　神宮中央高校に集まってきた球児たちは、何かしらの事情を抱えていた。

　北海道の漁師町出身の秋葉は、中学を卒業すると漁師の父の跡を継ぐことが既定路線になっており、高校へは進学せず、船に乗っていた。

　神奈川の野球名門校に進んだ森田は、中学時代からその素質に注目されていたが、部の伝統とかでボールを握らせてもらえず、理不尽なシゴキやイジメを受け、それに嫌気がさし、退部していた。

　叶も都内の名門校の野球部に入部していたが、何においても気合いや根性で片づける部の体質や、意味がなく計画性のない無駄な練習に嫌気がさし、退部していた。

　森田も叶もその頃からメジャー志向があった。当時は今ほどメジャーが身近でなかったが、二人ともメジャーリーガーの練習法や調整法の本をよく読んでおり、日本の遅れた練習法に嫌気がさしていたようだった。そのあたりで二人はウマが合ったのだろう。

　神中高の野球部員募集を知った時、秋葉は即座に両親に頭を下げていた。高校に通っていれば、二年生になる直前の春だった。三年間だけ猶予をくれとお願いした。父は反対した。漁こそ命、人生だという父は、秋葉が野球をすること自体反対だった。

　幼い頃から一度もキャッチボールすらしてくれなかった。だが秋葉は、父は野球が嫌いではないはずだと思っていた。なぜなら、秋葉が野球を知り、好きになったのは、父が見ていたナイター中継がきっかけだったからだ。だが父は、秋葉がせがんでも、ボールひとつ買ってくれなかった。グローブもバットもボールも、母が干物売りの行商で稼いだお金で買ってくれた。ある時秋葉は母に尋ねてみた。父は野球が嫌いなのかと。母は「さあ……」とだけ答えた。寂しそうな表情だった。その答と態度で、秋葉は、父は野球が嫌いなのかもしれないと思うようになった。

　秋葉は小学校高学年になると、地元の少年野球チームに入った。シニアリーグ所属のチームで、ボールは硬球だった。地元といっても、秋葉の自宅から車で一時間以上かかる場所に練習場があった。父は反対だったが、母が間に入ってくれ、車の免許を取って送り迎えをしてくれた。人数も少なく、チームも弱かったが、秋葉はメキメキと力をつけていった。

　中学に入ると、野球部がなかったこともあり、チームに残った。もし、野球部があっても入部しなかっただろう。硬式に慣れた者は軟式には戻れない。学校が終わると、秋葉は自転車で片道二時間半かけて練習場への道を走った。もちろん体を鍛えるためと、母の負担を減らすためだ。母も行商の仕事が忙しくなっていた。というより、チームへの会費や寄付金、試合の度に遠征費や宿泊費が必要な上、食べ盛りの秋葉の食欲は人並み外れており、それらが家計を圧迫しており、働かざるを得なかったのだ。

　中学三年生になると、秋葉は北海道中の高校から野球特待生として誘いを受けた。だが、すべて断り、漁師になった。野球に未練はあった。だが、もうこれ以上、両親に負担はかけたくなかったのだ。野球特待生ということで、入学金や学費が免除されるが、寮費や食費、活動費は別だ。三年間ともなればかなりの額になる。これ以上、両親に迷惑をかけるくらいなら、家計を助ける道を当時の秋葉は選んだのだった。

　しかし、一年間漁師の見習いをしたものの、秋葉は野球が諦めきれなかった。別に野心があったわけではない。プロになりたいとか、有名になりたいといった野望もなかった。ただ、野球が好きだったのだ。休みの日に草野球でもできれば話は違ったかもしれない。だが、それも叶わなかった。過疎の町ではチームなどつくれなかった。キャッチボールをする相手すらいなかった。

　だからこそ、神宮中央高校の野球部員募集を知った時、秋葉は野球をする最後のチャンスだと考え、本能的に両親に頭を下げていた。普通の野球特待生と違い、ほぼお金がかからない。アルバイトもできるとあった。それらが秋葉の背中を押したのだ。

　しかし、父は反対した。一年間、漁師として身につけたノウハウを無駄にするのかと秋葉を罵った。野球などして何になると怒鳴った。だが、秋葉は折れなかった。議論は平行線を辿った。母がまた間に入ってくれ、秋葉を援護してくれた。だが、父は許してはくれなかった。募集期間は一週間。秋葉は生まれてはじめて父と大喧嘩し、願書を握り締め家を出た。母が駅まで送っていくと言ってくれたが、父が即座に放っておけと母を怒鳴った。秋葉は母に頭を下げ、駅への道を駆けだしたのだった。