第2話 血の森
薄暗い森の中、月光だけを頼りに進む。鬱蒼と茂る、背の高い木々の模様が顔に見えて、僕はうわっと悲鳴をあげて転んだ。真っ暗な木の間からは魔獣や
でもそれだけじゃない。この森から漂うのはこの世の物とは思えない程、異質で不気味な空気だ。肌を撫で回すような不快な空気が、僕の恐怖を引き立てる。この異質な雰囲気が父さんの言っていた"境目"なんだろうなと考えながら、僕は痛むお尻をさすりながら立ち上がった。"鮮血の桜"がどこにあるのかはわからない。でも、ここで立ち止まっていても何も始まらない
その時、シャーッと獰猛な声と共に、後ろから黒い物体が背中を目掛けて飛び込んできた。僕は反射的に身をかわして避け、襲ってきた魔獣と相対する。魔獣は僕の背丈の2倍ほどあり、獰猛な牙を持った蛇型の魔獣「赤蛇」だ。全身が鋭く、血のように赤い鱗に覆われ、大きな口からは細い舌が僕を喰わんとばかりに伸びている。
赤蛇は耳障りな鳴き声と共に、突進を仕掛けようと身体をしならせる。僕は焦り、震える足を踏ん張りながら深呼吸し、全身の魔力の流れを意識した。そして魔力を足に溜めタイミングを測る。
「ここだ!」
突進してきた蛇をできるだけ引きつけ、ギリギリでジャンプし攻撃をかわす。攻撃をすかした無防備な蛇の頭に空中から、魔力を溜めた足で思いっきり蹴りを入れた。ガァァンと鈍い衝撃が足に伝わり、その勢いで赤蛇は頭から地面に倒れ込んだ。
「やった!」
黒い地面に倒れ込んだまま、口から血を吐いて動かなくなった赤蛇を確認して、僕はよしと頷いた。そしてそっと自分の太腿を撫でた。足は痛むし、この一撃に大分魔力を消費してしまったけど、なんとか赤蛇を倒すことができた。でも、赤蛇は一応B級の魔獣の筈なのにあまりに呆気なかった気がする。
随分と前、父さんがまだ近衛兵だった時に僕は王都を訪れたことがある。その時に近衛団の見せ物として、父さんが闘技場で戦っていた同じB級の「
ザシュッ
「えっ……」
そう、傲っていたのがいけなかったのだろうか。背中に感じた鋭い痛みが、赤蛇の牙で切り裂かれた物だと認識するのに刹那より長い時間がかかった。そして遅れて、焼けるような痛みが背中を襲う。
「あぁッ……あぁ!」
僕はあまりの痛みに耐えかねて呻いた。完全に気を抜いていた僕は、後ろから飛びかかろうとする赤蛇の気配に気づくこともできなかった。焼けるような痛みが、痛みだけが僕の頭を乱し、視界が真っ赤に染まる。ドロっと嫌な感触が僕の背中をつたい、地面にぼとぼとと血の滴が垂れる。
「……!」
「シャァァッ!」
鱗に傷ひとつつけていない赤蛇が勝利の雄叫びをあげるかのように鳴く。相手の方が僕よりも何枚も上回っていた。死んだふりで僕の油断を誘い、確実な隙をついて僕を仕留めようとしたのだ。そしてそれにまんまと引っかかってしまった。
「畜生……」
僕は子供だ。自分の強さを過信して、相手が死んだか確かめなかったから僕は窮地に陥っている。僕は馬鹿で、子供だ。
「でも死んでられるか……」
血が溢れて、背中が焼けるように熱くて痛い。今すぐにでも泣き喚いてうずくまりたい。だけど、こんなところで死んでられない。兄さんのためにここで"鮮血の桜"を見つけて、その"
僕は脚にありったけの力を込めて立ち上がり、ふらつく足で逃げた。血が流れてゆくたびに身体から力が抜けていくのがわかる。息も苦しい、足が踏ん張れない。
めちゃくちゃに走った。走って、逃げた。どこに向かって走ったのか、どれくらいの時間走ったのかも覚えていない。ただ身体が動かなくなるまで進み続けた。そして、
「うわっ!!」
ふらついた足が木の根に引っかかりドンと派手に転んだ。何とか立ち上がろうと全身に力を入れようとするも、全く身体が動かない。首を動かすのが精一杯だ。視界もぼやけ、頭の奥がズンと痛む。もうどこにいるのかもわからない。絶望的な状況。でも、ぼんやりとした意識の中、赤蛇はまけたかもしれないと僕はそう淡い希望を抱いた。
「シャァァッ」
だけど自然は残酷で、想像よりもずっと賢い。森の奥から聞こえた獰猛な鳴き声が、そんな僕の希望的観測を粉々に打ち壊した。
森の中に迷子で動けなくなった子供が1人。そんな絶好のチャンスを狙わない魔獣がいないわけがなかった。
地面に点々と垂れている血痕を頼りにここまで辿り着いたのか。さっきの赤蛇だけでなく蜘蛛型や昆虫型、狼型など様々な魔獣達が僕の命を刈り取ろうと一歩、また一歩と近づいてくる。
身体が動かせない。意識が朦朧とする。焼けるような鋭い痛みはもはや感じない。あれだけ熱かった身体も今は凍えるように寒い。寒くて、怖くて、心にポッカリと穴が空いたみたいだ。
死を覚悟したその時、僕の頭に浮かんだのは「家族に会いたい」という思いだった。家族に会いたい。会って、みんなに謝りたい。酷いことをいってごめんなさい。勝手に家を飛び出してごめんなさい。わがままを言ってごめんなさい。
父さんと母さんより早く死んじゃってごめんなさい。
「まだ……」
でも、まだ諦めたくない。僕は最後の力を振り絞って、なんとか片手を動かした。小さな手は震えながら地面の土を軽く掻いた。それだけだった。
そんな僕の姿を見て、無情にも魔獣の群れが飛びかかる。もう身体が動かない。死を覚悟し、ぎゅっと目を瞑ったその時だった。
「興が乗ったぞ。汝の望みを叶えてやろう、シュラン・アレクスタ」
天から声が聞こえた。その声はどこまでも透き通っていて泣きたくなるほど美しく、神秘的だった。
その声が耳に届いたのを最後に、僕の意識はぷっつりと消えた。
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