2.友は骨となりて

「そろそろお時間です。よろしでしょうか」


 火葬場の職員は、僕に向かって訪ねた。

 ここにいるのは僕と、故人の妻であり今は僕が所有者となった自動人形リビングドールのファノの二人なのだが職員は迷いなく僕を選んだ。


「ファノさん、よろしいですか」

「はい、よろしくお願いいたします」

「……かしこまりました」


 深々と頭を下げるファノを一瞥し、職員は少し戸惑った様子で一礼する。

 ゆっくりと機械の中へと送り込まれていく棺と、瞬き一つせずに見つめ続けるファノ。僕はこの光景を二度と忘れることはないだろうと思った。


 死の間際にある友人から喪主を依頼されて以降、僕は自動人形との結婚を選んだ人々の記事や、自動人形しか家族がいない人々の最期について調べてみた。

 この十数年で格段に進歩したとはいえ、自動人形には様々な制約があり、人格を有しているとは認められていない。

 故に“孤独死”の現場にいた自動人形はあくまで遺品として扱われ、廃棄処分されるか、その他の遺品と共に売却され、故人の弔いの費用に充てられる。


 友人の葬儀にファノが参加できたのは、偏に友人自身の望みであることを喪主である僕が理解していたからであり、手配をしていた友人自身の強い希望であったからだ。

 火葬場の職員にとっては、この場に自動人形がいること自体珍しいのかも知れない。


「一時間半ほどかかります。どうぞ、控室でお待ちください」

「すみません。今回は故人の希望で散骨の予定となっているのですが……」

「はい、伺っております。火葬の跡、粉骨いただいて骨壺にお納めください。その際に、埋葬許可証をお渡しいたします」


 ありがとうございます、と僕が頭を下げると、ファノも合わせて一礼する。

 職員も一礼して「失礼します」と言い残し、呼びに行くまで待機するよう付け加えてから去っていった。

 火葬場のホールは静かで、かすかに機械音が聞こえてくる。

 人間を焼く施設と言うと何やらおどろおどろしい気もするが、そういった感情も、誰かを喪った悲しみなども、思い出させないかのように無機質な光景が広がる。


「宏能さん。お疲れではありませんか」

「正直実感はありませんね。ファノさんは……休憩が必要ではありませんか?」


 充電、と言って良いか迷った僕は、ファノを人として扱うような言葉を選んだ。

 彼女は優しく笑みを浮かべて、しかし答えずに僕を控室へと促す。


「あまり気を遣う必要はありません。私は自動人形です。宏能さんの友人の妻でしたが、今ではあなたの所有物です」

「そういう言い方は……」

「失礼しました」


 僕のために熱い茶を注いだファノは、向かいに座って両手を膝の上に置き、身じろぎ一つせずにただそこに存在していた。

 呼吸も必要なく、心臓の鼓動も無い彼女は文字通り微動だにしない。

 地味で無機質な部屋の壁も相まって、時間が止まっているように見える。


「あいつは、君を人間のように扱っていたのですか」


 僕の言葉に、ファノの視線が反応した。

 濃い茶色の瞳が、僕をまっすぐに見つめる。


「部分的にはそうですが、夫はあくまで私を自動人形として愛していた、と理解しています」

「……機械だから愛していた、と?」

「それも正確ではありません。夫にとって人間は畏怖の対象であったので、私が自動人形の妻でいることを求めたのです」

「よくわからないな」


 僕の結論に、ファノは微笑みを浮かべて自分の胸を押さえる。

 その仕草は、自分の夫を思い出しているように見えるし、何かを大事に抱えているようにも見える。

 恐らく両方だろうと思ったけれど、自動人形は何かを、それも物質ではなく記憶や感情のようなものを大事だと考えられるものなのだろうか。


「私にも正確なことを言葉で説明することはできません。ただ、夫が生前に話してくれた内容の中には、宏能さん以外の誰かを好意的に評価する言葉はありませんでした」

「素直には喜べないですね。仕事で世話になった人もいるでしょうに」

「もちろんです。ですが感謝の言葉は話していても、そこに好意はありません。ギブ&テイクの中で、最低限の繋がりを保っているに過ぎません」


 辛辣な表現だと僕は感じた。

 ファノが友人を表現する言葉も、友人が僕以外の誰かに対する態度も。


 僕が彼と出会った学生の時分から、彼はあまり人付き合いを好まなかった。

 ずっと何かを考えていて、ふと思いついたことを試しに僕に話してみるというのがいつもの会話の始まりだった。

 僕は彼の才能を素直に素晴らしいものだと思ったし、その考えを理解できないこともあったけれど、彼は理解されたいとは考えていないようだった。


「夫は、人が自分のことを都合よく解釈することを何より嫌いました。誰かは夫のことを不器用な人だと決めつけて、不要な世話をしようとしました。それは私生活のことでもあり、仕事のことでも起きたそうです」

「世話、というより彼を利用しようとしたということかな」

「そういう利害関係ばかりであればもっと楽だったかも知れません」


 友人は天才と言って差し支えなかった。

 特に自動人形の人格プログラムに関しては世界最高の技術を持っていたのは間違いないし、そのアルゴリズムは誰にも理解されなかった。

 そんな彼に「天才ゆえの破綻」があると決めつけて、利益のためだけでなく、純粋な善意で助けようとした人もいたのだろう。


「そういえば、珍しく彼が酒を飲んで愚痴っていたこともあったな」僕はお茶で口を湿らせた。「何故か俺の私生活が破綻していると決めつけて、やれ食事はしているか、やれきちんと眠っているかと世話しようとして来る奴がいる。それも一人や二人じゃない、と」

