第42話

 先へ行こうとしていたユウタの力も弱まり、わたし達は呆然と二人を見つめていた。


「先ほどぶりです、長崎さん。彼氏さんと合流できたみたいでよかったですね」

「どういう事? どうして鈴木君がお母さんと一緒にいるの?」


 助手席のドアが開き、母が降りてきた。先日見たものと同じ、グレーのコートがひどく寒々しい。


「私が彼にお願いしていたのよ」

「お願いって……」

「申し遅れてすみません、長崎さん。〈鈴木〉は偽名です」


 朝と同じコートを羽織った鈴木君が、母の隣に立った。


「僕は長崎さん……お母様の方ですね、に依頼を受けた興信所の者です」


 丁寧に名刺を差し出される。見覚えのない会社名と知らない名前が、そこに記載されていた。


「お父さんの会社でお世話になっている興信所なのよ」

「え……、ちょっと待って。鈴木君は、わたしより一年下で、OJT研修も受けて、一緒に頑張って来たよね……?」

「ごめんなさい、それは調査するために裏口で入社しただけです。年齢も詐称ですよ」


 目の前が真っ暗になった。

 鈴木君だけが味方だと思っていたのに。


「わたしは、調査をされていたの……?」

「あなた、春頃にずいぶん会社に迷惑をかけたでしょう? お父さんのおかげで入社させてもらったんだから、調べるくらい当然でしょう?」


 今年の四月――。誰の責任にもならないはずの不慮のトラブルで、営業でもないわたしが取引先に謝りに走り回っていた頃だ。母は知っていた。当然だった。わたしはコネ入社で、父はグループ会社の役員で、会社内の動向を見張られている。わたしに、選択の余地などなかった。


「そうやって、あなたを守っていたのよ」


 晴天の下で見る母の顔色は、先週と同じで白かった。皺が増えて白髪が増えて歳をとっているはずなのに、時間を止めたまま、幼い子供の母親を演じているような不自然な笑顔が不気味に映った。


「そんな事、頼んでいない……」


 ――頼んでねーよ!

 つい先ほどの、ユウタと同じセリフが口から零れ落ちた。


「それは、何のために?」


 ぽろぽろと。上塗りしていうように言葉が滑っていく。

 ――何のために?

 ユウタも同じ質問をわたしに投げた。わたしは答えられなかった。

 ユウタを取り戻したいのは、わたしのエゴだ。母と同じだった。


「お母さん」


 片手で持っていたタブレットをぎゅっと胸元に抱いて、母を正面から見た。歳をとっても、母の視線はわたしを臆病にさせた。でも。


「わたしは、会社を辞めます」

「妃奈子? 何を言ってるの?」

「わたしは、お母さんの思い通りに動くだけの子供じゃない!」


 二十四年間のわたしの人生。


「妃奈子」


 すぐ隣から。

 温度のないユウタの声が聴こえてはっとした。

 ユウタの境遇を考えれば、わたしは我儘なのかもしれない。親から与えられた広くて安全な部屋で、何不自由なく暮らすわたしは、親不孝者なのかもしれない。

 でも、わたしが選びたいのは。


「ユウタ」


 もう一度腕を掴む。今度は逃げられなかった。


「行こう、ユウタ」

「待ちなさい、妃奈子」

「ごめんなさい、お母さん」


 母の隣に立つ鈴木君は何も言わずに、目だけで合図を送ってきた。行け、という意味に見えた。

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