第23話

 日曜日の朝はゆっくり眠れるはずなのに、いつもより早く目が覚めてしまった。

 ベッドから出ようとして、その寒さに驚いた。十一月は、冬の入口だ。

 リビングに繋がる引き戸を開けると、ソファの足元には毛布と布団がきちんと折り畳まれていた。開いた窓からは、歌声が聴こえてきた。休日の朝の日課になっている。有名でも何でもない、ジャンフラの数少ないオリジナル曲に耳を傾ける。

 わたしは寝室に戻り、クローゼットを開けた。手前にあるプラスティックケースに収納されたポスターを取り、フローリングの床の上でゆっくり広げる。壁に貼られていた時とは違い、きちんと両手で支えないとすぐに角が丸まってしまう。

 十七歳のユウタが王子様のように微笑んでいる。

 ジャンフラの活動はわずか一年だった。冬に他のメンバーが未成年飲酒をした事で処分が下され、事実上解散となってしまった。ライブハウスからはポスターが剥がされ、SNSのアカウントは消えた。何もかも失ったわたしはそれでも、ポスターなど手に入れたグッズ達と、CDや動画で公開されている音源による彼らに支えられていた。

 空虚な大学生活も、怒鳴られ続ける会社での日々も。


「おい」


 紙面のユウタの上に影ができた。視線をあげると、二十二歳のユウタがわたしを見下ろしている。


「そんなに、ジャンフラの〈ユウタ〉に未練があるのか」


 黒いスウェット姿で、まだ寝ぐせを残した格好で。それでも、二十二歳のユウタだってじゅうぶんかっこいい。

 ジャンフラがいなくなった時のわたしに教えてあげたい。乗り越えたら、ユウタと一緒に暮らす日々が待っているんだよって。


「いつまでもそんな偶像に取りつかれて撮影もままならねーんじゃ、マジでビジネスカップル解消すっぞ」


 本気の、怒りの声だった。

 違う、とわたしは反論する。


「わたしは、ずっとユウタに救われてきたから……。だから、今度はわたしがユウタを助けたいと思ったんだよ」


 半年前、オフィスビルの端で再会したユウタは、金儲けをしようと提案してきた。ジャンフラを失い、職場でも責任を押し付けれて、ボロボロだったわたしは二つ返事で承諾した。

 アダルト動画の配信なんて、きっと誰にでもできる事じゃない。そんなプラットホームがある事すら知らなかったし、わたしには無縁の世界だった。

 でも、ユウタが求めたから。

 元ファンだったわたしに声をかけてきたのも、不審なDMが届いてわたしの部屋に逃げてきたのも、ユウタの必死な訴えだった。

 癖のついていたポスターがわたしの手の中で綺麗に包まっていく。ユウタは、わたしのすべてだ。


「それでもユウタは、他の人でもいいと言うの……?」


 なんて傲慢な発言なんだろう。

 五年前から何も変わっていない。ただのいちファンだとわきまえようとしていながら、どこかで驕っていた。カラフルな女の子達が声をかけてきた時も、少しずつ増えた新規のお客さんを見た時も、優越感を抱いていた。わたしは、ユウタに認知されているファンなのだと。


「あのさ」


 ユウタがわたしの前にあぐらをかくように座った。窓からの日差しが、寝ぐせで跳ねた黒髪を照らしている。


「理想を持っているところ悪いけど、俺は本当に、金を稼げれば誰だって、何だってよかったんだよ」


 分かっている回答だったのに、フローリングに座っている足先が冷えていく。


「セックスを売り物にしてまで、お金が必要なの……?」

「ちゃんと学歴持ってて会社員やっててこんなにいい部屋に住んでいる奴には、分からねーだろ」


 わたし自身の、いちばん弱い部分に突き刺さった。周りに溶け込めないくせに、反発心だけは立派にあるくせに、甘えてばかりで自立もできない生き物。

 俺はさ、とユウタが言う。


「俺は、貧乏な家のガキだったんだよ」

 

 低い声でつぶやいたユウタの瞳は、何も映していないように見えた。


「ろくに学校にも通わせてもらえなくて、いつも腹が減っていて。十五歳で家族がバラバラになって、事務所の人に拾われた」


 初めて語られる、ユウタ自身の過去だった。


「それが、ジャンクフラワーのマネージャーさん?」

「結果的には」


 ジャンフラのマネージャーは何度もライブハウスで見た事があった。ブランド物のスーツを着こなす、いつも髪をきっちり巻いた綺麗な女の人だった。


「……結果的には、って、どういう事?」


 窓の向こうで、洗濯物が風に揺れた。

 少しの沈黙の後、ユウタはゆっくりと顔をあげてわたしを見た。


「ジャンフラが結成される前から、俺はマネージャーに飼われていたんだ」

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