「結婚してから、夫は仕事に集中するために私に家事一切を任せていましたが、時には自分で料理をしていましたし、睡眠時間もちゃんととっていましたよ」

「研究結果がまとまりそうな時期は徹夜もしていましたけれどね。でもこれはみんな同じでしたし。僕も例に漏れず、レポートの締め切り前には寝ているような時間はなかったし」


 要するに、才能のある人間には才能の反動のような弱点があって欲しいと考えてしまうのだろう。

 友人は誰かに評価されたいという意識の薄い男で、ただひたすらに自分の作りたいものを目指している印象だった。貶されることはもちろん、誉め言葉すらあいつには鬱陶しかったのかも知れない。

 ましてや、私生活の心配など雑音以外の何物でもなかっただろう。


 そうすると、ファノは友人にとって周囲からの心配を装った雑音に対する防音壁だったのだろうか。

 死後の処理を任せたのも、余計な連中にあれこれとかき回してほしくなかったか。

「だからと言って、あなたが彼に殉じる必要はないのでは?」

「殉じる、と呼べるような高潔な行為ではありません。ただ私は、私の存在を通して夫のことを探るような真似をされるのは耐え難いと考えたのです」


 後始末を任されたとファノは理解している。

 僕もその認識は間違いないと思っているし、改めてファノの決意を聞いたことで彼女は間違いなく友人の一部であり、人生の総まとめのような存在なのだと感じることができた。

 では、僕はどうしてここにいるのだろうか。

 そうだ。話を聞かねばならない。


 それは友人がただ一つ、この世に残したいと思ったものなのだ。

「明日の朝、タクシーで迎えに行きます。近隣の駅ではなく、新幹線の発着駅にそのまま向かいましょう。電車を利用するよりも、その方がゆっくり話が聞けると思いますので」

「かしこまりました」

 ふと、気になることがあった。


「彼は持ち家だったと思うけれど……」

「すでに売却の手続きが完了しています。不動産業者に買い取っていただく手配ができておりますし、あとは私が少量の荷物を持ち出すだけになっています」

 友人は生前のうちにそういった遺産の処理も専門の業者に依頼済みだという。

「私のための新しい生活に困らないようにしていただきましたが、そちらの方は全てキャンセルさせていただきました」


 本人は充電に必要な設備だけあれば充分ということで、今は家の中には大したものは残っておらず、その処分も手配済みであるという。

「形見は遺さなかったのですか」

「小さなものをいくつか。一番大きな夫の形見は、私自身ですので」

「ああ、なるほど。確かにそうですね」


 心なしか、ファノの表情は誇らしげに見える。

 世界に大きな影響を与えた一人の天才は、今目の前にいる最愛の妻を残して亡くなり、今は炎の中にいる。

 その痕跡は生み出されたプログラムとして世界中に存在し、彼の遺作として連綿と受け継がれていくものなのだろう。


「はは、今さらながら、すごい奴だったんだなぁ」

「はい。夫はエンジニアとして偉人でした」

「僕にとっては、酒好きなくせに大して強くもない、愚痴の多い気軽な友達だったんですがね。最後に随分と責任の重い役割を押し付けて、先に逝ってしまうとは……」

「宏能さん、大丈夫ですか?」


 ファノの言葉の意味が最初はわからなかったが、僕は気づかないうちに涙を流していたようだ。

 目の奥が熱い。

「すみません。葬儀でも泣かなかったのに、こんなところで」

 ハンカチで目を押さえて、喉が震えるのをどうにか堪えた。


 ようやく落ち着いてきたあたりで、ホールへの呼び出し放送が聞こえてきた。

 まだ暖かさを感じる台の上、先ほどまで人の形をしていたであろう友人の骨が並んでいる。

 そうか、お前の中身はこうなっていたんだな。別に知りたくなかったよ。

 遺骨散骨のために丁寧に砕かれ、骨壺へと納められた。

 その一連の作業は丁寧でありながら流麗で、努めて機械的であるようにしているように見えた。


「ありがとうございます。宏能さんのおかげで夫を見送る準備ができました。では明日、またよろしくお願いいたします」

「こちらこそ、今日はどうも、お役に立てなかったというか、情けない姿をお店して申し訳ない」

「いえ。夫はきっと、宏能さん以外には立ち上ってほしくなかったでしょう。そして、私が知る限り宏能さんだけが夫のために泣いてくださいました。ありがとうございます」


 言われてみれば、葬儀の際にも誰かが涙を流している様子はなかった。

 一般的には当たり前のことなのかも知れないけれど、葬儀場が奇妙なまでに静かに感じたのは、そのせいかもしれない。

「私は、泣くことができませんので」

 そう言ってファノは静けさの理由を表現した。


「涙を流していなくても、あなたは夫を悼んでいるのはわかります」

「悼む、という感情が私には理解できていません」

「ファノさんが言った、僕以外に立ち会ってほしくなかっただろうという思いやりのことです。自動人形の感情は疑似的なものかも知れませんが、あいつは貴女がそういう言葉を使えることそのものを喜ぶでしょう」

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