第35話

 雪は積もることなく、何事もなかったように月曜日がやって来た。

 メールをチェックすると、急ぎの仕事があった。ため息をついて席に着くと、


「長崎さん、金曜日はありがとうございました」


 鈴木君がいつもの笑顔で隣の席に着いた。

 普段であれば救われるはずのその笑顔が、偽物みたいだ。


「あの後大丈夫でしたか?」

「あの後って?」

「彼氏さん、迎えに来ていたでしょ。やっぱりラブラブじゃないっすか」


 動画コメントと同じ言葉に、酸素が薄くなった気がした。

 大丈夫なわけがない。酔っ払ったわたしのメッセージでユウタが迎えに来てくれて、無言のまま二人で電車に乗って帰って。

 そして母が来訪して、ユウタがいなくなった。そういえば、母はなぜあのタイミングでやって来たのだろう。あんな、深夜とも呼べる時間帯に。


「そういえば」


 出勤時から持っていたコーヒーをデスクに置いた鈴木君が、パソコンを立ち上げながら言った。


「長崎さんの彼氏さん、どこかで見た事ある気がするんですけれど」


 眼鏡のレンズの向こう側から鋭い眼差しを感じて、呼吸の仕方を忘れかけた。思わず視線を彷徨わせる。パソコンのモニターではスクリーンセーバーが稼働し続けている。


「俺の知っている人ですかね?」


 やっぱりだと思った。鈴木君は、ユウタに気付いている。

 今朝、普段であればコーヒーを淹れているはずのユウタの姿がなくなっていた。洗濯機は稼働していなかった。ソファーの上には毛布がきちんと折り畳まれていた。ユウタらしいと思った。

 書き置きひとつもなく、ユウタは消えた。スマホ以外の荷物を残したまま。


「いなくなったの」


 テーブルの上に置きっぱなしになっていたタブレット。チャンネルに届いた不審なDMはアカウントを変えながら続いていた。

 最後のメッセージは〈やっと見つけた〉。まるでホラーのような一文にぞっとした。受信日時は金曜日の深夜、つまり鈴木君と別れた後の時間だ。

 鈴木君はいつも親しくしてくれた。狭い部署内で、彼の存在は心強かった。でも、鈴木君の優しさは本物だっただろうか。

 特に鈴木君との距離が近づいたのは、わたしがユウタと暮らしている事を告げてからだった。鈴木君は何か知っているのかもしれない。心臓がどくどくと鳴る。


「ユウタが、いなくなったの。どこにいるか教えてよ」

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