第3話サージェント侯爵家の小さなお姫様
車輪がガラガラと舗道を鳴らしながら進んでいく。
王都でも高位貴族が多く住む一角、そこにある屋敷の門が急いで開かれた。
馬車は速度を下げながらも止まることなく屋敷の中へと進み、馬の脚が止まる時には玄関の手前で、愛おしい家族達が出迎えの為に使用人達と並んでいた。
サージェント侯爵家の一人娘であるベアトリスも、母親と家令の間に挟まれて、父親であるサージェント侯爵が馬車から降りるのを待っている。
その姿を見かけると駆け出し、「お父様!」と飛びつけば、小さな体を難なく受けとめた侯爵が笑顔で娘を抱き上げて、愛する妻のもとへと向かう。
「最近はすっかり大人びて淑女らしくなったと皆が言っていたのに、今日はどうしてだか子猫のようじゃないか」
「仕方ありませんわ。旦那様がお帰りになられて嬉しいのですもの」
私もですけど、と目を細める夫人の頬へと口付けをしてから、家族仲良く家の中へと入っていく。
サージェント侯爵の外套は一緒に出迎えてくれていた家令のバートンに渡され、エントランスで降ろされたベアトリスの近くに侍女が付く。
この家ではよく見た光景が懐かしい。
愛すべき両親と侯爵家に忠義を尽くしてくれる使用人達。
ベアトリスの幸福の象徴である光景を再び見ることができ、ベアトリスは嬉しそうに微笑んだ。
つい先日に体験した凄惨な結末は鮮やかなままに記憶へと焼き付いており、きっと死ぬまで忘れることはないだろう。
復讐の炎を絶えず燃やすのに必要ならば、記憶に残る情景が何度悪夢として蘇っても構わないくらいだ。
そんなベアトリスの精神は確かに19歳の記憶を持ち合わせているが、今ある体に感情が影響されやすい。
過去へと遡った際、その精神と体に不和が起きないように、そして事情を何も知らない他者に違和感を与えないように、今ある体に都合の良い態度が取れるようにと緻密な魔術で織り上げられた、サージェント侯爵家が培った魔術の知識の集大成だ。
たとえサージェントの者であっても影響から免れることはない。
それに過去に戻ってやり直せるのだから、無邪気な子どもであった時間を今一度満喫したい。
時を遡る前は望まぬ王子妃教育を受けなければならなかった。
勉強は決して嫌いではなかったが、伴侶となるアルフレッドに対して好意的な感情など一切持てず、義務と使命感だけで受け続けていただけだ。
せっかく過去へと戻れたのだから、今度は子どもらしく伸びやかに過ごしたい。
復讐がてらに、ではあるが。
十歳に戻って家族全員と再会できたからといって、アルフレッド第二王子と彼の側近達を許すなんて選択肢は一つも存在しない。
自分達が何をしたのか理解できないのならば、それはそれで別にいい。理解の有無を問わずにベアトリスが復讐することは決定事項なのだから。
彼らにも記憶は残っているはず。
だとしても面識がないはずのベアトリスに対して、あちらから接触などできやしない。ベアトリスだって会う気はない。
きっと苛立ちで歯噛みしながら、先の未来で同じ目に遭わせようと考えているに違いない。
もしくは最初の出会いで仕掛けてくるかだ。
記憶のある者同士で連絡は取っているかもしれないが、自分の部屋の中という小さなスペースでしか自由にはいられないのだから、何かしらの行動に移すことができないのは予測済だ。
先手を打って未来の出来事を少し変えるだけで、制御できない感情から勝手に踊ってくれるに違いない。
アルフレッド第二王子の自己中心的な思考は幼い時から変わることはなく、何だって自分の思うようにいかないと態度を豹変させて周囲に当たり散らしていた。
ベアトリスが要因で怒りを露わにしたときには、殴られるかもしれないと覚悟したことが多々ある。
実際に直接手を出されることはなかったものの、アルフレッド第二王子が機嫌の悪さを隠そうともせず、何が気に入らなかったのか婚約者としてのお茶会でお菓子を投げつけてこられたことがある。後で聞いたら、未来には王太子となるフレデリック第一王子にベアトリスに対する態度を咎められたからだということがわかった。
彼が暴力的にならずに大人しくできたのは、国王陛下と王太子殿下の前ぐらいなものだ。
もっとも成長するにつれて王太子殿下の注意も聞かないようになっていたが。
そんな傲慢さだけが大きく成長を遂げた、我慢を知らない子どもがどうなるか。
「ベアトリス、少し早いが夕食にしよう。
今日は一日何をしていたのか教えておくれ」
父親の声で我に返る。
どうやら考え込み過ぎて、足を止めてしまっていたらしい。
見上げれば、まだ少し見慣れない視界の低さと、目一杯に顔を上げた先にある少し先を歩く懐かしい顔触れ。
「はい!お父様にお話ししたいことが沢山あります!」
元気よく返事をして、ベアトリスは歩き出した。
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