善きモノたちへの葬送歌

井戸 正善

1.未亡人の願い

 寂しい葬儀だった。

 三十人は楽に入る葬儀場の広いホールに、時折弔問客が訪れては、定型文のような言葉を呟いては形ばかりの弔いを行う。読経が始まるころには、並べられた来客用のパイプ椅子に座っているのは故人の上司のみ。

 遺体のそばには、うつむいたまま立ち尽くす故人の妻。


 ただ、彼女は正確には妻と呼ぶべきかどうか迷う存在である。

 内縁であるとか、性別的なものではない。生物的な……いや、生物ですらない。彼女は一般的に自動人形リビングドールと呼ばれるロボットなのだ。

 見た目は人間そのものだが、彼女の左目の上に特徴的な表示パネルが小さくはめ込まれていることが、自動人形であることを示していた。


「……では、失礼する」

「ありがとう、ございました。夫も喜んでいると思います」


 読経が終わると、件の上司はその未亡人に一言だけ声をかけ、すぐに僕の方へと近づいてきた。最低限の礼儀だけを済ませているように見えるが、会話をしているというより吐き捨てているかのような声音だった。


「人形が人間を弔うのか。気味が悪い……と思うのは、私が古い人間だからだろうか」

「僕には、なんとも……ただ、彼女には同意します。彼の数少ない知人が来てくださったのですから」

「彼の功績は評価も感謝もしている。だが、自動人形を妻にするなどは……いや、死者を悪く言うのは止そう」


 上司は一礼して会場を離れた。

 故人は決して人付合いが得意な奴ではなかった。僕がほぼ唯一の友人であり、家族は自動人形の彼女のみ。

 不治の病を患い、数か月の入院生活を送る間にも、僕と彼女以外が見舞いに来ることはついになかった。


 そして友人は、魂を持たない人形に看取られた。


 葬儀が終わり、僕は喪主としての最終確認を済ませると、親族の控室へと向かった。

 人間ではない彼女では葬儀社などと契約はできないので、喪主は僕の名義になっている。 行政に任せる選択肢もあったが、見舞いの時に本人から直接頼まれたのだ。

 生きている間に大して力になってやれなかった後悔もある。人付き合いを避けたがる彼にもっと出会いを作るべきではなかったか、と。


 故人は自動人形を始めとした、感情プログラムや仮想人格の構成を行うプロフェッショナルであり、高給取りだった。

 広い会場を使った立派な葬儀も彼が残した遺産があってこそで、僕は名義を貸して細かな手伝いや調整を行っただけで、一円も出していない。

 葬儀の手配は完璧に済ませてあったので、この後の片付けも業者に任せれば良い。明日の火葬についても同様だ。


「自分を焼く手配をするというのは、どういう気分だろうな」


 葬儀場の控室に向かいながら呟いた。

 故人も僕も、まだ三十六歳。高齢の親族や重役の葬儀に立ち会うことはたまにある年齢だが、自分たちがそうなるとはなかなか想像ができない。

 それでも彼は完璧に準備を終えていた。

 色々と思いを巡らせながら、親族控室として用意された八畳の和室に着くと、彼女は茶を用意し、正座のまま待っていた。


 故人からの遺言があると言われ、手が空いたら話がしたいと言われてやってきたのだが、何を言われるのかと身構えてしまう。

 もし財産を譲るなどと言われたら、すぐに断るつもりだった。

 彼女を引き取ってほしいと言われたら、とも考えていたが、これには答えがまだ出せていない。


「お待たせしました」

「夫の希望とはいえ、お手数をおかけしております」

「全てプロが滞りなくやってくれるように手配が済んでいましたから、大したことはしていません」


 ここまでの儀式が終わって実感した。彼が必要としたのは、生きた人間の名義だけだ。

 思い出せるあいつの性格そのままだった。親しくない者には冷たい対応に感じられるかも知れないが、何よりも合理性を優先していて、その実誰かに迷惑をかけたくない強い思いがあるのだ。

 これも遺志なのだろう。


「それで、彼の遺言とは?」

「二つのお願いがあります。まず、これを受け取ってください」

「これは……!」


 封筒に入った分厚い札束は、恐らく二百万ほど。

 彼女はこれを今回の手伝いの礼であり、同時にこれから伝える頼みごとの経費でもあるという。

 経費、という言葉が気になったが、封筒には触れずにまずは先を促した。


「夫は、私に散骨をするよう言い遺しました。ですが、所有者が設定されていない自動人形による公共交通機関の利用は違法です。そこで、一時的に宏能さんに私の所有者になっていただきたいのです」

「散骨の場所は?」

「九州某所にある岬です。許可関係は全て夫が生前に済ませました」


 自動人形は構造上飛行機に乗ることはできないため、電車など陸路を使うことになるが、片道十時間近い距離だ。日帰りというわけにはいかない。道中で一泊するくらいで丁度いい。

