悪女には悪女の戦い方が御座いまして

タケミヤタツミ

悪女には悪女の戦い方が御座いまして

夏の陽射しは眩しくも美しく降り注ぎ、生命の盛りを迎えていた。

高等部の生徒達も咲き誇る花々と一緒になって光を浴びながら、学園の中庭の宴を小鳥が囀るような笑い声で満たす。


ここアレキサンドライト学館は貴族も平民も等しく受け入れる、国で有数の名門校である。

今は期末ごとの交流パーティーが開かれる真っ只中。

長期休暇に入る前ということで、しばしの別れを惜しむ為や思い出作りの場でもあった。


暑さで浮かれるまま、つい積極的になり男女の仲が急速に近付く恋の季節。

会話が盛り上がる勢いでデートに誘う生徒達の姿もちらほらと。



「エリス・エキドナ・ライト伯爵令嬢!」


そして陽光が強いだけ差し込む影が濃くなる季節でもある。

例えるなら、その声は雷を伴う夕立か。



こんなにも和やかな場を切り裂いて不躾に呼び付けられたのは、艶やかな漆黒の女生徒である。

黒髪なんて学園内でも実にありふれているが中でもエリスは特別だった。

ごちゃごちゃした色で目に痛い絵の中に黒のインクを一点ぽたり垂らしたような存在感。

台無しと見做してしまうか、或いはそれでこそ完成形と惚れ惚れするかは人に寄れども。


もっとも名を叫んだ男子にとっては前者か。

夏のガーデンパーティーなんて告白の場面として最適だろうに、この荒々しさはそんな甘いものではない。



「こんな清楚なラーナ先輩を叩いたそうだな!

