第39話
ジャンクフラワーが所属していた事務所は、ライブハウス近くの古びたビルにあった。
ドラマに出てくるようなイメージとは違う、クリーンなイメージもなければ、ファンさえも近寄れない雰囲気がそこにあった。一階の入口そばにあるエレベーターに乗り込むと、煙草臭さが壁や床にこびりついているみたいだった。乗ること数秒。
〈ミスタージャンク〉、それが事務所の名前だった。古いドアには、わたしの家にもあるジャンクフラワーのポスターが色褪せたまま貼られている。
チャイムを押すと、ドアが開いた。煙草を口にくわえたまま出てきたスーツ姿の男の人。どう見ても堅気には見えない雰囲気があった。
「どちらさん?」
「あの……」
怖気を隠して、記憶を呼び出す。
「わたし、長崎と申します。立花さんはいらっしゃいますか」
「……ちょっと待ってな」
ドアを開けたまま、男は中に入っていった。思ったよりも広い事務所のようで、ドアから直接中を見えないように仕切りがあった。そこには、露出の激しい女の子のポスターがいくつか貼ってあり、目のやり場に困った。
そうか、と急に納得する。ユウタの青春時代の居場所は、ここにしかなかったんだ。
「長崎サン?」
ヤニ臭さに香水の匂いが混じった。顔をあげると、見覚えのある女性が立っていた。
立花さん。ジャンクフラワーの、マネージャーだった人。五年前から変わらず、スーツが似合っていてメイクに隙もなくて綺麗な女の人。
「あなた、ジャンフラのユウタ推しの子よね? ずいぶん雰囲気が変わったわねぇ。OL風情がこんな時間に、何の用?」
「突然すみません。ユウタを、探しているんです……」
ぎゅっとタブレットを抱えたままそれだけを言うと、ヒールを履いた立花さんがわたしを見下ろしてくすくすと笑った。
周囲に合わせただけの、好きでもないコンサバファッション。レースやフリルをふんだんに使ったワンピースを身に付けてライブに通っていた頃のわたしとは確かに違う。
あの頃は、キラキラしたものを身に付けなければと躍起になっていたから。
「あなた、ユウタのストーカー?」
「違います!」
狭いフロアの廊下に、わたしの声が響いた。
「ストーカーはわたしじゃない!」
「そうかしら? 寝ても覚めてもユウタの事ばかりのようだったあなたの表情、あたしは結構気に入っていたけれど?」
綺麗なネイルを施された指先で、顎に触れられた。強制的に顔をあげさせられ、立花さんと目が合う。派手なスーツやメイクが似合っていたが、近くで見るとファンデーションで覆われた年相応の肌質が見えて、同じ人間なんだと思った。同じ人間の、同じ女という生き物。
「あなた、ユウタにどれだけ貢いだの? どれだけ時間を費やしたの? ユウタと寝た事だって、こちらは把握しているのよ」
同じ女という生き物の、敵みたいな人だと思った。
ユウタはこの女に飼われていたと言った。それがユウタにとってどのように作用していたのか、今、分かった気がした。
「ユウタを返して」
――かならず男を見つけ出す
いちばん最初の不審なDM。「見つけ出す」は「取り戻す」という意味だったんだ。
「ユウタの居場所を知っているんでしょう? 返してください」
正面から立花さんを睨むと、赤い口紅を引いた唇を歪ませるように彼女は笑った。
「ユウタはあなたのものじゃないわよ」
「立花さんのものでもないはずです」
こんなに誰かに反論をするなんて、初めての経験だった。
心臓がばくばくする。でも、嫌な音じゃない。
「あなたに何が分かるというの、長崎サン」
立花さんは髪を掻き上げて、開けっ放しのドアに寄り掛かって腕を組んだ。
「ユウタを拾ったのはあたしよ。十五歳の、まだ子供だった。お金もなくてボロボロだったあの子を、あたしが磨いたのよ」
他にも人がいるのだろうか、事務所の内側から物音が響いた。
「たかがアイドルなんかに湯水のようにお金も時間もつぎ込めるような裕福なあなたに、ユウタを理解はできないわ」
「理解しようなんて思っていません。それに、たかがアイドルだなんて言われたくない」
五年前の日々は、確かにわたしを駆り立てていた。ユウタには、それだけの力があった。
「ただ、ユウタの傍にいただけです」
三か月足らずのユウタとの日々。
それは、客席から見上げていた姿とは違って、キラキラしていた事ばかりではなかった。洗濯物の仕分けひとつ、ゴミの出し方ひとつ、些細な事で空気が悪くなった事もあった。長風呂や寝坊など、ユウタにとって気に食わなかったであろう事を、わたしの家である事を踏まえて飲み込んでくれた。
そうやって妥協を重ねてきた日々だった。
ただのビジネスカップルだったかもしれない。だけど、わたし達は確かに二人で生活をしていた。
事務所の奥からの物音が大きく響き、衝立に貼られた大きな胸の谷間を見せつけてくる女の子のポスターが揺れた。
「何してんの?」
その陰から覗かせた姿と声に、わたしは目を見張った。ユウタだった。
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