第5話
◇
そうして、私達は高校二年生の夏を迎えようとしていた。行き先の見えない想いを守っていく事が、私達の友情の形だった。
安本先生という固有名詞を耳にするたびに、私は健吾との距離を縮められたような錯覚に陥った。秘密の共有は、突然訪れた恋に戸惑っていた健吾を素直にさせ、叶うはずのない私の恋を加速させていった。
朝、健吾と三歩分の距離を置いて、私は教室へと入る。六月に入ったばかりの空は、梅雨入りの気配も見せない。教室内は、明日に行われる球技大会の話題で持ちきりだ。
幼馴染だからといって私と健吾は常に一緒に過ごしているわけではない。それでも半年ほど前に、しょっちゅう登下校を共にしている私達は、おまえら付き合ってんのか、とクラスメイトによってからかわれた事があった。その時、即座に否定したのは健吾だった。
あの時に沸き上がった痛みが姿を現さないように、席について鞄からペンケースや一時間目に使う教科書を取り出していく。
「そういえばさー」
私の背後の席にいるピンク色の似合う女の子達が、顔を寄せ合って話している。声を潜めているつもりかもしれないが、高いトーンは教室内によく響いている。
「安本先生、結婚するらしいよ」
ひとつの区切りを無理やりねじ込んだように、空気がざわりと音を立てた。
ええー嘘ー、といういくつもの男女の声が、撹拌されて床の木目に沈殿していく。私はとっさに前方のドア近くの席にいる健吾に目を向けた。その後姿からは感情を読み取れない。でもきっと、あの大きな背中をこわばらせているのだ。
そうしているうちに、健吾は静かに立ち上がった。動けないでいたのは私だった。無責任な噂を口々にするクラスメイトを一瞥もせずに出ていった健吾に気づいたのは、きっと私だけだ。
やがて、鞄に入れていたスマートフォンが小さく震えた。
『先に帰る』
始業チャイムまであと五分、その日、真面目な性格である健吾は、初めて仮病を使って学校を休んだ。
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