お前みたいな汚らわしい女なんか前から気に食わなかったんだ、婚約破棄だ!ラーナ先輩は俺が守る!」


やや小柄な男子はそうして勇ましく声を張り上げたが、まだ変声期を終えてない高音なものでやたら耳に痛々しく突き刺さる。

当人はヒロインを従えたヒーローになりきっているつもり、しかし傍目にはまるで仔犬が吠えているようにしか見えない。



あの一年坊主は確か、ギルソン・オパールだったか。

顔も名前も曖昧な理由は彼のことを碌に知らず、断じて婚約者などではないからである。

何度エリスの父が縁談を断ってもしぶとく食い下がってきたオパール伯爵の令息。


その傍らに寄り添う、初等部にすら間違われそうな小さく可愛らしい女生徒は二年生のラーナ・ジェイド。

名の通り青緑の髪をしており幼い印象に拍車を掛ける白いリボンが特徴的。

エリスがいじめているどころかむしろ反対。

この一学期の間にべたべた付き纏ってきて大変迷惑していた同級生である。


突如として舞台の一幕でも始まったのだろうか。

「何かの余興?」と生徒達が潜めた声を交わし合い、落ち着きなく周囲を見回しているのも無理はない。

あまりに暑苦しく真剣な様は見ようによっては滑稽でもあり、笑いを堪えている者すら居る。



どういうことかといえば、長くなるものの説明が必要。


豊かな長い黒髪に鋭く鮮やかなマゼンタの双眸を持つエリスは、ただ「美しい」というだけでは言葉足らず。

成人男性と肩が並ぶ長身に、制服で隠していても重たげな果実を思わせる胸元や腰つき。

大人びた容姿にどこか底知れないしっとりと妖艶な雰囲気を持ち、まるで魅了の魔女じみている少女だった。

さりとて決して下品でなく日頃はむしろ涼やかで物静かに振る舞っているが。

当人は飽くまでも本や劇といった物語の世界を愛する文学少女なので意外に思われがち。


この学園を造った筆頭公爵家の分家なので表立って敵意を向けられたことこそ今までは無かった。

とはいえ劣情の絡んだ目で無遠慮に見られたり、その所為で陰ながら「悪女」などと呼ばれていることならエリス自身も知っている。

ギルソンも聞こえよがしにそう言っていた一人。


自分から男子に媚を売ったりしたことなどただの一度も無いのに。

血気盛んな若者達が勝手に意識するだけの話。



そこは彼女がライト伯爵家の令嬢ということも一因。

治める領地は国どころか大陸最大の歓楽街であり勿論花街も含むもので、この家の者は本人も遊び人だの何だのという勝手な噂は付き物。

現当主であるエリスの父も散々苦労したと言っていたか。


オパール伯爵家が縁談を持ち掛けてきた理由もそこにある訳なのだが。

筆頭公爵家と親戚になれること、国内外から観光客が絶えず潤った歓楽街の経営。

繋がりを持つ旨味は有り余り、それこそ涎を垂らして欲しがる者は数知れず。

オパール伯爵家に関しても、片っ端から断っても寄ってくる有象無象の一つとしか認識していなかった。



対するラーナは平民ではあるが、彼女の亡き父が事業で財を成した家のご令嬢。

そして末っ子長女として生まれてこの方、何人も居る兄達により蝶よ花よと甘やかされて天真爛漫と無神経を履き違えた怪物である。


一つ例を挙げれば、生徒同士で組む授業は「友達の居ないラーナは一人ぼっちになってしまって可哀想だから」と彼らがエスケープに連れ出してしまうのだ。

制服のまま平日の真昼に街で遊んでいたものだから学園の方に注意が来たことも。

お陰で学力はまだしも素行や評判が悪過ぎる。


その彼らも春に卒業してしまったので今は庇護を失い、生徒達からは遠巻きにされており、代わりに悪行を知らない新入生に目を付けた訳か。

何も知らずラーナの外見で騙され、顔が良く甘やかしてくれる男という条件に当て嵌まったのがギルソンらしい。



こういう仲になっていることならエリスは知っていたが。

というか、見せ付けられたのだ。


学園の一角に、エリスがひっそりと一人で静かに読書をする秘密基地としている空き教室がある。

いつ後をつけていたのか、嗅ぎ付けられていたらしい。

昨日の放課後、秘密基地に訪れたところ先客。

ドアを隔てた向こう側は別世界、隙間に覗いたのはギルソンとラーナが制服を乱した半裸で絡み合う最中。


行為に夢中なギルソンはこちらに気付かなかったようだが、何故か勝ち誇った顔のラーナは男に跨ったままエリスに向かって笑ってみせた。

汚らしく体液の滴る舌を突き出しながら。


ただ、エリスがショックで青褪めると思ったのならば全くの見当違い。

一心不乱に欲望を貪る様というものは非常に醜悪なもので、目が汚れた不快感しか残らなかった。

それに先程ギルソンはラーナを「清楚」と言い表したが、そうでないことなら自分がよくご存じだろうに大噓吐きだこと。




さて、どうしてくれようか。


鬱陶しくエリスに纏わりついてきた二人が揃って片付くなら何よりの話。

ただし冤罪を被せる気ならば、当然の話これは戦い。



本ばかり読んでいる所為か、物事の受け止め方がどことなく紙の上の出来事のように感じることがある。

こういう時、きっと恋愛物語のヒロインならばヒーローが駆け付けてくれるのだろう。

しかしエリスは断じて違った、助太刀無用。

私を救うのは私でありたい。


ただ毅然と反論して事実を突き付けるなり、後で粛々と家を通しての報復も出来る。

否、それでは楽しくない。

両者にダメージを与える方法なら幾つかあるのだ。


どうせだったら一番面白いやつが良いだろう。

戦いならば折角スポットライトが当たっている場面、今ここで。



「あらまぁ……」


そう溜息を吐くエリスは飽くまでも悠々と。

