第1話 少年時代
青葉の絨毯が大地を明るい緑色に染め上げ、暖かい陽の光が僕らの頭上をポカポカと照らす。緑の大地に透明なせせらぎが流れ、陽の光を反射しながら僕の膝下を優しく濡らした。
「おい、シュラン!これでも喰らえ!」
兄さんが僕に手で水をかけてくる。やったな、と僕も負けじと兄さんの茶髪に水をかける。ここはラルジュ王国最西部バルツァー領の小さな村、ラスティレッド村だ。ラスティレッドと言うのはこの地に住まう血の女神、ラスティレッド様から来ているらしい。血の女神なんて物騒な名前だけど、ここはのどかで平和な村だ。
バシャバシャと互いに水を掛け合い、服がビショビショになった頃、家から呆れて母さんが出てきた。
「もう……薪を割ってってお願いしたのに、また川で遊んでたのね。こんなに服を濡らして……」
「ごめんなさい、母さん。でも薪はもう割り終わったよ。サボってたわけじゃないから」
兄さんの言葉にお母さんは怪訝な顔を浮かべたのち、あぁとひとりでに頷いた。
「レオン、また水魔法を使ったのね。貴方の年でここまで魔法を使いこなせるのは凄いことだけど、魔法に頼りすぎるのは良くないわ。たまには自分の身体を使って……」
「わかったよ、母さん。で、今日のお昼ご飯は?俺もう腹ペコだよ」
母さんの小言を完全に聞き流して、兄さんは家へと駆け込んだ。
「全く、聞き分けのない子なんだから。びしょ濡れなんだし、先に2人でお風呂に入っちゃいなさい」
「はーい」
何気ない日常、でも僕はそんな平穏で平和な生活が好きだ。僕は母さんに返事をして家へと駆けて行った。
……
あれ、僕はこの景色を前に見た気がする……何だか頭が痛い。でも気のせいか。それにしても何なんだろう、この胸騒ぎは。
……
「にしても凄いなレオン!この歳で上級魔法を完璧に使えるなんて、父さん誇らしいぞ!」
父さんはパンを羊肉のシチューにつけながら嬉しそうに口を開いた。燭台の淡い光が僕らの顔を優しく照らしている。母さんも何だか嬉しそうだ。僕も兄さんが誇らしい。兄さんは魔法の天才だ。先月、魔法大学からの推薦を受けて、今年の入学者の中で最年少として入学することが決まったのだ。
「父さん、俺、"蒼"になれるかな?」
「レオンならなれるさ、何たって俺は数多の魔導士を見てきた元近衛兵だからな。父さんの目に狂いは無い。お前はラルジュ魔法大学に11歳で推薦入学を貰った天才だ。胸を張れ」
そう言って父さんは兄さんにニッと笑いかけた。
「父さん、僕も父さんみたいなかっこいい剣士になれるかな?」
「あぁ、シュランならなれるぞ。何なら俺なんかよりももっと強くて、もっと優しい剣士になれる。良い剣筋だよ、お前の剣は」
そう言って父さんは僕の頭をくしゃくしゃに撫でた。僕は兄さんみたいに魔法は上手く使えないし、頭も良く無い。でも、剣がある。憧れの父さんや兄さんと同じくらい、僕も剣で強くなりたい。
「にしても遂に来月からレオンが独り立ちか……寂しくなるなぁ」
父さんが酒を盃に酌みながら寂しそうにボヤいた。その言葉を境に食卓が沈黙に包まれる。兄さんはまだ11歳だ。普通は大人になってひとり立ちするまではあと5年もある。
だけど、兄さんは来月大学に行く。大学は家からは遠すぎるので、寮で暮らすことになる。だから、少なくとも兄さんが大学を卒業する5年後までは僕たちは兄さんと暮らすことができない。いや、5年後の兄さんはもう大人だ。僕たち家族と兄さんとの時間はあと少ししか無い。
「なぁ、レオン。少し気の早い話かも知れないが……旅路を護りし物(アミュレット)は何が欲しい?」
父さんはシチューを掬いながら唐突に口を開いた。旅路を護りし物(アミュレット)、それは僕たちの国で、旅立つ愛しい人に送るお守りだ。道中安全でいられるように、旅路に神様のご加護があるようにと祈りと願いを込めた大切な物。そしてそれはどんな形であっても良い。
「……鮮血の桜(ブラッディ・チェリー)の小枝を、少し」
「レオン、」
「わかってるよ父さん!ダメなのはわかってる。許されないのもわかってる。だけどどうしても欲しいんだ。俺は、あの日見た桜の美しさを忘れられないんだ!父さんは"血の森"(ブラッディー・フォレスト)の守り人だ。だから、少し折って持って帰るぐらいなら……」
