VINE FLOWER
冬野
1.君の夢に寄り添いたかった
「おれ、だいにんきかしゅになって、いっぱいのひとのまえでライブするんだ! おまえもしょうたいしてやるよ!」
近所の公園の砂場で。
「俺が武道館でライブする時は、お前の席も用意する」
ギターをいじる、君の部屋で。
「ホラ、武道館の関係者チケット。……約束、守ったぞ」
すっきりと晴れた青空の下で。
有言実行。カッコいい男だね、君は。
「ただいま」
玄関から、君が返ってきた音がする。
「おかえり~」
「大学行った後のレコーディングは流石にしんどいな」
「お疲れさま。ご飯は食べた?」
「スタジオのスタッフさんとラーメン食いに行ったんだけど、そこの豚骨醤油ラーメン、旨かったよ」
「いいなぁ」
ラーメンがいかに美味しかったかを語りながら、彼はどんどん服を脱いでいく。このままシャワーを浴びるらしい。
ちょっと、それ以上はやめなさい。照れちゃうって。
彼は今、話題沸騰のシンガーソングライター。高校時代に作った曲を動画サイトに投稿し始め、四曲目を投稿する頃にはじわじわと再生数が伸びていった。
そして、九曲目がとある有名アーティストの目に留まり、その方がSNSでリポストしたところ、大変バズった。各種SNSには彼の曲を使った関連動画が溢れ、大手レーベルからデビューすることになった。
大学生となった今では地上波の音楽番組にも出演するようになり、確固たる地位を築いている。
「あー、スッキリした」
「もう出たの?」
相変わらず、烏の行水だ。彼は昔からせっかちだった。
濡れた髪をタオルで雑に拭きながらぺたぺたと歩く。冷蔵庫から牛乳を取り出し、そのまま口を付けた。
「それ、賞味期限大丈夫だっけ?」
「うわ、ヤバ。賞味期限切れてるわ」
「もー! ちゃんと確認してよ!」
「四日切れてる。腹壊すかな?」
「大変! 吐く!?」
「後ちょっと残ってる。……飲んどくか」
「ちょっと!!」
今日、彼は事務所で打ち合わせがあったらしい。人と話すのは得意じゃないから、行く前はとても億劫そうだった。疲れたようにため息を吐く。
そして、彼はカバンから紙袋を取り出し、中身をお皿に移した。あ! ドーナツ!!
「これ、事務所の人がくれたんだよね。お前、コレ好きだったでしょ。先食べて」
「え、いいの? じゃ、いただきます!」
私は遠慮なくドーナツに齧り付いた。黒糖が塗してある定番のあのドーナツ。優しい甘さともっちりとした独特の食感が懐かしかった。
ドーナツに夢中になる私を放って、彼はギターをいじり始めた。
「ドーナツ一個とホットロイヤルミルクティで長居したよな」
「君はソーセージパイとホットコーヒーだったね」
「甘いものと甘いものでさ、こいつヤバいなって思ってたよ」
「えー。私はコーヒーなんて苦いの、よく飲めるなって思ってたけどなー」
「また、行こうかな」
「いいねぇ」
「ね、見て」
彼がこちらに向けたタブレットには“ライブツアー決定!”の文字。
「え! これって……」
「今日発表されたんだけど、ライブツアー決まったんだ」
「すごい! ツアーってことは、いろんなところに行くんだよね? 全国にファンがいるってことだよね?」
「でさ、最終日。見て」
彼が指さしたそこ、書いてあるのは“武道館”。
「え……」
「ついに武道館だよ。これでやっと、お前との約束を守れる」
武道館。
それは、子供の頃から歌手になるって言って、その夢を追いかける中で目標として口に出した舞台。
中学生の頃は絵空事だった。高校に入ると遠い道の先にチラチラ見えるようになった。そして今、あと一歩。踏み出すだけで到達できるところまで来たんだね。
「すごい、すごいね。夢だったもんね。すごい、すごいしか言葉が出てこないよ」
「高校の時、約束したもんな。武道館のライブでお前に関係者席を用意するって。かなり遅くなったけど、これでも結構頑張ったんだよ?」
知ってるよ。君がずっと頑張ってたことくらい。
出来たメロディに納得できなくて、夜中までギターを触っていたこと。
カラオケのフリータイムで、曲もかけずに発声練習してたこと。
苦手なのに、事務所の人とちゃんと会話して、愛想も良くして、帰ってきて顔が疲れたって言ってたこと。
アンチコメントを気にも留めず、「インプレごちでーす」って言ってたこと。
最後のはちょっと違うけど。
それでも、全部君は頑張っていた。それが、ついに結果に繋がったんだね。何だか泣きそうだよ。
「チケット出来たらさ、持ってくから。待ってて」
「うん、待ってるね」
名前を呼ばれ、目を開けるとそこは澄んだ青い空が広がっていた。
「お待たせ。ホラ、武道館の関係者チケット。……約束、守ったぞ」
彼は小さな紙を目の前の石に、見せびらかすようにひらひらと振った。その石の側面に掘られているのは、おじいちゃんとおばあちゃんと、私の名前。
「俺はさ、約束守ったよ。お前を武道館の関係者席に座らせてやるって」
うん。
「でも、お前は約束破ったよな」
うん。
「俺が武道館でライブするまで生きるって、言っただろ」
うん。
「何、勝手に死んでんだよ」
うん、ごめんね。
彼がチケットを握りしめて俯く。しゃがみ込んで、肩を震わせて、嗚咽を漏らして、涙を流して。
背を撫でたいのに、涙を拭いたいのに、顔を上げてほしいのに、彼には一つも伝わらない。
ごめんね、ごめんね。
「くそ、お前がいなくなって何年経ったと思ってんだ。それなのに、このザマだぞ。どう責任取るつもりなんだよ」
伝わらなくても、私は謝ることしかできない。
彼はそのまま火が灯ったままの蝋燭にチケットを近付けた。蝋燭の火は、チケットへと燃え移り、じわじわと形を失っていく。私はそれを見つめるばかりだった。
「チケット、渡したからな。絶対来いよ」
全部燃える頃には、彼の体の震えは止まっていた。表情も、声色もいつも通り。真っ赤になった目だけが、彼の慟哭の名残だった。
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