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 秋葉はフリーライターだ。

 高校野球を終えた秋葉は、北海道の実家へ戻らず、野球とも離れ、東京で様々な職に就いた。建築現場の作業員に始まり、ガードマン、食品工場のオペレーター、新聞勧誘員、タクシードライバー、車の営業マン……それらを経た秋葉は、縁あって新聞社に契約社員として採用される。

 小遣いを稼ぐため、タクシードライバー時代のエピソードを面白おかしく書いたルポを投稿したところ、見事採用され、賞金を手にすることができたのだ。それがきっかけで契約ライターとして新聞社に採用されたのだった。

 しかし、いざ新聞社に籍を置いてみると、色々なしがらみや規制があった。どうしても会社寄りというか、会社の考えに沿った記事を書かなければならない。時には事実を捻じ曲げて書かなければならない。結果、なかなか真実を書ききれないと一年で悟り、絶望の中、退社し、フリーのライターの道を選んだのだった。

 フリーになってからも、政治家の汚職を追っている中、妨害に遭い、信念を貫けず、逃げ出した。今では専ら三流週刊誌のゴシップ記事を書いていた。そんな状態だったから、三十八になるまで結婚もできず、浮いた話ひとつなかった。

 秋葉は西新宿の1DKの自宅アパートを仕事場にしている。仕事場といっても仕事道具はパソコンがあるだけの場所だった。それだけあれば成り立つ仕事だった。

 今日も午後からキャバクラ嬢の取材が入っていた。待ち合わせは新宿だ。新宿まで徒歩十五分で行けるため、秋葉は午後までゆっくり過ごそうと思い、ベッドに横たわったまま何気なくテレビのリモコンのスイッチを押した。

 画面に見覚えのある家が映った。森田の家だった。他に取り上げることがないのか、アマチュアとはいえ、野球選手の試合中の死が視聴率を取れるとふんだのか、出棺の場面のVTRが流されていた。リポーターの偽善顔がアップになり、悲しくもないのに悲しそうな顔で棒読み原稿を読み上げていた。

「森田さんは、昨年までチームのエースでした。しかしながら今季はチーム事情から打者としてチームに貢献してきました。それが悲しい結果を招く原因になろうとは、誰にも予想すらできなかったことでしょう。森田さんは以前から引退を表明しており、来季からのピッチングコーチ就任をチームから打診されていましたが、近しい方のお話によると、一年間肩を休めることができたため、来年はメジャーに挑戦したいとおっしゃっていたそうです。しかしながら、それは叶わぬ夢となってしまいました。社会人最後のゲームが、皮肉にも真の意味でラストゲームとなったのでした。なお……」

 秋葉はリポーターに教えられた。森田がメジャーに挑戦しようとしていたことを。

「最後の花道を飾りたかったのか……」

 森田は高校時代からメジャーに関心を持っていた。それは叶も同様だった。事実、叶は去年までアメリカに住み、メジャーに挑戦していた。結局、夢は叶わず、2A止まりだったが……。

 その後、家の事情もあって帰国したようだ。森田の場合、二十代の頃に挑戦していたら、もしかしたら……という期待を抱かせるピッチャーだった。高校時代から百五十キロ近い球を投げ、ストレートと大きく曲がるカーブだけでバッタバッタと三振の山を築いていた。二十代になると伸び悩んだ感はあったが、スライダーとフォークを覚えてからは見事復活した。

 森田は野球を愛していた。そしてチームを愛していた。一年でも、いや、一日でも長く野球をやるため、体のケアを念入りにし、鍛錬に励んでいた。森田は、何度もドラフトで指名されながら、プロには行かなかった。日本のプロ野球よりメジャーに興味があったことはもちろん、それ以上に森田はチームを大切にしていた。恩義を感じていたのだ。

 夏の甲子園地区予選決勝で、あんなことがあったために……秋葉たち神中高野球部は不完全燃焼のまま解散した。そんな中、森田は唯一声をかけてくれた社会人チームに入ることになった。そして、恩義を大切にする森田のことだから、唯一声をかけてくれた今のチームを裏切ってプロに行ったり、メジャーに挑戦することなどできなかったのだ。