兄さんの訴えに父さんは哀しそうな顔で答えた。
「悪いが、どうしても無理なんだ。あの森は「鮮血の女神」ラスティレッド様が住まう神聖な森で、鮮血の桜(ブラッディ・チェリー)は天界とこちらの世界を結ぶ神の依代だ。あの聖樹を汚すことは例え国王であろうとも許されない。そしてそれを守りきるのが"守り人"の仕事だ」
父さんの断固とした答えを聞き、兄さんはどこか諦めたかのように俯いた。僕は鮮血の桜を見た事がない。そもそも"守り人"以外が血の森に入ることは決して許されていない。だけど、鮮血の桜はそれはそれはとてつもなく美しいと有名だ。
そして今の父さんの仕事は血の森の"守り人"だ。守り人とは血の森に住まう女神様にお供え物を捧げ、儀式を司り、聖なる森を守る仕事。父さんはこの仕事に誇りを持っているみたいだけど、僕は昔の父さんの方がずっと好きだった。
2年前まで父さんは王都の近衛兵、しかもその副団長として務めていた。その頃の父さんは今と違ってなかなか家に帰ってこれなかったけど、騎士らしくピリリとしていて凄くカッコよかった。純白の軍服に身を包み、魔剣を背中に携えた父さんの後ろ姿は、眩しく輝いて見えて、そんな姿に憧れて僕は剣を握った。
だけど、2年前に父さんは突然近衛兵を辞めて"守り人"になった。"守り人"になってからは父さんは剣を振るうことも滅多になくなって、家にいる機会も増えた。家の中で酒を酌みながら僕らに気さくに語りかける父さんからは、もうあの日のように威厳のある騎士の面影など感じられなかった。
どうして父さんは誉れ高い近衛兵を辞めて、こんな小さな村の守り人なんてやっているんだろう。どうせ、あの森に祀られているのは、
「大した神様じゃ無いくせに、なんでそんなに神様、神様って……」
僕の小さな独り言は、静まり返った家の中では聞き取るのに十分な声量だった。
「シュラン。その言葉を取り消しなさい。血の森の女神様に対して失れ……」
母さんの宥めるかのような注意が、さっきから僕の心で燻っていた何かを抑えられない激情へとさせた。
「父さんも母さんも、みんな兄さんよりも神様のほうが大事って言いたいの!?」
僕は椅子を蹴って立ち上がった。かん高い叫び声が家中に響き渡る。皆が僕の突然の叫びに驚いたように一瞬表情を固まらせた。
「ねぇ、おかしいって思わない?兄さんは来月にいなくなっちゃうんだよ!、大学に行ったらもう……きっと兄さんと一緒にこの家で暮らすことは無いんだよ!?それでも兄さんより掟の方が大事なわけ?」
「……気持ちはわかる。痛いほどわかる。けどな、ダメなんだ。これは掟だ」
「掟、掟って!父さんは!」
なんで父さんはこんなに冷静なんだ。どうして母さんは落ち着いてるんだ。2人とも兄さんの親なのに、なぜ掟ばかりに拘るんだ。僕の怒りが沸点に達したその時だった。
「もういい、シュラン。無理言った俺が悪かった、だからもう怒らないでくれ。俺は別に鮮血の桜じゃなくてもいいんだよ」
僕の言葉を遮るように、兄さんが場を宥めた。
「兄さんまで……」
「それに鮮血の桜じゃなくても大事な家族がくれた"旅路を護りし者"(アミュレット)なら、俺は満足だよ」
穏やかな兄さんの声が僕の心をめちゃくちゃに乱す。兄さんの言葉で僕は悟ってしまった。この場で子どもだったのは僕だけだ。みんなもっと大人で、兄さんですら妥協して掟を受け入れていたというのに。兄さんに"鮮血の桜"を見せたいと躍起になって我儘を言っていたのは僕だけだ。
「でも、嫌だ……」
きっと僕は妥協ができない。僕が間違ってるのも、子供なのも分かってる。でも諦めきれない。僕は後悔なく兄さんの門出を見送りたい。
「父さん達が無理なら……僕が取ってくる!」
僕はバツの悪さを誤魔化すように椅子を蹴って家から飛び出した。兄さん達が待てと僕を引き止める声を背に、夜の森へと駆け出していった。
……
あれ? なんで、 僕の足は震えているんだ?
怖いのか? どうして? なんだか凄く嫌な予感がする。
俺はこの光景を知っている。そんな気がする。いや、そんな気がした。
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