第38話

 再び電車に乗って自宅に辿り着いた。

 マンションを見るなり感嘆と呆れを混ぜ込んだ感想を述べていたユウタとは違い、鈴木君は何も言わなかった。その代わり、部屋に入るなり、


「本当に一緒に暮らしていたんですね」


 とだけ言った。

 キッチンのシンクには、ユウタ専用のマグカップが残されていた。目の奥が熱くなるのを堪えて顔をあげると、ユウタの家の時と同じように手袋を嵌めた鈴木君がタブレットを指さした。


「このタブレット……」


 テーブルの上に置いてあるタブレットは、わたしが見たままになっていた。今朝確認した〈やっと見つけた〉というメッセージ。ユウタはもっと早くに気付いていたのだろう。何も言わないまま、姿を消してしまった。


「彼氏さんのものですか」

「そう……」

「キャリーケースもそのまま置かれていますけれど、彼氏さんは身ひとつでいなくなったんですか」

「スマホと財布はなくなっているけれど、たぶん……」


 彼氏という言葉に反応している場合ではなかった。ドラマで見るような尋問に臆しながらも、事件性が絡んでいるのだとしたら矛盾がある事に気付き始めていた。

 スマートフォンと財布がなくなっているというのが、何よりも証拠だ。セキュリティーの高いこの部屋から、ユウタは自発的に出ていったのではないだろうか。早朝という、今までには外出しなかった時間帯に。


「彼氏さんがよく行く場所や店に当たってみましょうか」

「知らないの……」


 わたしはユウタの事を何も知らない。行きつけの店だけではなく、趣味も、わたしが会社に行っている間に何をしていたのかも。


「そのタブレット、見せてもらえますか」

「やめて!」


 タブレットに伸ばされた手を、慌てて払ってしまった。鈴木君は眼鏡のレンズの下の目を丸くして、わたしを見た。

 これでは何かがあると証明してしまったみたいだ。タブレットを両手で抱きしめる。


「ごめんなさい……、でも、見られたくなくて……」


 胸元でタブレットの重みがずしりと響いた。

 ユウタとの行為は、二人だけで完結できているものだと思っていた。再生回数がまわっても、コメントをもらっても、どこか遠い出来事のようで、わたしにとってユウタは唯一無二の存在で、動画配信はその延長にあった。

 だから、今になって後ろめたさが膨れ上がった。わたしの選んだ道。それでも、これしかなかった。


「鈴木君」


 真実を得るのは怖い。

 ユウタの見えていた世界。


「この先は、わたしがやるよ」


 それは、恥ずかしいからだとか後ろめたいからではなくて。


「だから、会社に戻って」

「でも……」

「村田課長から守ってくれて、ありがとう」


 責任がある、と鈴木君は言った。それなら、ユウタの失踪に対する責任は、わたしのものだった。

 帰りづらそうな鈴木君を見送ってから、抱えていたタブレットを手に持ったまま起動させた。電池は半分以上減っている。

 メイクラブポケットのアプリを起動した。最新動画はそれなりに再生されていて、いくつか通知がきているなかで、新しいDMがあった。


〈これでユウタはわたしのもの〉


 今朝にはなかったメッセージだった。受信時刻は、九時二十分。まだ一時間も経っていない。


 ――俺はマネージャーに飼われていたんだ


 たったひとつの情報。

 わたしは仕事用の鞄とスマホを抱えたまま、外に飛び出した。鈴木君の姿は、もうなかった。

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