第2話
◇
幼馴染が恋に落ちる瞬間に立ち会ったのは、昨年の四月の事だ。
入学式の終わり、当事者である私や健吾よりも張り切っていたそれぞれの母親によって正門前で写真撮影をしていると、健吾の母親が慌て出した。つい先ほどまで彼女が手に持っていたスマートフォンが見当たらないという。私達も一緒になって入学生やその保護者で密集した正門辺りを探していた時、
「落とし物はこちらでしょうか」
品のあるソプラノ調が私達の焦りを融解させたのと同時に、探していたスマホが華奢な手によって差し出された。
ありがとうございます、と深々と頭を下げる健吾の母親の隣で、日頃は礼儀正しいはずの健吾が、礼も言わずにただ呆然と淡いスーツ姿のその教員を眺めていた。私達よりも年上で、母親達よりも若い、これまでにあまり関わらなかった二十代後半に見える女の人。儚さと憂いさをスーツで包みこんだような姿に見惚れる健吾の瞳に、ひとつの光が生まれていた。
幼馴染であるはずの健吾が知らない男の人に見えた。ぶっきらぼうで不器用な男子ではなくて、寡黙さと冷静さを備えた男の人。真新しいブレザーの制服を身に着けていた私は、急に大人びた横顔を見つめながら焦燥を飲み込んだ。
その後、「お茶にでも行きましょう」と盛り上がる母親達を制するように、「先に帰るから」と健吾はまっすぐに自宅に向かった。その後ろ姿を慌てて追いかけた私は、やがて自宅が見える路地に入った頃、動揺を喉元に押し隠しながらもようやく声を発した。
「健吾」
自分のものじゃないような細い声が、春の匂いを含んだ風に流れていった。一定速度で私の前を歩いていた健吾が、ぴたりと足を止め、ゆっくりと振り返る。
「ハル」
えんじ色のネクタイを首元に巻いた見慣れない恰好の健吾が、私を呼んだ。
「俺、何かおかしかった?」
そうつぶやいた声は私のものよりも震えていて、まっすぐに私を見つめる瞳が戸惑いに揺れていた。
路地の向こうに見える川沿いでは、満開期を過ぎた桜が生ぬるい風と共に散っている。私は、ただ首を横に振る事しかできなかった。子供の頃から動じることの少なかった健吾の、あらゆる感情を乗せた表情を見るのは初めてだった。高校の制服を着た健吾がやたらと大人びて見えて、やっぱり知らない人みたいで。
風で乱れたショートヘアを慌てて右手で梳いた。感じた事のないほど胸が高鳴った。
小柄で華奢な女に恋をした健吾に、まるで正反対の私が恋をした。
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