第4話 タツキ
嫌いな上司が、ストレス発散していたゲームで仲の良かった憧れのプレイヤーだった。
政府が運営するフルダイブ型VRMMO SHOT(ショット) D(ド) RAIN(レイン)。
少子化対策抜本的改革の一部頭文字SHO(SHIKA) T(AISAKU)Dra(stic)In(novation)を題するゲームでは、政府AIが私に合う人の近くに初期位置を生成してくれる。
先輩プレイヤータツキと出会った私は、政府AIが合うと判定してくれた通り、彼に好意を持っていた。
だからゲームの中で性的関係も持った。S⚪︎X TEST POINT……通称STPが付与されたから。だって少子化対策のゲームだもん。
そして今、大嫌いな上司の蜷川課長こと、大好きだったタツキに連れられて夜の街を歩いている。
上司だから問答無用で「残業じゃなく明日の朝、早出してやって」なんて無惨な一言で仕事を終わらされ、上司命令で飲み会に連れて行かれる。飲みハラって昔流行ったの知らないんですかーこれだから二十八で早期昇進した課長様は以下略。
「いらっしゃいませー、何名様ですか」
「二名で。奥の席を予約してる蜷川です」
「お待ちしておりました、こちらへどうぞー」
言えないけど頭の中で文句を垂れ流している私も、居酒屋の奥の席に案内された。
ーーどうする、逃げ出す?ーー
【YES】
NO
気持ちはYESだけど、答えは残念だけどNO。明日会社に出られなくなっちゃう。お金は正義です。転職にも貯金が必要です。
なのに逃走不可ミッションを課してきた課長と、昔ながらの掘り炬燵式のお座敷に入ってメニューを渡された。
「とりあえず飲みながら話そう。何にする」
「……飲めないんで。ウーロン茶でお願いします」
お店の端末で打ち込んで、二人分注文が通った。おつまみも枝豆が二人前通されて、すぐにきた。
「お疲れ」
「お疲れ様です」
最初にビールを飲むスタンダードな課長と、でもこれ以上は喋りたくないから枝豆を口にした。メニューを盾に、選ぶフリを長めにしようとめくる。
沈黙がつらい。
誘ったんだから自分から話題くらい振って欲しいと思っていたら、嫌いな上司は携帯端末を触り始めた。あーもうアウトです。誘った部下の前で早速携帯いじりとかなんですか。恥を知ってください。
「一崎。これ」
「……はぁ。何ですか」
画面を開示モードで見せられたから、一応目を向けた。
見たことあるタツキの全身コーデ、その隣に広がるのはアイテムボックス。
説明ウインドウに載っているのは……子熊だ。
先日行われた大会の限定アイテム、大会上位入賞者だけが手に入れられる、それも上位百名しかもらえない幻の子熊がアイテムボックスに入っていた。
「え、まさかタツキ、上位ランカーなれたの!? すごっ、可愛い……っ」
思わず端末を触ったけれど、人気薄のバックパッカー部門で狙ってさえ無理な特典だったから、お知らせを指を咥えて見ることしか出来なかった。
頭に乗せると、たまに鳴いてくれるらしい。つい釘付けで説明文を読んでいるけど、譲渡不可アイテムだ。
「実は七十五位だった。銃火器職は極めてるやつ多いし無理かなって思ってたけど、ラストチャレンジ粘ったらいい点数出た」
「えーいいなー、タツキつけるの? 銃口の上にも乗ってくれるって書いてある……」
夢中になった私が顔を上げると、目の前にいるのは嫌いな上司だった。
イケメンイラストからキャラデザされたタツキじゃなくて、会社員で、スーツで、背も高いし顔もいいけどメガネで性格の悪い上司が、私に端末を向けている。
……思わずはしゃいだことを恥じて、席に戻ってメニューを開いた。私は何もしてません。あ、オムレツおいしそう。
「……会社と性格が違うんだけど、一崎がミツハだってのはわかった。普段は嫌いオーラ出してて近づかないのに、食いついたもんな」
「そっ、っこの際だから言いますけど、課長がそうやって嫌なことばっかり言うから嫌いなんです!
