2.頼りない背中に縋った

 幼馴染が死んだ。癌だった。気付いた時にはもう手遅れ、若い所為で進行も早かった。あっという間だった。

 気付けば真っ白の花に囲まれた、笑うあいつの写真を見ていた。










「私、癌なんだって」


冬の午後、ギターを膝に乗せながらパソコンを触る俺と、それを横目にスマホを弄るあいつ。物心つく前から培ったこの距離感は、高校に入っても変わらなかった。


 いつも通りの空気感、でも、いつも通りだと思っていたのは俺だけだったらしい。あいつの言葉が耳に入り、脳まで届いた。

思わず振り向く。今、何て言った?


「癌。ステージ4。今日も病院だった。検査の結果とか、聞いてきた。明日から入院。抗癌剤だって」


普段は緩い話し方をするこいつが、矢継ぎ早に言葉を繋げる。目は合わない。よく見ると、スマホを握った手は白くなり、力が入っているようだった。


「私、死ぬのかな」


 椅子から転がり落ちて、その勢いのまま抱きしめた。何を言ったらいいのか分からない。ただ、体が動いた。

細い腕が俺の背中に回された。薄い体が震えている。いや、震えているのは俺かもしれない。

 こいつが気に入ってつけている香水の香りが、今日はやけに鼻についた。


 取り落されたあいつのスマホには“抗がん剤による副作用について”と柔らかいオレンジ色で書かれていた。










 あいつの入院している個室には柔らかい日差しが差し込んでいた。お見舞いなんて何を持って行けばいいかもわからず手ぶらで来た俺を、あいつは笑って出迎えた。


「入院っていっても、一週間だけなんだけどね」


 あの、震えていた小さな体はどこに行ったのか。朗らかな笑み、快活な声。こいつの様子がいつも通り過ぎて、無機質な白いベッドの上にあるのが酷い違和感だった。


「なんだ、元気じゃん」


元気なわけがない。俺がいるから、元気があるフリをしているだけだ。分かっていたけど、弱った姿を見たくなかった俺はそれに甘えていた。










「髪、抜けちゃったんだよね」


何でもないことのように言うその表情の裏に、どんな感情があったのか、俺にはずっと分からない。


 何度かの入退院を繰り返し、今は退院の期間。あいつはこれまでの日常をなぞるように俺の部屋に来た。


「それ、いい色じゃん」

「そうでしょ。どうせなら派手にしてやろ~と思って」


あいつは髪が抜け、鬘をつけるようになった。最初は見慣れた黒い艶やかなボブカットのものだったが、今のあいつを彩っているのは、毒々しい深いマゼンタ。一目でウィッグだと分かるそれは、あいつの肌とはよく馴染んでいた。


「何見てるの?」

「ん」


確認していたのは、昨夜投稿したばかりの動画。そして、それと連携させたSNSアカウント。


「え、動画?」

「俺が作ったやつ」

「え! すごい!! こんなことしてたの!? 知らなかった」

「やり始めたのは最近。まだ、数曲しか投稿してない」


 あいつが必死に戦っている間、俺はひたすら曲を作っていた。まさに、寝る間も惜しんで。どれも妥協の欠片もない、渾身の一曲だった。まだ、数曲しか投稿していないけど、再生回数はそこそこといったところだろう。


「じゃあ、これは君のアカウント? 全然雰囲気違うね? こんなに丁寧な言葉使えたんだね?」

「こんなの当たり前だから」


 クールでダウナーなキャラがウケることもあるだろうけど、安パイならわかりやすくちゃんとしたやつだろ。

 プロフィールには俺が高校生ってことも書いてあるし、“若くて生意気なやつ”よりも、“若いけどそこそこ常識はありそう”くらいの方がいい筈。あからさまに“活発”を装いはしないけど、ある程度は愛想も良くしておく。


「えー、ちょっと敬語使ってみてよ」

「うるさい」


 手っ取り早くバズるなら炎上させればいいんだろうけど、俺の目標は動画の再生回数を伸ばすことじゃないから。


「俺、武道館でライブするから」


小さい頃、周りのやつらがお医者さんだの、パイロットだの言う中で、俺が言ったのは歌手だった。

 音程外しまくった俺の歌を聴いて、手を叩いて喜ぶあいつの顔を何度も見たかった。ただ、それだけで歌手って言った。


 幼い頃の無謀な夢は、しかし今では俺の譲れない目標になった。高校に入ってすぐ始めたバイトの給料はほとんど機材になった。バイト以外の時間はギターを触り、ランニングや筋トレ、一人でカラオケに行っては発声をする時間になった。


 絵空事を真剣に追いかけてきた。そして、今、一刻も早く到達しなければならなくなった。


 武道館。歌手ならパッと思い浮かぶ普遍的に理想的な舞台。俺も、コイツに何の気も無く言ったことがある。「やっぱり目標は武道館じゃない?」

その時、こいつは「その時は関係者席に呼んでね!」と言った。否定するでもなく、馬鹿にするでもなく、まるでそうなることが見えているかのように。

 別にそんなつもりはなかったのかもしれない。でも、俺はそれを“約束”としてしまったのだ。


 だから、叶えなければならない。ただの高校生の俺が、投稿したばかりの動画の再生数がそこそこの俺が。


「俺が武道館でライブする時は、おまえの席も用意する」


だから、お前も頑張れ。というのは間違っていると思うけど。


「じゃあ、それまでは生きてないと」


それまでってなんだよ。おまえはこの先もずっと生きるだろ。


「楽しみだなぁ。早くしてね。五ヶ月後くらいに」

「そんなすぐには無理」


やめろよ、そういうリアルな数字。こいつは病気を克服していつまでもここに居るんだと思っているくせに、早く早くと焦っているのが酷い矛盾なのは気付いていないフリをしていた。




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