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 まだ十八だというキャバクラ嬢の馬鹿話に相槌を打ちながらも、秋葉は胃にシコリのようなものがあり、それが疼き続けているのを感じていた。

 目の前の少女は客として来た芸能人のことを自慢げに話している。秋葉は本能的にメモにペンを走らせ、それを書き留めた。謝礼の三万円を渡す。少女は名刺を差し出しながら、

「よかったらおじさんも一度来てよ」

 と秋葉の方を見ずに言うや、そそくさとバーガーショップを出ていった。秋葉は溜息をつきながら、手帳にメモしていた番号に電話をかけた。すぐに相手が出る。歌舞伎町のヘルスに勤める少女だった。この後取材が入っているのだ。そしてその取材でまた、客として来た芸能人やスポーツ選手、マスコミ関係の有名人の名前を聞き出し、どういうサービスを要求したのかを質問し、もらった答えを雑誌社に売りに行く。クソみたいな仕事だったが、それが今の秋葉の生業となっていた。

「取材、今からいいかな?」

「いいけど……」

 面倒臭そうな声。だが、少し喋るだけで金が手に入る。金の誘惑には勝てない。秋葉は店の場所を説明し、電話を切った。目を閉じる。途端、虚しさがこみ上げてくる。このままどこかへ逃げ出したい、そう思った。だが、逃げ出せないこともわかっていた。もし何もかも放り出し、逃げ出したとしたら、今よりもっとひどい自己嫌悪に陥ることが目に見えていたからだ。

 目を開き、店内を見渡す。途端に喧騒が耳に飛び込んでくる。どれもこれもガキばかりだった。男も女も髪を茶や金に染め、だらしなく制服を着ている。新宿東口のバーガーチェーンの二階。さほど広くない店内はガキたちの溜り場と化していた。秋葉ひとりが浮いている。自虐的に、秋葉は三十八歳という年齢を噛み締めていた。

 やがて、待ち合わせ時間に一時間遅れてヘルス嬢がやってきた。髪は金色、原色のセーターにスエードのミニ。不貞腐れた態度で秋葉の方へ近づいてくる。二度目の取材だった。

 四杯目のコーヒーを飲み干したばかりの秋葉の胃は悲鳴を上げていた。こういう取材だと待つことは日常茶飯事だ。最近の若者は平気で時間に遅れてくる。中には黙ってすっぽかす者も少なくなかった。そしてそれを全く悪いと思っていない。目の前の少女もそうだった。遅れた言い訳さえせず、かといって謝ることもしない。黙ってそっぽを向いている。

 秋葉は溜息をつき、そして頭を振った。

 そんな秋葉を見て少女が舌打ちをする。そして、それが仕事だとでもいうように、ヴィトンのバッグからエルメスのシガレットケースを取り出し、メンソールを口に銜え、火をつけた。秋葉の方へ煙を吐き出す。

 秋葉は煙草を吸わない。十代の頃、ふざけて一度吸ったことがあるだけだ。その時はひどい自己嫌悪に陥った。今でも覚えている。野球をする者が何をしているのだと自らを罵ったことも覚えている。以来一本も吸っていなかった。

 野球をやめて二十年。もう吸ってもよさそうなものなのだが、なぜか吸えないでいた。吸うと、本当の意味で野球から離れてしまうかもしれないという恐怖のようなものがあるのだろうか。自分でもよくわからないが、なぜか吸うのが怖かった。あれ以来一度もボールを握ったことなどないというのに……。

 秋葉は煙を払いのけながら、少女に取材を始めようとした。と、誰かが窓際の秋葉たちのテーブルに近づいてくる気配がした。店員かと思ってそちらを何気なく見た秋葉の目に、懐かしいが、変わり果てた男の姿が映った。

「やっぱり秋葉か。リサに秋葉っていうオヤジから取材受けるって聞いた時、もしかしたらって思ったんだよ」

「……」

 学生時代そのままの甲高い声で言う。結城だった。だが、その声と百九十センチを超える長身に面影が残っているだけであり、筋肉質の体は痩せこけ、ひょろ長さだけが目立っていた。短髪だった髪は長くなり、オールバックにまとめている。それでも結城だとわかった。雰囲気だ。常に鋭利な心を前面に押し出してくる雰囲気だ。

 パープルのスーツに身を包み、真っ白なトレンチを羽織っている。一見して筋者だとわかる格好だ。それも一昔前のヤクザファッション。噂には聞いていたが、極道になったというのは本当だったのだ。

 それまで店内で傍若無人な振る舞いをしていたガキどもが大人しくなる。

「結城……」

「ほう、覚えててくれたか、秋葉。いや、キャプテン! 何せそっちは有名人だからな。雑誌に高尚な記事を書いてらっしゃる」

「……」

 秋葉は芸能誌に記事を書く時、ペンネームではなく、本名を名乗っていた。それを読んでいたのだろう。秋葉も最初はペンネームにしようとした。だが、名乗らないでゴシップを書くのは逃げているようで嫌だったし、それに自虐的な意味もあった。どこか自分のやっていることに嫌気がさしていたし、苛立ってもいたのだ。そのため、自分を責めるように、自分自身がやっていることを認識させようとする意味で本名を名乗っていたのだ。

 結城がリサの隣にドカッと座る。

「元気そうじゃないか、結城」

 何と声をかけていいかわからず、秋葉はとりあえずそう言っていた。

「見たとおりだよ。元気にやってるよ」

 結城はどこか投げ遣りな調子で言った。

「……そうか」

 まるで別人だった。百キロ以上あった体重は今、おそらく八十キロにも満たないのではないか。切れ長の目はギラギラし、黄色く濁っている。吐く息は酒臭かった。

「秋葉、おまえあんなしょうもない記事なんて書いてないでよ、俺の話を書けよ。売れるぜ、ノンフィクションで売り出せよ」

 そう言いながら、結城はスーツのポケットから一枚の名刺を取り出した。そこには金文字で、「関東十人会 新宿東洋会若頭・結城昇」と刷られてあった。東洋会といえば、歌舞伎町一帯の風俗店の元締めだった。確か新宿コマ劇場北側にある雑居ビルの一室に事務所を構えていたはずだ。結城はそこの若頭、つまりナンバー2だった。

「なあ、俺の話を書けよ。暴力高校球児が反社になるまでのサクセスストーリーをよぉ。何なら……」

 甲高い声でまくし立ててはいるが、なぜか泣き声を連想させた。

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オールドルーキーズ 登美丘 丈 @tommyjoe

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