第3話

 動画配信は、わたしにとってあくまで副業にすぎない。


「長崎! 資料はまだか!」


 斜め前のデスクから怒号が飛び、わたしはびくりと肩を震わせた。


「はい、できています! 今すぐ送信します」


 怒鳴り声の主である村田課長に慌てて返事をし、パソコンのキーボードを叩いた。

 日頃のわたしは会社員だ。月曜日から金曜日、高圧的な上司がいる職場で働いている。


「できているならさっさとしろよ! 気がたるんでいるから遅いんだ!」


 村田課長の声がぴりぴりと空気を震わせて、わたしはただうつむいた。

 職場の空気はよどんでいる。キーボードに乗せている指先が、冷えていく。


「聞いているのか、長崎!」

「す、すみません……。あの、今送りました」

「これだから若い女は嫌なんだ。どうせその引き締まりのない顔とでかい胸で取り入るしか能がないんだろう」


 心臓の奥が嫌な音を立てて軋みを立てた。思わずカーディガンで胸元を隠す。鳥肌が立つのはクーラーのせいではない。

 早く、早くすがりつくものを探さなければ。

 村田課長が室内から出ていったのと同時に、ワイヤレスイヤホンを装着し、スマホを叩いた。

 途端に色のなかった世界があざやかになる。喉の奥に溜まっていたよどみが浄化されていく。

 英語と日本語をめちゃくちゃに混ぜた意味の持たない歌詞が、歌声に乗る。


「長崎さん、大丈夫っすか?」


 隣の席にいる後輩の鈴木君が、こっそりとわたしにささやいた。

 メロディーの合間に、わたしはうなずく。


「本当、最悪っすよね村田課長。気にする事ねえっすよ」

「うん……、ありがとう」


 村田課長はいつもわたしにだけ厳しい。そして、わたしのコンプレックスになる部分にも大声で言及してくるので、縮み上がってしまうほど恥ずかしくて、やるせなくて、いたたまれなくなる。

 だけど、約半年前の四月に入社してきた鈴木君のおかげで、ずいぶんと過ごしやすくなった。


「長崎さん、いつも何の曲を聴いているんすか?」

「すごくマイナーだから、知らないと思う」

「マイナーって」


 カッコ笑いが付きそうな口調で、鈴木君は眼鏡のレンズの下にある瞳を細くして笑った。

 イヤホンからはメロディーが続いている。心ごと溶かしてくれそうな甘さとよそよそしさを絶妙に融合させたような歌声が、はちみつみたいな粘度をもって鼓膜を支配する。

 五年前から、ずっと。

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