02 同居生活をはじめました

第6話

 その週末、わたしは自宅からの最寄り駅までユウタを迎えに行った。


「あれから気持ち悪いDMは来ていない?」

「いや……」


 ユウタにしては珍しく口ごもり、その様子が肯定を示していた。

 駅からわたしの住むマンションまで徒歩五分。ユウタの持つキャリーケースの音がガラガラと響いた。鼻先に触れる風がひんやりとしている。もう十月だ。


「ちょっと待て」


 マンションのエントランス前で、ユウタは眉をしかめた。


「おまえ、ここに一人で住んでんの?」

「そうだよ」


 ユウタがわたしの家に来るのは初めてだ。わたし達は、友達ですらない。今日まで最寄り駅すら伝えていなかった。

 歩幅を落とすユウタより先にエントランスに入り、カードキーをかざしてオートロックを解除する。


「ユウタ、早く来ないとドア閉まっちゃうよ」

「あ、ああ……」


 アスファルトを歩いていた時よりも、キャリーケースの音が小さくなった。

 ユウタと一緒にエレベーターに乗って、六階。


「お邪魔しまーす」


 ユウタの荷物をリビングの端に置く。ユウタは突っ立ったまま、きょろきょろと視線を動かした。


「すげえ」


 それはこっちのセリフだよ。あのユウタがわたしの部屋にいるなんて信じられない。


「おまえ、こんないい部屋に一人で住んでるのな」

「別に、親の持ち物だし」

「へえ」


 ユウタがどさりとソファーに座り、わたしを見上げた。

 肌を重ねる仲なのに、初めて中身を覗かれたみたいで胸がざわざわした。


「妃奈子、オジョーサマなんだ?」

「本当にお嬢様なら、会社員になってないよ」


 対面式のキッチンで湯を沸かし、コーヒーを淹れる。来客用のマグカップを出したのは久しぶりだった。

 ユウタがしばらくこの部屋に住むならユウタ専用のマグカップを買いに行った方がいいかもしれないな。そう思いついた途端、胸の裏側がざわざわと波打った。


「ところで、ユウタ。さっきの話だけど……」

「何の話だっけ」

「DMだよ。まだ届いているんでしょ?」


 突然沸いた緊張を押し隠してそう言うと、ユウタはキャリーケースからタブレットを取り出した。


「このDM送ってきた奴、多分〈ジャンフラ〉を知ってる」


 喉の奥に冷たい氷が突き刺さったような感触がした。

 ユウタからタブレットを受け取って、カーペットに座る。メッセージ欄には、確かに〈ジャンフラ〉こと〈ジャンクフラワー〉を連想させる言葉が連なっていた。


「……ブロックしちゃえば?」

「そんなの肯定しているようなモンだろ? それに、アカウントを作り直されたらいたちごっこだ」


 〈ジャンクフラワー〉はユウタを中心に結成されていた五人組アイドルのグループ名だった。五年前、東京進出を掲げていた五人は地道に小さなライブハウスで公演を続けていたものの、すぐに解散してしまった。活動期間はわずか一年だった。

 タブレット画面には、ジャンフラのオリジナル曲名や、ライブ中に会場を沸かせたトークの内容など、ジャンフラにまつわるワードが並んでいた。それは、DMで届いた〈かならず男を見つけ出す〉という予言にも似た言葉を確たるものに近付けているようだった。


「よかった……」

「あ?」

「ユウタが、わたしの家に避難してくれてよかった……。こんなの、ユウタの家が特定されていたら……」


 ぞっとする。

 マイナーな地方アイドルとはいえ、ユウタのファンは熱狂的だった。わたしも含めて。


「その事なんだけど」


 ユウタはソファーに座り直して、真っ白なマグカップにシュガースティックを二本分掻き混ぜてから、コーヒーを啜る。


「俺、あの部屋を引き払うつもりはないけど、しばらくは戻らない方がいいと思うんだ」

「うん。わたしもそう思う」

「だから、撮影もこの家でやることになるんだけど」


 撮影、という言葉を発するユウタの目は真剣だ。


「もちろん、最初からそのつもりだったよ」


 深くうなずくと、「サンキュ」とユウタがふっと笑った。二人でいるときはもちろん、ステージの上や動画内でも見ることのない笑顔で、わたしは一瞬、言葉を忘れた。


「あ……、じゃ、じゃあ寝室を片付けなきゃね」

「本当にこの部屋、広いよな」


 ユウタが肯定的に感心する様子は珍しいけれど、対面キッチンのある八畳のリビングの隣に引き戸で繋がる六畳の寝室があるだけだ。

 引き戸を開けると、「げっ」と背後から呻くような声がした。


「なに……?」

「いや……、おまえ、なんだよそれは!」


 座っているソファーにのけぞっているユウタの視線の先は、寝室の壁だった。


「あー……」


 わたしにとって当たり前の光景が、ユウタにとってはそうではなかったみたいだ。


「ポスターだよ」

「見れば分かるわ。というか、おまえはこんな部屋で寝起きしてんのか?」

「そうだけど」

「頭おかしいんじゃねーの。今すぐ外せ」


 壁に貼られた四枚のポスターでは、アイドルであるユウタがそれぞれの顔を見せている。王子様のように微笑むユウタ、マイクを持って熱唱するユウタ、ダンス中の躍動感のあるユウタ、そしてシーツを被った色気のあるユウタ。


「嫌だよ、手に入れるのに苦労したんだよ」

「おまえの事情なんか知らねーよ。そもそも撮影の邪魔になるだろうが」

「でも、わたしの生きがいなのに……」

「あー、もう!」


 ソファーから立ち上がったユウタがゆっくりと歩き、寝室にいるわたしの手首を掴んだ。


「本物が! ここに! いるだろーが」


 華奢なのに大きな手のひら。掴まれた手首が熱い。

 ジャンフラのポスターは生産量が少ないのか、レアで高値だった。四人のユウタがこの部屋に光を照らしてくれた。どんな時でも。

 だけど、その日々を覆すくらいの熱が、手首を通してジンと伝わってくる。


「ユウタ」


 流れてきた熱は、わたしの思考を麻痺させる。


「今から撮ろうよ」

「今から?」

「うん」


 わたしはベッドの上に立膝で乗って、壁を仰いだ。壁に手を伸ばして、ポスターの角をそっと掴む。ピリリ、と両面テープが剥がれる音が響いた。

 画素数の小さなデータを無理やり引き伸ばした写真が、くるくると包まっていく。その様子を、わたしの背後でユウタがじっと見ている気配が身体の奥を熱くさせる。

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