 しかし、投手としては戦力外と宣告されたも同然の今季、本来ならシーズンが始まる前にさっさと退部し、メジャーに挑戦しても誰も森田を責めなかったはずだ。だが、森田はそうはしなかった。どこまでも律儀な森田のこと、立つ鳥あとを濁さずで、この一年をお礼奉公の一年間とし、初優勝に貢献したかったのだろう。しかし……初優勝の夢は叶わず、また森田の夢も幻と消えた。

 秋葉はチャンネルをかえた。他のワイドショーも同じ映像が流れていた。秋葉は目を閉じ、そしてスイッチをオフにした。

 まるでそれを待っていたかのようにスマートフォンが震える。画面には「武藤」の文字。昨日の森田の葬儀で交換したばかりの番号が並んでいる。

「まいど、武藤や!」

 ガラガラの大阪弁。武藤は大阪から森田の葬儀に駆けつけていたのだ。

「……武藤、どうした?」

「いや、昨日は悪かったなと思てな。何せ大阪やさかい、出棺待たずに帰らしてもろたから……」

 武藤は大阪泉南生まれの泉南育ちだった。幼い頃に両親を亡くし、中学を出るまでは施設で過ごした。高校に進むことはできず、町工場に就職したものの、物心ついた頃から続けてきた野球に未練があり、神中高の野球部員募集広告を見て応募してきた。

 百八十センチを超える長身に、体重は百二十キロ、はじめて武藤を見た時は、冗談ではなくダンプカーのように見えた。野球部が解散したあの夏、武藤は故郷の大阪へ戻った。そして独学で不動産の勉強をし、現在は小さいながらも不動産屋を経営している。あれ以来、野球はしていないと話していた。

「いや、気にするなよ。俺も出棺後はすぐに帰ったし……」

「……ほうか。そっちの人間に声かけて弔い酒というか、森田を送る会でもせんかったんかいな?」

「……ああ、みんな何かと忙しいみたいだからな」

 嘘だった。叶を含め、関東近郊を生活圏にしているかつての神宮中央高校野球部メンバーは数人いる。情けないことに、それも大阪を生活圏にしている武藤から昨日教えられたのだが……。

 秋葉はあの夏以来、武藤と森田以外のメンバーとは一切連絡を取っていなかった。その武藤と森田にしても、律儀な二人から年賀状や暑中見舞いが来るため、その返事を書くことで何とか付き合いを保っていたのだが……。

 本来ならキャプテンであった秋葉が音頭をとるべきだったのかもしれない。武藤の言うように、弔い酒を飲み、森田を送る会を開けばよかったのかもしれない。だが、そんな気にはなれなかった。

 何かを感じ取ったのか、武藤はしばらく黙り込んだ。昔から体の割に繊細な男だった。秋葉はキャプテンだったが、それはリーダーシップがあるとか、カリスマ性があるとか、実力があるとか、そんな理由でキャプテンに選ばれたのではなかった。ただ単に、どこでも守れるという理由で選ばれたのだ。何かあった時のために便利だから選ばれたのだ。それがわかっていただけに、秋葉は何かあるとまず武藤に相談した。武藤は求心力があり、胆が据わっており、皆に信頼され、一目置かれていた。もちろん秋葉も武藤を信頼していた。大きさを感じていた。だから腹を割って何でも話すことができたし、涙を流すこともできたのだ。

 武藤は繊細だが、風貌はゴツかった。額から右の目尻にかけて大きな傷痕がある。あの夏の最後の試合、キャッチャーだった武藤は、ホーム上のクロスプレーでスパイクされたのだ。本来なら顔にスパイクされるなどあり得ないことだ。だが、相手はそれを仕掛けてきた。それが、あの惨事の序章になったのだが……。

 その傷痕が生々しく残る顔はフランケンシュタインそのもので、目つきは鋭く、鼻も口も大ぶりで、おまけに口髭と顎鬚を生やしている。今でも夜道を歩いていると、彼を見て逃げ出す女性がいるらしい。だが、昨日会った武藤は昔の面影は薄れ、少し痩せ、表情もやさしくなっていた。「この不況で商売がうまいこといってないんや」と苦笑していたのを思い出す。

「ほな、また連絡するわ」

 唐突に武藤は言い、電話は切られた。秋葉は拍子抜けし、しばらくスマホを眺めていたが、それをベッドに放り投げた。

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