諜報員は謎解きも得意。
猫屋 寝子
ミステリーを買いに行っただけなのに
――本屋にご遺体が転がっている。それも、ミステリー特集のあるコーナーに。
そんな衝撃的な状況にもかかわらず、女子高生である
勉は自らの生い立ちに感謝をした。これほど落ち着いていられるのは、自身がスパイ一家の末っ子だからだろう。さすがに遺体を見るのは初めてだったが、培ってきた精神力はここでも発揮されるようだ。
勉は遺体を観察し分かったことを、脳内でまとめる。
――被害者は30歳代女性。身長は女性の平均身長くらいだろうか。ここの店員らしく、他の店員同様の緑色のエプロンをつけている。後頭部に打撲痕があり、おそらくそれが死因だろう。近くに脚立と1000ページ近くありそうなハードブックの本が落ちており、その背表紙の下角に血がついているため凶器はこの本だと推測できる。血はもうカピカピに固まっており、死後結構な時間が経っていることは明らかだ。
「鈍器本が凶器とか笑えないって……」
勉がそう苦笑いを浮かべていると、ようやく警察官と思われる人物達がやってきた。警察官の隣には店員と同じエプロンをした中年男性の姿がある。暗い表情を浮かべた彼の胸元には『店長』と書かれたネームプレートがあった。従業員がなくなったショックの大きさからか、遺体を見るなり「斎藤さん……」と両手で顔を覆って膝から崩れ落ちている。
「斎藤さんで間違いないです。でも、どうしてこんなことに? 朝、彼女と普通に話をしました。そのあと彼女はいつものように開店準備をして……。どうして、彼女が――」
声を震わせ泣き始める店長。勉は思わず彼から視線を逸らした。
――突然に訪れる別れ。その辛さは勉がよく知っているものだ。勉は過去に引っ張られまいと、自身の胸の痛みに気づかないふりをした。
横目で警察官が店長を別室へと連れて行く姿が見える。そしてそれに倣うように、他の客達も警察官の誘導によって場所を移動し始めた。勉も彼らと一緒に別室へ移動する。
先ほどはつい癖で現場の観察をしてしまったが、勉は積極的に事件について口を挟むつもりがなかった。下手に目立って、自身の本業に支障が出るのは避けたい。捜査は警察に任せて、勉は第一発見者としての役割に勤しむこととした。
***
それからしばらく待機していると、二人の刑事が勉の元へとやってきた。身長差が大きいコンビで、小さい方は20代後半くらいでキツネのような目元が鋭い顔立ちの男、大きい方は40代前後くらいの虎のような獰猛な顔つきをした男だ。勉は彼らの名前を覚える気もないため、大きい方と小さい方で認識した。
二人は警察手帳を出し自己紹介を終えると、大きい方が勉に尋ねる。
「あなたが、第一発見者ですか?」
勉は頷き、偽名を名乗る。
「はい。
小さい方が手帳とペンを手にメモを取っており、大きい方が勉に死体発見当時の状況を尋ねた。勉はそれに対し素直に答える。
そんなやりとりを数回繰り返して、いよいよ最後の質問が終わった。小さい方は手帳をしまうとため息を吐く。
「どうやら、店長の言う通り事故みたいですね。被害者は今朝開店前に高い位置の本を整理しており、誤って頭に本を落としてしまった。その当たり所が悪く、亡くなってしまったのでしょう」
「そうだな」
二人はそう互いに頷きあっており、勉は思わず「は?」と声を出す。
――どう見ても殺人事件なのに、この刑事達は何を言ってるんだ?