 もっとも、僕が所有者として許可を出せば彼女一人で電車に揺られて向かうこともできる。自動人形の彼女なら長時間の電車移動も問題ないだろう。


 亡き友人の希望を叶えるために名義を貸すだけだと思えば、彼女の所有者になるのも葬儀でやったことと大差はない。彼女が問題を起こせば僕に責任を負う義務が発生するのだが、まず問題はないだろう。

 だが、決めるのは全ての希望を聞いてからでも遅くはない。


「もう一つは?」

「私の話を聞いてほしいのです」彼女自身の頼みのような口調。「夫は、亡くなる前に私と一緒になったこと、私を愛した理由を語ってくれました。それは他の誰にも語らなかった夫の内心であり、その過去の経験にかかわることでした」


 当初、彼はその話を妻にだけ話して終わらせるつもりだったらしい。

 しかし、病が彼の身体を蝕むにつれ、心も少しずつ不安と後悔に侵されていった。いつしかその感情は、自分という存在を誰かに語り残してほしいという願望に繋がる。

 彼自身がそう自己分析をしたらしい。まるで自分の死を他人事のように俯瞰しているが、正直な吐露でもあったのだろう。


「夫は宏能さんにだけ、私から伝えるようにと言い遺しました。長い話になりますが、時間を作っていただけないでしょうか」

「……ひとつ、気になることがあります」僕は用意された茶を一口含み、ぬるい液体を飲み込んだ。「あいつの過去を語ってから、あなたは旅に出るということですね?」

「はい」

「では、その後はどうするつもり……いや、あいつはどうしろと言い残しているのですか」

「その後は私の自由にせよ、と言われています」

「それは……」


 無茶を言う、と僕は首を傾げた。

 どれだけ人間に似せても、命令で動くロボットでしかない。感情表現を真似ても感情が発露することはない。条件に合わせた反応でしかないのだ。

 そのはずなのだが、彼女は夫の願いを完遂した後に、やりたいことがある、と。


「夫が散骨を希望する岬の近くに、メーカーの廃棄場があります。そこで私を処分してもらいます」


 自殺、という言葉が頭に浮かんだが彼女は自動人形だ。

 僕は混乱した。自動人形が自分の破壊を望むことなどあり得るのだろうか。いや、それ以前にこれは彼女自身の願いなのだろうか。

 これが亡き友人の命令だとしたら、僕はどう受け止めるべきか。


「それは、あなた自身の希望ですか?」

「はい。夫は私に最後まで稼働することを望んでくれました。ですが、私は夫以外の誰かのために動き続けていたいとは考えられません」

「そうプログラムをされた、と」

「五年以内に感情プログラムが書き換えられた記録はありません」


 夫が稼働継続を望んでいると口にしても、彼女自身は自分の終わりを決めてしまった。

 混乱している僕の前で、彼女は畳に手をついて頭を下げた。露わになった白いうなじに、充電端子を隠した小さな蓋が見える。それが余計に僕のこころを揺らした。


「ご助力をお願いします」


 彼女は、自己矛盾を抱えながらも夫以外の誰かと過ごす人生を選ばないことを決めた。

 なぜ、友人は自分の命令を無視するような判断をするプログラムを、彼女に与えたのだろうか。彼女から伝えられる友人の過去に答えがあるのだろうか。


「……わかりました」僕はたっぷり数分の黙考から声を発した「一時的にあなたの所有者になりましょう。ただ一つ僕からもお願いがあります」


 僕の言葉を受けて顔を上げた彼女の顔をまっすぐに見つめる。


「散骨に同行します。移動時間の間に、彼の遺言を教えてください」

「ありがとうございます。本当に助かります」


 彼女が一瞬だけ目を丸くしたように見えた。普通の自動人形ならば驚愕の表情などありえないが、今の僕には絶対にないとは言い切れなかった。


「どうぞ、よろしくお願いいたします」

「引き受けました」


 返答してから、僕は気づいた。

 目の前の封筒が『経費』だと友人が言い遺した理由は、僕がこう考えるとわかっていたからなのだ。少し居心地が悪かったが、同時に彼が僕を理解していたのだと嬉しくもある。


「では、所有者登録を」彼女の左手のひらにある読み取り装置に、僕の指先を重ねる。「指紋の登録が完了しました。あなたの名前をお願いします。契約内容の説明は必要ですか?」

「わかっているから大丈夫。名前は宏能孝一」

「データセンタ登録の指紋と照合できました」手を放し、彼女は再び頭を下げた。「自動人形LDF07型、個体番号F28-5741。固有名称は“ファノ”です。処分までの短い間ではありますが、よろしくお願いいたします」


 こうして、僕は友人の妻であり、世界で唯一感情を持った自動人形の持ち主となった。

 友人を弔い、彼女の最期の旅路に付き添うために。

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