婚約破棄を突き付けられてから、思考を巡らすなんて十数える間があれば事足りる。


どの方法で反撃するか決めた。



「明かして良いみたいですから言いますけど……叩いた、というのなら認めますわ」


半信半疑で見守っていた生徒達が思わずざわめく。

嘘を吐いたラーナ自身ですら驚きがありありと顔に出てしまっている。

どうせ騙すつもりなら最後まで堂々としてほしい。

この場で鬼の首を取ったようにしているのはギルソン一人くらいなものだった。


良いでしょう、その嘘に乗ってあげても。

ただし高い代償を払ってもらおう。



「そうですね、何度も何度も"お尻叩いてくれ"って甘い声で猫ちゃんみたいにおねだりされてましたもの……」


嘆息混じりに生々しく、艶が匂い立つ声。

頬に片手を当てて瞼を落としながらエリスの続けた発言により、一気に風向きが変わる。

色めき立って黄色い悲鳴すらも。



元から大人びたエリスが意識的に色香を装えば、それはもう総毛立つような気迫すらあった。

腹を括った女は強い。


どれだけエリスが優等生として大人しく過ごしていたところで、どうせ「悪女」なんて呼ばれるのは変わらないこと。

それなら悪評が一つ増えたところで誤差の範囲だ。


勝手に悪い噂も立てられるエリスだが、実は学園内のファン達からも熱視線を向けられていた。

何だかんだ言って、クールビューティーで格好良い女というのは同性から支持が高いのだ。

立場的な意味もあれど学園ではどちらかといえば強者に分類されている。



「酷いわ……あんなに私のこと好き好きと言って、所構わず引っ付いて来たのはラーナさんの方なのに。

心変わりには薄々感じていたけど、別れてほしいのなら、わざわざ、こんな……っ……」


あちらが芝居掛かった真似をするならエリスも鏡の対応。

少しばかり大仰に涙で声を詰まらせて震えてみせる。


単純な男に嘘泣きは有効、あまりにも予想外のことで流石にギルソンは呆然絶句としていた。

ラーナの方は違う違うと首を横に振っていたが、同級生達は信じまい。


そもそも春の話、確かにラーナの方から「友達になって下さい」と自己紹介が長々と書かれた手紙を押し付けられたのが始まり。

今まで接点などゼロだったので変に距離を詰められると正直なところ同性でも怖い。

エリスが当たり障りなく接していたのも不味かったか、一時期は校内ストーカーと化していた。

尻尾を振る犬のようにエリスに纏わりついていた目撃証言なら、二年生の間で幾らでも出てくるだろう。


それが男を使ってまでラーナがエリスを嘘で陥れたりとこんなことになっているのは、可愛さ余って憎さ百倍といったところか。

もともと愛には暴力性があり、重さを増せば執着に変質するのだ。



そういえば昨日、ラーナの薄い胸にはまるで皮膚病を疑うような赤い斑点がびっしりと刻まれていた。

丁度良い、あれもトドメとして使わせてもらおう。


「あの子の胸元……付けた覚えがないキスマークはありませんでしたが?」


ラーナの肌を知らねば言えぬこと。

小首を傾げて憂いのある微笑みを作ってみせる。

それは悪魔の証明、ただエリスは疑惑を投じるだけ。


思考停止していたところに、この台詞は引き金として十分。

一気に怒りで赤く染まった鬼の顔でギルソンが拳を振り上げる。

向かって来るなら来るが良い。

高揚ですっかり楽しくなってしまったエリスは密かに闘牛士の気分で待ち構えていたのに。


なんたること、ギルソンの拳の先は愛しのラーナだった。



「このクソ女!弄びやがって、ふざけんな!お前が一番ビッチじゃねぇか、死ねッ!」


石畳に倒れ込んだラーナの上へ馬乗りになり、昨日とは逆の体勢。

潰れた鼻から血が飛び散っても、口汚く罵りながら激情のままに振り下ろされるギルソンの拳は止まらない。

はて、彼女に対して「守る」と宣言してから五分も経っていない筈なのだが。

もはや悲劇なのだか喜劇なのだか分からない混沌。


しかし流石に暴行は見過ごせまい。

周囲の生徒達に取り押さえられたギルソンと、助け起こされてもぐったりと動かなくなってしまったラーナは退場して行った。


ひっそりとエリスもカーテンコールの一礼をして、これにて終幕。






勿論、この騒動は後日まで尾を引いた。

眩しくも美しい夏が来たというのに勿体ないことで。



公衆の面前で女生徒に暴行を加えたギルソンは退学。

入学してまだ三ヶ月だというのに、女で身を滅ぼすなんておませさんだこと。


自分は騙されて純情や貞操を弄ばれた被害者だという考えに凝り固まり、まだラーナに対する怒りは健在。

ずっと頭が上がらなかった父親からのどんな言葉も届かずに「次は必ず殺す」なんて歯を剥き出して唸っているもので、今は捕縛されて牢に居る。

ただでさえこの国には先人の血で描かれた様々な前例があり、恋人や夫婦間での暴力は罪が重かった。


あれからジェイド家は過保護な兄達が徒党を組み、オパール伯爵家を糾弾することで大忙しらしい。

彼らの小さな姫君の純潔を奪った挙げ句、怪我を負わせるまで殴り付けたのだからそれはもう地獄の業火の勢いである。


ラーナの方は顔面殴打による骨折で包帯まみれ。

すっかり男性恐怖症に陥りベッドから出られず、あんなに懐いていた兄達相手ですら恐ろしくて我を忘れて暴れてしまうそうだ。

ならば同性であり一度は恋仲だったエリスなら、と話し相手になってほしいなんて打診も来たが。

「ラーナに二股を掛けられた挙げ句、あんな形で別れ話を突き付けてきたのだ。こちらも心の傷が深いので、どうか放っておいてほしい」と悲しげに訴えたところ肩を落として帰って行った。