二人の視線が勉に向けられた。二人とも不思議そうな表情を浮かべて、首を小さく横に傾けている。先ほどの言葉は冗談ではなく本気で言っていると分かり、勉は軽く咳ばらいをすると意を決して口を開いた。あまり目立ちたくはないが、殺人事件を見逃すのは後味が悪い。
「これは殺人事件ですよ」
「「は?」」
今度は二人の刑事がそろって声をあげた。大きい方が眉間にしわを寄せて、声を低くする。
「どういう意味だ? どう見たって事故だろう」
体格がいいこともあり、彼の言葉には迫力があった。一般人なら恐怖を覚えるところだ。しかし、勉はスパイである。もっと恐ろしい人物を相手にしたことがあるため、微塵も怖いと思わなかった。それに――彼は勉の話を無視することなく、聞こうとしている。決して馬鹿にしているわけでも、怖がらせようとしているわけでもない。勉は、彼が怖がらせるつもりはないが怖がらせてしまうタイプの人間なのだろうと思った。
小さい方はというと、大きい方の意見に同意するように何度も頷いている。彼は不思議そうな顔をしており、純粋に勉の意見に疑問を持っただけのようだ。
勉は首を横に振ると、殺人事件である証拠について話し始めた。
「近くに落ちていた凶器であろう本と被害者の打撲痕。これらが殺人事件である何よりの証拠です」
再び顔を見合わせる刑事達。勉はもう一度、丁寧に説明をする。
「もし、高いところにあった本を取ろうとして誤ってそれが頭に落ちてしまったと仮定しましょう。その場合、本のどこの部位が頭に当たるでしょうか?」
勉の質問に、小さい方が答える。
「それは角でしょう。角以外が当たったのなら、死に至ることはないと思います」
「その通りです。今回、近くに落ちていた本は、背表紙の下の方の角が血に染まっていました。しかし、高いところから落ちた本が頭に当たったとしたら、これは少しおかしいんですよ。だって、本を本棚から抜き取る時、多くの人は背表紙の上側を後ろに倒して取るでしょう? もしその途中で落としてしまった時、本は重力に従って後ろに倒れて落ちますよね。後ろに倒れた本は重力に従って上下逆さになりますから、背表紙の上の角が頭に当たるはずです。凶器と思われる本はとても分厚いので何回転もすると思えませんし」
それぞれ想像しているのか、宙を見ながら「確かに……?」と言葉を洩らした。勉はさらに言葉を続ける。
「それと、打撲痕の位置もおかしいです。上部で取ったものが落ちてきたならば、普通顔は上を向いていますよね。ぶつかるのは前頭部――もしくは額でしょう」
「しかし、顔に落ちるのを防ぐために下を向いたという可能性もあるぞ」
大きい方が顎に手を当てて言う。
「それは脚立などを使わず、背伸びして高いところの本を取った時――自分と落ちてくるものの距離があった場合に限ります。何故なら、もし脚立を用いて高いところのものを取った場合、自然と顔とその落ちてくるものとの距離が近くなるからです。距離が近くなるということは、顔に当たらないよう下を向く時間がないということ。どう頑張っても、顔面直撃です」
そう眉を下げて肩をすくめる勉。二人の様子を窺うと、小さい方が納得したように数回頷いているのに対し、大きい方はまだ納得していないようだった。勉はもう一押し、と言葉を続ける。
「ここは本屋ですから、女性の平均くらいの身長である彼女は高いところの本を取る際、脚立を使うでしょう。実際、現場には脚立がありましたしね。それと、これがもし本を整理している際に起きた事故だったら、脚立から落ちた時の打撲痕が見当たらないのはおかしいんですよ。本が当たって脚立から落ちたのなら、前頭部と後頭部に打撲痕があるはず。そうでしょう?」
軽く首を傾げる勉に、小さい方は納得したのか「それもそうですね」と手を打つ。大きい方がそれを睨んだ。
「それだけでは殺人事件という証明にはならん。本にも指紋は残っていなかったしな」
睨まれたことに気づいた小さい方は、顔を強張らせピュッと姿勢を正す。どうやら大きい方が立場的に上であり、頭が上がらないようだ。
勉は先ほどの大きい方の言葉に、思わず笑ってしまう。
「ほら、それこそが殺人事件という証拠じゃないですか」
意味が分からない、と言いたげな様子で大きい方が眉を顰める。これに対しては小さい方もそう思っているようで、不思議そうに首を傾けている。
――刑事ならば、これぐらい分かってもらいたいものだ。
勉はそう心の中で苦笑いを浮かべながら、説明を付け加えた。
「刑事さん達がおっしゃったように本の整理をしていてその本が頭に落ちたのだったら、被害者の指紋が本についていなければおかしいでしょう」
二人がハッとした表情を浮かべる。その様子を見ながら、勉は言葉を続けた。
「今回の場合、犯人が意図的に指紋を拭きとったんだと思います。被害者が手袋をして本の整理をしていたという説も考えられるかと思いますが、それは否定できますよね。だって、死体は手袋をつけていませんでしたから。誰かが意図的にとった、なんてことも考えにくいでしょう? それこそ、何のために――っていう話ですよ」
ようやく勉の意見を信じたのか、二人は再び手帳を取り出して状況を整理し始める。
「それじゃあ、被害者の交友関係を洗わないといけないな」
「犯人は身近な人物でしょうか」
その効率の悪い話し合いに、勉は思わず再び間に入った。どうせ事件を解決するのなら、早くに犯人逮捕した方がいい。
「私が入店して死体を見つけたのは、開店して間もなくのことでした。開店してから殺されたにしては、血の凝固が進んでいます。店内で客の目をかいくぐって人を殺すのも難しいでしょうし、犯行は開店前でしょうね。――そうすると、ですよ」
勉は一旦一呼吸置くと、二人の顔を見る。二人とも真剣な表情で勉の次の言葉を待っていた。その様子に、勉は心にとどめておいた苦笑いを表に出してしまう。
――ここまで話して伝わらないなんて!
