マリーのひとりごと

 私は、ノアという青年に恋をしている。


 とある街に公演のため訪れていた時。夕焼けの高台に佇む彼を見て、あまりの美しさに心を奪われてしまったのだ。


 街で見かける彼は、いつも誰かを助けていた。それは足腰を悪くした老人だったり、服が木に引っかかってしまった子供だったり、悪酔いして喧嘩を始めた若者だったりした。優しい彼を見る度に、私は恋焦がれていった。


 彼がこの街ではなく王国の騎士団の人間で、近隣の山に出没する山賊退治のためにこの街に来ていたことを知ったのは、数日経ってからのことだった。


***


 ある日。そんな彼ら騎士団が山に行って、遅くまで帰ってこないことがあった。


 もしかしたら、夜間も捜査を続けているだけかもしれない。それでも何か怪我をしたのかと不安はおさまらず、私はそっと真夜中の団のテントを抜け出した。


 山の道なき道を進む。数十分経って断崖絶壁の斜面に突き当たり、この岩場の上から落下したらひとたまりもないだろう、と身震いしながら斜面を見上げた。


 ノアが、私の想う人が、空中に投げ出されていた。

 彼の体は、木や岩肌に掠ることなくそのまま落下していく。誰よりも優しい彼が死んでしまうなんて絶対に嫌で、私に魔法を使うか葛藤する時間はなかった。


 一瞬の閃光。私の魔法によって、彼の体は空中で停止する。ゆるやかに魔法を解いていけば、彼を無事に地面に降ろすことができた。


 彼は崖からの落下で死を覚悟していたのか、意識が混濁しているようだった。


 私は彼に声をかけようとしたが、数秒もすれば遠くから複数の足音と共に彼の名を呼ぶ声がしてきたので逃げ出してしまった。

 翌朝に勇気を出して会いに行っても騎士団は昨晩の内に帰ってしまったようで、もう彼と会うことはできなかった。


***


 それから一年半後。公演のために王都に向かうと知らされて、私は彼とまた会えるのではと躍起になって自分を磨いた。最近頑張ってると褒められ、ジョアンナ様からもプレゼントを貰った。一年半前より綺麗になって、もしかしたら彼が私に見惚れるかもしれないと希望を抱いて演目に臨んだ。


 彼が惚れたのはジョアンナ様だった。


 当たり前だった。

 私がどれだけ芸を磨いたとしても、結局はその他大勢の一人。主役はもっと美しく華やかな彼女で揺るがないのだから。

 それでも、どうしても諦めきれなくて、私は我儘を言って舞踏会についてきた。私を見れば、あの崖から落ちた日のことを思い出してくれるんじゃないかと思った。


 でも、彼がジョアンナ様を見る顔を見て、私の想いや打算の全ては無意味だと理解した。


 恋心が潰えた傷は大きく、19歳という年甲斐もなく泣いてしまった。そんな私にも彼は自分の恋愛に忙しいだろうに優しくしてくれた。だから私はせめてもの強がりとして、彼の恋の成就を後押しすることしかできなかった。


 こうして今、私は逃げるようにして会場の敷地の外へと出てきてしまったのだ。


 ジョアンナ様とノア様。考えなくたって、美しい二人はお似合いだと思う。二人とも大好きだし、幸せになるんだったら本望だ。


 それでも失恋の傷は深く、私の心臓は痛みを伴いながら激しく鼓動している。



 いや?

 心臓が痛いのは変じゃないか。いくら失恋のショックが大きいからと言っても、比喩じゃなく物理的に痛くなるものだろうか。鼓動の変化だって多少はあれど、これほど異常なまでに脈打つことはないはずだ。


 心臓の痛みは鼓動するたび強くなり、やがて思考すらも蝕んでいく。痛みは血が巡るように体の中に広がっていき、やがて頭からつま先まで叫び出すほどの激痛が身体を支配した。


 そして、異変が起こる。



 私の体が、勝手に踊り出したのだ。勿論、私の意思ではない。激痛に支配された私の意思はままならず、軽やかに舞いながら市街地へと繰り出した。


 地面につくのはつま先だけ。軽やかなステップを踏んで軽やかに宙を舞う。ジョアンナ様が踊るような、私には不可能な踊りだ。


 私の踊りが見えたのか、住人達は家の中から出てきて私に歓声を送り出す。そんな人々とすれ違った時、私の周囲に複数の赤い煙が現れた。

 煙はまるで意思があるように住民たちにまとわりついて、住民はもがき苦しみながら地面に倒れ込んでしまう。


 私の辿ってきた道は、死屍累々の地獄絵図だった。


 支配された意識の中で、胸元のネックレスの赤い宝石が妖しい光を纏っていることに気が付く。そして脳裏に、彼女の言葉が木霊した。


『”マリーなら踊れるわよ”』


 ……ああ。全部、彼女の計画だったんだ。



 この間も苦しむ人を増やしながら、私の体は行進を続けている。踊り子として未熟な体にこの踊りはあまりに厳しく、つま先なんてとうの昔に潰れていた。


 激痛に涙が滲む。



 ジョアンナ様が何を考えているかなんて分からない。でも、こんなことは絶対に間違っている。


 そう考えても、私の意思がこの体に届くことは無い。


 意識が朦朧としてくる。



 瞼の裏に、ノアの優しい笑顔が浮かんだ。あれが私に向けられたものだったら、どれほど良かっただろうか。


 薄れゆく意識の中で、叶うはずのない願いに想いを馳せた。








 大きな手が、腕が、私を抱きとめる。私の体は強制的に動きを止められ、失いかけていた意識が現実に引き戻される。


「もう大丈夫だから、安心して」


 そこに居たのは、間違いなく彼だった。



 ——今度は、助けに来てくれたんだ。

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