ちなみにエリスの母からはまた来た場合の対処法として「ニンゲン……カエレ……」と木の上から威嚇しなさい、なんて提案。

「失恋による人間不信で野生へ帰ってしまった」と泣き真似してあげるから、なんて付け加えられたが冗談にしてもよく分からないことを言う。




「それにしても……何だって、ラーナ嬢はそんな嘘を吐いたんだか」


数日後、夏休みにより平和で暇なライト伯爵家の屋敷でのこと。

残った疑問を口にした少年が一人。

あの場に居なかった中等部の弟であるクリストバル、愛称はクリス。

コーヒーを啜りながら、溜息までも苦々しく。


マゼンタの双眸など面差しはエリスにも似ているが、こちらは対照的な乳白色の髪。

姉と同じくクールビューティーと評判で人柄も穏やか、色素の薄さは儚げに見せるものでこうして物憂げにしていると様になる。



その答えなら、ラーナからの恋文の中に。

何か危害を加えるまでに及んだ場合、訴える材料としてエリスは一応全てを保管してあった。


今までラーナは我儘も微笑み一つで兄達が何でも差し出して言いなりになる環境に居たのだ。

拒絶されるなんて考えたことも無い。

どれだけ愛情を振り撒いても返ってこないエリスに対して、増え続ける恋文はだんだんと内容が攻撃的になっていく。

それによれば「自分が崇拝しているエリスにすら靡かなかった男子を手に入れたら、女として格上になる」と思い込んだそうだ。


実際、ギルソンに関係を迫ってきたのはラーナの方だったらしい。

長年に渡り兄達から赤ん坊扱いされていたことで、子供っぽい外見に対するコンプレックスは密かに病的なものになっていた。

大人びたエリスに強く憧れたことや、安易にも身体を差し出して女として扱われたかったこともそうした理由。


ではエリスがラーナと友達になっていたらこんな悲劇は起きなかったか、なんて愚問。

相容れるルートが見えないので「ならなくて正解だった」と断言出来る。

恋仲だなんて嘘を吐かせてもらった後に酷な話だが。



エリスにも多少なりとも騒動のお咎めはあったにしろ、女生徒二人の不純同性交友を明かされたところで学園側からも対処に困っていた。

エリスを吊るし上げようとしたのもラーナを殴ったのもギルソンの罪。


「私に手籠めにされた、と言い訳する手くらいは残しておいてあげたのに……ラーナさん気付かなかったのかしら」


それに医者が全身を隅々まで診たところでエリスにはラーナに侵入する器官など付いてやしないので、ギルソンが触れた痕跡しか残っておらず。

何度も身体を重ねていたので妊娠している可能性まで浮上してきたそうだが心当たりは一人のみ。


「私が男なら父親って容疑も掛けられたのに、ねぇ」


それもまた残酷に笑い飛ばす。

マゼンタの双眸を細める様は悪女の風格。


これでもうオパール伯爵家は片付き、エリスの妙な噂にも拍車を掛けてしまったものの求婚が減れば幸い。

勝手に悪い噂を流されるならばこちらは馬鹿みたいな噂で対抗、実のところ定期的に保護色として流していたのは彼女自身でもある。

どれが真実だか分からなくなれば全てが曖昧。



「そこだよ……姉さんが駄目となった分、僕の方に縁談が集中しちゃって困ってるんだけど」


クリスが物憂げにしている一番の理由はこちら。

姉と違って仄暗い雰囲気は無く、ミステリアスで品行方正な美少年として注目の的。

無駄な争いは好まないので上手に優しく断ることも手慣れているにしても。



エリスとクリス姉弟の両親であるライト伯爵夫妻は成人してからの恋愛結婚。

学生の頃に縁談を持ち掛けられた時に父はどうしていたのか訊いたところ、魔法の呪文があったという。


魔法には発動条件があるので正確に。

というのも、そこの家長である父親に迫りながら「俺、娘さんよりあんたの方が良いな……可愛いね……」なんて、ねっとり低く囁くのだ。

時には相手の背中を抱いた手をゆっくりと腰へ下げながら。


十代にして筋骨隆々とした巨漢だったからこそ出来た芸当とはいえ、ライト伯爵もなかなかの役者である。

娘を売りに来たつもりが、まさか自分の貞操が狙われるとは思わなかった彼らは面白いくらい狼狽えたという。

しかも力では圧倒的に敵わず息子ほど年の離れた少年に、なんてこんなこと誰にも言えまい。

これで大抵の家は引き下がったのだから効果抜群。


「クリスも真似すれば良いじゃない」

「嫌だよ……僕、可愛いから本気にされちゃう」


軽口はクッキーを齧る軽さで交わされる。

そんな程度の話なのだ、飽くまでも。



「それにしても、知らなかったわ」

「姉さん?」

「楽しいのね、悪女の役って」

「姉さん??」


悪女と言われたからには無慈悲も美徳。


ヒロインとヒーローの運命が狂おうと、舞台を降りたエリスの知ったことではない。

もし続編があって自分に対する復讐劇に繋がるのならば、それはそれで心に火花を散らす楽しみ。

再び一世一代の悪女を演じてみせましょう。


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