勉は小さく息を吐くと、刑事二人に気づいてほしかった答えを口にした。
「開店前の店内に入ることのできた人物が犯人だと、まずは考えられませんか? 捜査をするなら、初めにその人物と被害者の周りから調べていった方が効率的でしょう」
勉の提案に、二人は顔を見合わせしばし言葉を失う。しかしすぐに目を輝かせると、大きい方が勢いのまま勉の手を握った。大きい体格のため迫力満点であるが、目が少年のように輝いており少し可愛らしく見える。小さい方はというと、90度以上ではないかと思うほど深々と頭を下げていた。二人とも事件に対し真剣に取り組んでいることがうかがえる。
「ありがとう。君は頭がいいんだな」
「捜査協力、ありがとうございます!」
二人の突然の行動に勉は少し後退した。そして大きい方の手を離すと、困ったように笑う。――別に、警察や被害者のために口を挟んだわけではない。ただ、殺人事件を見逃すのが嫌だっただけだ。
「いえ……。私は私の考えを言っただけなので。参考になったのならよかったです」
勉はそう言いながらも、真っ直ぐに感謝をされてどこかむず痒い感覚を覚えたのだった。
***
その数日後、勉はネットニュースで本屋での殺人事件の犯人が逮捕された、という記事を見た。どうやら犯人はあの本屋の店長だったらしい。好意を抱いていた被害者に拒絶されたため、カッとなって殺してしまったとのことだ。
「……同情したのに」
本人確認をしていた店長の姿を思い浮かべ、勉はため息を吐く。隣に座っている次兄、
走は勉の言葉の意味を理解すると、笑って勉の頭を撫でた。
「勉は素直だからな。推理は一級品でも、騙されやすい。ま、そこが可愛いポイントのひとつでもある」
勉は納得いかず、頬を膨らませる。
「推理すれば、嘘だって見抜けるもん」
「でも、疑うことを知らないだろ?」
にやにやと笑う走に、勉は思わず横っ腹を肘でついた。痛みに悶える走を横目に、勉はキッチンから手作りお菓子を持ってきた姉――
「わ、クッキーだ。美味しそう」
テーブルに置かれたクッキーののったお皿を見て、勉は目を輝かせた。その様子に微笑みながら、学が柔らかい声で言う。
「勉ちゃんはそのままでいいんだよ。疑わずとも真実を見抜く力があるんだから」
学の優しい言葉に、勉は視線を学に戻し「ありがとう」と頬を緩ませた。横目で走が頷いているのが分かる。素直に言えないだけで、走も同じことが言いたかったようだ。
ちょうどその時、長兄、
「勉、次の依頼のことなんだけど――って、いい匂いだね」
手に資料を持った輝の視線がテーブルに向けられる。
「今日のおやつ、クッキーだよ。
「そうそう、仕事の話する前に食べようぜ。あったかいうちに食べるのが一番旨いんだから」
学と走の言葉に、輝は柔らかく微笑んだ。
「そうだね。急ぎの依頼でもないし、お茶してからにしようか」
輝の言葉に、勉が立ち上がる。――ここは自分の出番だろう。
「それじゃあ、私、飲み物を淹れてくるね。皆コーヒーで大丈夫?」
勉の質問に、全員が頷く。勉は兄妹の中で一番コーヒーを淹れるのが上手い。そのため、家族でお茶休憩をする際は、勉がコーヒーを淹れるのが慣例となっていた。
勉は「了解」と微笑むと、キッチンへと向かう。にぎやかな家族の声を背に、勉は改めて自身が一般的な家庭と異なると実感した。一般的な家庭は家族が殺人事件に巻き込まれるなんて心配してやまないだろうに、貴家家に関してはそんな素振りが一切ないのだ。
もちろん、家族が冷淡なわけではない。今回のケースが勉自身に危険なことがなく、家族が勉の能力を買っているからこそ、何も心配しないのだ。もし勉に何かあれば、持っている諜報技術をすべて使って家族総出で助けてくれるだろう。
勉はコーヒーを淹れながら、改めて思う。――こんな一風変わった貴家家が好きだな、と。
諜報員は謎解きも得意。 猫屋 寝子 @kotoraneko
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