵声に怯えたり、嫌な出来事が多かった反面、いい事もあった。そういえば、先に会社を去った鈴木君とは、あれから一度も連絡をとっていない。そもそも彼の本名を知らないままだ。

 今日は遅番だった。午前十時の空気は、朝よりもゆったりとしていて、この時間の出勤を気に入っている。

 通勤鞄のポケットに入ったスマホがバイブ音を鳴らし、手に取ってタップした。


「もしもし、お母さん? おはよう」

『ちょっと聞いてくれる? 近所のサエちゃんが結婚するんですって』


 母の話はいつも脈絡がない。母の言う〈サエちゃん〉がどこの家の誰なのか、わたしには分からない。

 三年前、会社でのトラブル以来、疎遠気味となったわたしの様子を鈴木君を使って伺っていた母だったが、わたしの引越しと退社を知ってからたびたび連絡を寄越すようになってきた。

 だけど、以前とは違う。わたしのゆく道を決めようとはせずに、あくまで見守るという形で距離感を保とうとしているのが分かった。


『妃奈子、あんたは最近どうなの?』


 過干渉気味なのは相変わらずだけど、これくらいは許容範囲なのだろう。わたしは風で乱れたボブヘアを耳にかけながら答える。


「相変わらずだよ」

『仕事はどうなの。生活費はちゃんと足りているの。あの部屋に戻ったっていいのよ』


 退社する少し前に引越した部屋は、広さも便利さもセキュリティーの質も格段に落ちた。だけど、住めば都とはよく言ったもので、今の狭い部屋での生活も気に入っている。


「ううん、大丈夫。ありがとう」


 勤務先まであと少し。母と軽く会話を交わしてから通話を切った。

 先ほど撮った猫の写真を思い出し、メッセージアプリで送信した。何かを共有できますように。送信先は、二年前から変わっていない。

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