それは、正しく女神のような

 抱き止めたマリーは酷い有様だった。足の爪が割れ、血が滴り、何層もの皮が剥けている。つま先が潰れているのだ。

 マリーは心臓が鼓動するように体を震わせ、苦悶の表情を浮かべる。俺よりも魔術の効果が強いのだろう。早く解決しなければならない。

 少女の胸元に手を伸ばし、妖しい光を纏うネックレスを握る。


 あの女はこの事件の解決を難しいことのように語っていたが、こちらは腐っても王国騎士団の長だ。これしきの魔術に脅かされたりはしない。


 力いっぱい握りしめ、宝石を粉砕する。宝石の真っ赤な破片が辺りに砕け散り、少女の体から力が抜けた。彼女を抑える力を緩め、顔を覗き込む。


 安堵からか、マリーは泣いていた。

 彼女はしがみついて離れず、俺は抱きしめる手を離せずに背中をさすることしかできなかった。

 数分後。彼女はやっと落ち着いたのか、真っ赤に腫らした目で俺から離れた。


「あの、ありがとうございます。でも、なんでここにいるんですか? ジョアンナ様と一緒に会場にいるんじゃ……」

「君と同じように、俺も彼女に支配されかけたんだ。なんとか反抗して、君のことを止めに来たんだよ」


 マリーはあまり状況がよく分かってないようで、大きな目をパチパチとさせていた。

 そんな彼女の顔が、一瞬にして悲劇的なものに変化する。


 異様な様子の群衆たちが、ゆらゆらと迫ってきていた。皆一様に赤い煙がまとわりついており、うわ言のようにジョアンナの名を呼んでいる。これが、彼女の言う『新人類』なのだろう。反吐が出る。


 剣を構え、少女の前に立つ。


「彼らは俺が対処する。君は早く、この場から逃げてくれ」

「に、逃げるって、ノア様は?」

「俺はこの国を守る騎士だ。いつも通りに仕事をするのに、おかしな事なんてない」


 群衆は数十名。圧倒的に厳しいが、全力を尽くそう。


 俺は群衆たちを一度に相手にする。剣を構えてこそいるが罪なき人々を切ることはできず、かと言って急所を殴ってみても倒れたらすぐに立ち上がるのだ。正直、キリがない。

 押しのけたとはいえ、一度魔術を受けた体は重い。一人で戦い続けるには限界があった。


 群衆に纏わりつく煙の一つが、こちらへと手を伸ばしてくる。せめてマリー、彼女だけでも守らねば。一人の騎士としても、悪人に恋心を持ってしまった者の責務としても。

 重たい体で、必死に彼女の前に飛び込んだ。


 視界の端で、マリーが群衆に手を伸ばすのが見えた。





 一瞬の閃光。


 気が付くと、住民たちは先程までの光景が嘘だったかのように眠りについていた。

 目の前の手を伸ばした少女が魔法を使ったということは、火を見るよりも明らかだった。


 マリーが血だらけの足でこちらに駆け寄ってくる。

 橙色の髪は月明りに美しく照らされ、翡翠色の瞳が心配そうにこちらを覗き込んでいた。


 それは正しく、女神による救済だった。



「だ、大丈夫、ですか?」


 心配する彼女の声が聞こえる。




 ああ。俺は、とんだ間違いをしていたらしい。

 命の恩人も、恋焦がれる相手も。


 片膝をついて、マリーに手を差し出す。



「冗談だと思うだろうが、俺は君をずっと探していた。謝罪は君の気が済むまで、いや、気が済んでもさせてもらう。だからどうか、俺と一緒に来てくれないか」


 淡く美しい月明りが、夜の静かな街を照らしていた。

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