11 決断を下しました
第46話
その日は一週間ぶりの晴れ予報だった。朝、マンションから出た時に見た空に虹がかかっていたので、スマートフォンで写真を撮った。
ユウタがいなくなって一か月が経った、一月。
わたしは相変わらず会社にいた。退職届を提出したものの、部長から取り下げを要求され、以前のトラブルについて謝罪をされたのだ。一方的にわたしに責任を押し付けたのも、村田課長だった。
村田課長がいなくなった部署内は和やかになり、仕事量は変わらないのにスムーズに進める事ができた。無理やりスケジュールがねじ込まれる事もなく、残業時間も格段に減った。
スマホで撮影した虹の写真を、メッセージアプリでユウタに送る。何もなくても連絡するという言葉の通り、わたしはふとした時に写真を送り続けていた。天気のいい日の空の写真。新しく買った傘の写真。頑張って作ったシチューの写真。部署の社員で飲んだ時のビールの写真。
「長崎さん、ちょっといいですか」
鈴木君も相変わらず、会社に在籍しているままだった。契約の関係なのだと、年末に苦笑していたのを思い出す。
終業間近の午後五時五十分、仕事に一区切りついたタイミングで鈴木君に呼ばれ、人気のない廊下の端に連れて来られると、A4サイズの茶封筒を手渡された。
「何、これ……」
中には束になった書類が入っていた。表紙には〈諸星悠太 調査内容〉と記されている。途端に、書類を持った指先が震えた。
「書いてある通りです」
「わたし、こんなの頼んでない……」
「せめてもの、僕の贖罪ですよ」
鈴木君は、眼鏡の下にある瞳を細めて、頭を下げた。
「騙してごめんなさい」
廊下の向こうから、定時と共に退勤する社員の気配が伝わってくる。
「新人として入ってきた僕に色々教えてくれた事、OJT研修でお世話になった事、全部感謝しています」
手に持った書類の重みが、増した気がした。
「わたしの方こそ……」
村田課長の暴挙から守ってくれたのは、鈴木君だった。鈴木君の仕事の全容を知らないけど、きっと社内の膿を排除したのだろう。
「ありがとう。でも、これはいらない」
書類を茶封筒に入れて、そのまま差し出す。
「わたしには、必要ないものだから」
「でも……、諸星
鈴木君の視線には、希望のような何かが込められているように見えた。だけど。
「今は、いらない」
――おまえは何かに夢中になると、周りが見えなくなるからさ
わたしの危険性を、誰よりもユウタが知っている。ユウタの近況を知ってしまえば、わたしはすべてを投げ捨てでも駆けつけてしまうだろう。ユウタ自身が信じた道を、わたしが邪魔をしていいわけがない。
恋愛感情が、免罪符になっていいわけがない。
「今は……、ね」
独りごちた鈴木君が、苦笑しながら「分かりました」と茶封筒を受け取った。
「長崎さん、定時であがれそうですか」
「うん」
「飯、行きませんか。もう何も詮索しませんから」
「うん、いいよ」
部署に戻って片づけをした後、コートを羽織って鈴木君と一緒にエレベーターに乗り込んだ。
鈴木君は、三月末で退職という形でこの会社から去るという。
他の社員に混ざって会社のビルを出ながら、「どの店に行きましょうか」と鈴木君と会話を交わしていると、
「長崎サン」
この場にそぐわない香水と煙草の混ざった匂いが、鼻先に触れた。一気に現実に引き戻された気分だった。
「立花さん……」
「一ヶ月ぶりね。元気?」
淡いピンク色のスーツの上に白いコートを着たその姿は、明らかにオフィス街では浮いている。思わず立ち止まったわたしにつられるように、鈴木君が「長崎さん」と小声で言った。
「飯はまた今度にしましょう。お疲れ様です。お先に失礼します」
「う、うん……。ごめんね。お疲れ様です」
黒いコートとその下のスーツを着こなした鈴木君を視線で追った立花さんが、ふふっと笑った。
「新しい男?」
「え?」
「……なわけないか。ねえ、ちょっと話さない?」
パーマがかった長髪を掻きあげた立花さんは、一月だというのに寒さなど感じていないような顔をしていた。
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