第2話

 古いエアコンがこうこうと鳴っている。


「のどが乾いた」


 低い声で、ユウタがマットに寝そべったままぼそりとつぶやいた。外されたマスクがフローリングの上にふわりと落ちる。

 シーツを身体に巻き付けたわたしは、ゆっくり起き上がった。ようやく深く呼吸をできるような気がするのは、マスクを外したせいなのか、それとも汗が乾いたせいなのか。

 行為後の身体はひどくだるい。狭いワンルームマンションの一室、ドアを開けてすぐ目の前にある冷蔵庫から二本のミネラルウォーターを手に取り、ユウタの肩に押し付けた。


「冷たっ!」


 ユウタの上腕筋がびくりと震える。細身でもちゃんと男のカラダだった。


「俺を凍らせる気か」

「そしたらわたしが温め直してあげる」

「余計にあの世が近くなるわ」


 やっとペットボトルを手に持ったユウタが、悪態をつきながら蓋を開けて口をつけた。飲み込む音と共に喉仏が上下する。わたしの持たないもの。


妃奈子ヒナコ


 カメラがまわっている時とそうでない時、変わるのは呼び方だけではない。


「おまえが着ていたワンピース、あれはねーわ」

「うっそ。お気に入りだったんだよ。タータンチェック柄が秋っぽくて可愛いでしょ?」

「そういう意味じゃねーよ。脱がせやすくて仕方ねえ」


 頭をガリガリと掻きながら悪態をつくユウタを、動画内では爽やかに微笑む〈ユウ〉の本性だと知る人は他にいないだろう。

 ユウタとわたしはビジネスカップルだ。いわゆるアダルト動画を配信できる会員制の動画共有サイト〈メイクラブポケット〉で、撮影した性行為を配信している。二人の名前をもじった配信チャンネル〈ユウヒなちゃんねる〉は、愛のあるセックスに限定的であり、過激ではない代わりに愛を感じさせる動画は男性だけではなく女性からも支持されていて、再生回数を順調に伸ばしていた。


「あー……、ファスナーじゃなくてボタンなのがいけなかったのかな」

「ていうか、上下繋がってる服はシチュエーションが限られてるだろ。裾から手を入れにくいから、余分な尺を取って無駄が出る」

「そっかー」


 ユウタ曰く脱がせにくいと不評のワンピースのボタンを留めながら、ユウタの言葉を脳内に叩き込む。盲点だったな。見栄えだけじゃなくて、脱がせやすさも考慮しなければならない。

 こう見えて、ユウタは動画配信を真面目に取り組んでいる。チャンネルの再生回数が伸びれば、その分収益が増える。全てはお金の為。目的は最初から変わっていない。

 シーツを取り換えて、玄関横にある洗濯機に放り込む。干すのはこの部屋に住むユウタの仕事だった。


「妃奈子」


 狭い玄関でパンプスを履いていると、リビングからユウタの声が響いた。


「また連絡する」


 ビジネスでしか成り立っていないわたし達の関係は、非常にドライだ。身体を重ねた時に生じた甘さは偽物であり、脳内麻薬に侵された独りよがりな恋の中毒になってはいけない。

 わかった、と返事をして、わたしはドアの外に出る。

 土曜日の夕方、路地では家族連れとすれ違った。空に浮かぶ雲の距離が近づいた気がする。季節は、もう秋だ。

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