墓前の言葉
笹川ドルマゲドン
第1話 訃報
「田島大尉、申し上げます。この先の戦地にて林崎大尉率いる中隊が西井を除き全滅との知らせ在り。一度引いて体制を整えよとの命であります」
田島の元に飛び込んできたのは、戦神とも評されたかつての上官の訃報であった。
針のように刺さる冬の夜の寒さの中、田島の兵糧をむさぼっていた手が止まる。半開きの口から米粒が零れ、泥で汚れた軍服に落ちた。
「あの、田島大尉、大丈夫ですか」
新兵が半ば怯えた表情をしながらも、確認のためであろう田島の顔を覗き込んだ。軍帽の下に隠れた田島の目が、視線を交えた情報兵をギロリと睨んだ。びくりと大きく肩を震わせて即座に姿勢を正した新兵を目で追いながら、田島は小さく口を開いた。
「君は岩泉だったね、この残りを君にあげよう。私はこれより会議を開き、野営地からの撤退について話し合わねばならなくなったため、これで失礼する」
田島は作り笑顔をべったりと貼り付けて、できるだけ岩泉を怖がらせないように優しい声で話しかけた。無論、そのせいで余計に岩泉が震えあがったのは言うまでもない。
岩泉が何か口答えをする前に田島は立ち上がると、帽子を深くかぶり直し、暖簾のように垂れ下がったぼろ布を右手で除けながら外へ出ていく。
岩泉が恐れ多いだのなんだのと言いながら一拍遅れて田島の野営宿舎から出てきたが、既に田島の姿はどこかに掻き消えていた。岩泉は震えあがりながらも、とても美味しそうには思えない食べかけの食事を両手で掴んでは口の中に放り込んだ。
一方田島は無人の食料備蓄倉庫で、兵糧の積み上げられた山を背にしてずるずるとへたりこんでいた。
倉庫とは名ばかりの、箱が積みあがった野ざらしの山。普段なら見張り番がいるはずだがどこかで呆けているらしい、普段なら𠮟責ものだが今回ばかりは𠮟る気にもならなかった。
若干雪が残ったままの、水を含んだぐちゃぐちゃの地面に、どすんと尻が埋まる。少し白んだ息が赤くなった鼻から抜けていっては、内臓を突き刺すような冷気が代わりに入ってくる。
地面から伝ってい来る嫌な冷気も今は気にならない。ただ頭の中にあるのは林崎だけだった。
林崎は豪快な人だった。
軍学校時代、生徒として林崎の中隊についていけば、林崎は十も歳の違わない田島の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわしていた。タコだらけでごつごつした彼の手は痛かった。恨み言を吐く度にそんなことを生徒に言われたのは初めてだと大声で笑われた。元気はつらつとした、まるで兄のような人だった。
戦闘になればそのはつらつさはそのままに、恐ろしいほど頭を回してはてきぱきと指示を飛ばしていた。撤退を恥と捉える者たちを励まし、手足を失った者を慰め、死地であるというのに恐ろしいほど士気を高く維持し続けた。
子供が戦地で命を散らすものじゃないと林崎の傍に置かれた時、最初は不服に思っていたが、途中からは彼の敏腕さに目を奪われていた。私もいつかこんな上官に成ろうとあこがれていた。
林崎はその素晴らしい手腕と戦果を讃えられ、戦神などと下等兵たちからはもっぱらの人気であった。人柄もよく、頼れる兄のような人で。齢二十五で異例の昇進をし大尉となった林崎は、その同期からいくらか恨まれはしたもののそれも長くは続かなかった。
林崎は軍校の出ではなかった。東北の農村の出で二等兵として入隊した林崎は、大尉よりも上の位には成れないのだ。
軍はいわゆる年功序列だ。長く勤めて規約違反などを犯さなければ、林崎よりも上の位になるのは簡単だった。もしくは雑兵として戦地で命を散らすかだ。
そうして林崎は大尉の位のまま、あれから十年ほどたったであろうか今の今まで前線で戦っていたわけである。
今だって信じられなかった。あの林崎が死ぬわけがないと心の底から思っている。
きっと何かの間違いなんだと、情報に手違いがあったのだと信じたかった。それでも、少なくとも前線での情報に噓偽りなど一切ないことを、この十年の軍事経験で理解していた。そして大尉である自分が、私情など関係なく今すぐ動かなければならないことも。
弛緩してくの字に曲がった脚を拳で叩き、喝を入れる。
こんなところで現を抜かしていれば、じきにこの中隊とて林崎のそれの二の舞になるだろう。一人だけ生き残りがいるというのが気がかりで、敵にこちらの野営地の場所が知られている可能性は高い。一刻も早く動かなければ。
頭だけは回るのに手も足もろくに動かなかった。
__こんな時林崎ならどうする。林崎ならきっとこんな状況だって難なく乗り越えられるはずだというのに。
「田島、挫けそうな時は、俺に会いに帰ってこい。帰ってくるためにその場は一旦切り抜けられればいい。その時は完璧を突き詰めなくていいんだ。俺に会っていくらか話をして、その後戻ってから行動すればいい。逃げや恥ではないからな」
林崎の言葉が思い起こされた。
何事もきちんとやろうとしては置いて行かれ、ほかの生徒についていけず、一人膝を抱えていた時。林崎はどこからか現れて、隣に腰かけてはがしがしと乱暴に田島の頭を撫でた。あの時は「わかってる」と口を尖らせて林崎の胸を軽く叩いたが、「その意気だ」と笑われたっけ。
ふっと風が、田島の髪を撫でるかのように柔らかく吹いていった。
顔を上げれば、どんよりと雲で覆われた暗い夜空から、火に照らされて淡く橙色に染まった雪が頬に落ちた。じんわりと冷たいはずのそれはなぜか暖かくて、一拍遅れて自身が涙を流していることに気づく。
「林崎の胸にでも墓にでも、一度拳を撃ち込まなければな」
涙を汚れた軍手で拭い、立ち上がる。驚くほど体は軽くなっていた。泥で汚れた軍服を軽く叩きながら、大声で会議の招集をかける。
わらわらと集まってきた部下に急遽撤退する旨を伝えた。彼らは同様こそしたものの二つ返事で承諾した。
まずは撤退しよう、そうしていくらか休みをもらい、林崎に会いにいく。
そのために、生きて帰ろう。
墓前の言葉 笹川ドルマゲドン @sasagawa_doll
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