1章 ハードSF的・第1の殺人
<作成中の推理小説パート>
波長の異なる太陽光を分解する計器が、船の甲板に固定されていた。
高精度分光器と超音波計を併用することで、海面下の流れまで正確に把握できるという代物だ。
その名も「クロマ・レゾリューション・モジュール」。
神木家からの招待状を手にした乗客たちは、異様なほど丁寧に書き込まれた設計図を見ながら、舟底に設置されたエンジンの鼓動を感じていた。
「ここまで大掛かりな科学設備が要るなんて、ただのクルーズじゃありませんね」
執事の三谷がぼそりとつぶやく。
船は、レーザー誘導による自動航行システムを実装しているらしい。
離島を取り囲む潮流は複雑であるにもかかわらず、甲板の端にあるスクリーンには緻密なリアルタイム航路が映し出されていた。
ほどなくして、洋館がそびえる孤島の桟橋へ接岸した。
木造かと思いきや、その内部にはゲル状の断熱材が注入されており、従来の三倍以上の保温効果を持つ。
かつては戦時中の実験場として利用されていたが、今や神木家が新たなテクノロジーを導入し、家屋の概念を超えた構造体へと変貌させている。
招待された客人たちは静かな驚きとともに桟橋を渡り、巨大な扉の前に立ち尽くした。
「ようこそ、我が神木家の洋館へ」
満面の笑みで迎えたのは次男の翔太。
だが、その背後には最先端の顔認証システムを搭載したセキュリティゲートが鎮座しており、建物へ侵入するすべての人間をスキャンしていた。
外壁に取り付けられた無数のセンサーが、リチウムイオン電池の発する熱量さえ検知するというから、もはや要塞に近い。
迷路のような廊下の先にある書斎は特に物々しく、三軸方向からのロック機構を組み込んだドアが採用されている。
分厚い金属板を複数枚重ね、その継ぎ目には単結晶シリコンを用いた認証パネルが組み込まれていた。
この扉が一度閉まると、外から一切の干渉を受けないはずである。
それゆえ、誰かを内部で殺害し、鍵をかけて逃げるなど不可能に思われた。
しかし、その夜。
長男・亮が、この防備を施した書斎の中で、何者かに殺害された。
ドアはきっちりと施錠され、警報装置も作動した形跡はない。
どうやって犯行をやり遂げたのかは皆目検討がつかない。
まるで周波数の波長を操作するかのように、ドアのロック機構が外部から干渉を受けたのか、それとも別の手段があったのか。
「ドアの内部構造を解析すれば、真実が見えるはずだ」
探偵として招かれた御堂 剛が低くつぶやき、壁に取り付けられたタブレット端末を見つめる。
センサーが記録しているログに、亮が書斎へ入室した時刻は21時10分。
その後、ドアの電子ロックが解除された記録はない。
にもかかわらず、翌朝に部屋を開けると彼は血だまりの中で絶命していた。
まさに科学の常識をもくつがえすかのような密室状況だ。
御堂は肩から下げた端末を操作し、無機質な文字列をスクロールさせる。
「トランスバースモードか…いや、そんな単純な電磁波操作では扉を外部から開けられない」
その声に、隣で看護師の遠藤が戸惑いの表情を浮かべた。
「すみませんが、私にはさっぱりわかりません。
そもそもトランス何とかって何のことですか」
御堂は答えず、静かに部屋の内壁を指先で叩いてみる。
正確には壁の反響音を計測しているようにも見える。
共振が起きていないか確認しているのだろうか。
神木家に残されているテクノロジーが、いかに最先端だろうと密室が破られた事実を説明できなければ、亮の死は謎のままだ。
金属的な光沢の扉と、そこに刻み込まれた謎。
これが単に人為的なトリックなのか、それとも…
廊下からは強い風の音が聞こえてくる。
洋館の最上階に取り付けられた風力タービンが夜間運転を始め、館内の電力をまかなっているのだ。
風の流れさえ管理する神木家の技術力が、この殺人の背後にどんな影を落とすのだろう。
朝日が差し込む窓の外で、波が青白く乱反射していた。
<文芸グループパート>
「いや、ちょっと待ってくださいよ」
ハッチポッチのオンライン会議で、駒形 宗次が頭を抱えていた。
「SF要素が多すぎるって。
ここまで事細かに書く必要ありますか」
「え、まだまだ足りないと思ってましたけど」
ハードSF好きの御子柴 隆士が、いかにも納得いかなそうな口調で抗議する。
北園 七海は目をぱちくりさせながら、「そもそも人が死んだっていう事件性が全然前面に出てないんですけど」と言いづらそうに指摘した。
「本来は大財閥の長男が殺された大問題なんですよね。
でも扉の素材とか電磁波とかばっかりじゃないですか」
「鍵の構造に一章分割くほど必要あるのか、というところだな」
西園寺 凌介がメガネを押し上げながらさらりと意見を述べる。
「正確な数字や論理展開が欠けているので、論文としては甘い気がしますが、推理小説の導入としてはむしろ情報過多になっているでしょう」
駒形はペンを持つ手を緩めて、画面越しに御子柴の表情をうかがった。
「いや、御子柴くんのSFが悪いわけじゃないんだけど、もうちょっと事件のインパクトを描いてほしいんだ。
書斎がどうして密室になったか、どう鍵が開かないはずだったのに開いたか、要点だけでいいから」
「うーん、だけど密室は今どき珍しくもないトリックなので、やっぱりSFガジェットを全力で投入したいんですよ」
御子柴はリュックを背中で抱え直し、プログラムのウィンドウらしき画面をチラつかせている。
「次は船のエンジン構造をもっと詳しく書きたいんですけど。
航行途中で発生した量子揺らぎが何か関係してくるかもしれないし」
「ダメですよ。
そっちばっかりやってると推理小説にならない」
七海がわずかに困惑の表情を浮かべ、唇をとがらせる。
「第二章は私が担当なんですから、もっと事件の人物相関とか、動機とか残してくれないと恋愛要素絡めづらいですよ」
「まあまあ」
駒形がみんなを宥めるように声を上げた。
「御子柴くんにはちょっとだけ訂正してもらいながら、長男が殺された謎をもう少しシンプルに整理してもらおう。
せめて死体の状況とか、書斎内の様子も書いてほしい」
「うーん、了解です」
御子柴は渋々といった様子だが、了承の言葉を口にした。
「よし、じゃあ第二章は七海さんにバトンタッチ。
次はどんな話になるのか楽しみだけど、とにかく僕は推理として形になるように頑張るよ」
駒形はなんとか議論をまとめつつ、次なる原稿の到着を待つことにする。
彼の表情には不安が色濃いが、ここまで来たら前に進むしかないと思っているようだった。
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