メニュー見てたらタツキなのに、顔を上げたら嫌な上司とか最悪じゃないですか!?」
本人を前にしてだけど、嫌いってバレてるみたいだし、腹が立つし恥ずかしいのもあって言いたいことを言ってやった。
思わず立ち上がっていたけど座り直して、メニューを盾に睨んでいると、課長が自分の携帯端末を盾にした。
「やっぱり嫌われてた。……ミツハには今日、ログインしてから教えようと思ってたんだけど。
このクマ二体いるんだよな」
え。
「今日の順位発表時に付与で、それまでにSTP使ってるとパートナー特典がもらえるって書いてあって。
俺のところには今、譲渡可能なクマもいる状態だったんだけど」
「譲渡可能!? だってさっきの譲渡不可って」
「本人用だからな。もう一体は受け取ってなくて、プレゼントボックスに入ってる」
何せ少子化対策のためのゲームだ。
パートナー同士で同じアイテムを共有することも、プレゼントすることも、お互いに良い思い出になる。
タツキがもう一匹をプレゼントボックスから出してくると、説明文を見せてくれた。オフ承認したパートナーにのみ譲渡可能って書いてある。
「あ、ああ……くま……」
私に、ランカーのお友達なんているわけないと思ってた。
パートナー特典とか下の方に書いてあったと思うけど、脳からすっ飛ばして忘れてた。終わったイベントだし次の予告が来たから、もう貰えない子熊は話題にも出ない。
でも、目の前にいる嫌いな上司は、ランカーで。憧れの子熊を持っていて。私の前で携帯端末をいじっている。
「順位確定したら、欲しがってたミツハにあげようかと思ってたけど……嫌いなやつからもらっても迷惑か。
ボックス圧迫するし捨てるな」
え。
「まっ、待ってください、その子は何も悪いことはしてません、残しておいても損はっ」
「銃火器職は武器が多くて困るんだよな。弾薬もスタック管理難しいし、特典貰っても増える一方で邪魔になってて」
「子熊喜んでいただきます課長、いえタツキ様、お願いしますっ」
「渡したら渡したで、ミツハが俺と彼氏彼女だとか誤解されて困るだけだって。ん? 警告……ああ再付与なしってあれか」
「密かに楽しみますからっお願いです、ほっ、ほしいクマー!」
恥を捨てたらもらえました。
嫌いな上司が笑いを堪えて机に突っ伏しているけど、子熊の命には変えられません。これは自然の摂理です。
指で触ったらニャーニャー鳴くし、VRで見ても絶対に可愛いから和んでしまった。キャラクターの頭に乗せてみたけど、アイテムボックスに入ったクマに装備マークがついて、頭の上で手を振ってるのが可愛くて、早く帰りたくなる。
「一崎が、返事は全部ノーしか言わない一崎が、っく、欲しいクマー、ふふ」
「最っ低」
笑いすぎて出てきた涙をメガネを取って拭いてるのも嫌い。笑いすぎ。
可愛い子熊をいじって夢中で癒されていると、回復したらしい上司がお店の端末を持った。ウーロン茶がそろそろ無くなりそうだし、課長なんてビール終わってた。
「ああ笑った、次何飲む?」
「……じゃあ一番高いやつでお願いします。奢りなんで」
「ノンアルカクテルかな。食べ物は?」
「オムレツと……」
それぞれ食べたいものを頼んで、それは美味しくいただいた。
ご飯がお腹に入ると気分も楽になって、私も改めて携帯端末で順位表を見た。
最多出場の剣士部門の九十四位がリーダーで、タツキが銃火器で七十五位だった。運営が撮ったプレイ動画もあるみたいだから、後で見ようかなって楽しみになる。
「あ、そっか。タツキから貰わなくても、リーダーにお願いしたら子熊もらえたかな……いつもレアアイテム争奪戦とかしてくれるし」
「パートナー特典はSTP使ってないともらえないから無理。
『俺に付与されないのバグってる』ってたまに叫ぶから、サークルメンツも祝うだけで期待してないと思う」
なるほど、そもそもこの子熊は昨日、大人同士でそういうことをしたからもらえた子熊だ。
オフ申請も開けてなかったら、私の手元には来ない。
課長は平然としてて雰囲気出さないけど、……相手は昨日一緒のベッドに入った人で。
本体は嫌いな課長だけど、中身はいいなって思ってたタツキだ。
私だって自分の体じゃない、ミツハだったけど……複雑な気持ちでいると、課長が動いたから驚く。
携帯端末からあっさりお会計を済ませた嫌いな上司は、カバンを手にした。
「お互いに正体も分かったし、ゲームでも話せるからそろそろ帰るか。一崎は俺に聞きたいこと……」
「ないです」
「じゃあ解散しよう。明日は早出させて悪いけど、その分早上がりにも協力するから忘れずに頼むな。駅まで送ってく」
蜷川課長はあっさり部下に食事を奢ると、駅まで送って帰って行った。
私も部屋に戻って色々整えてから11Gシートを貼ってログインしたけど、サークル拠点はちょうどタツキもログインしたてらしくて盛り上がっていた。
リーダーも周回始める前で準備中だから、お祝いの花をばら撒かれて花火を打ち込まれている。炸裂音がすごい。
「ねーねー、熊もう一体いないのタツキチー。STP絶対に溜まってて女の子くらい誘ってるでしょー、オフ申請したげるからちょうだい?」
「持ってませーん。俺にオフ申請とかヒーラーちゃん彼氏いるのに怒られますよ」
「……むー……実はもうあげたんじゃ……あ、ミツハちゃーん……ん?!」
集合場所に向かうと、なぜかめちゃくちゃ注目された。
「お疲れ様でーす。……? 何かありました?」
「えーいいなー! ミツハちゃん、ランカーの彼氏いるの!?」
「え」
「子熊が頭に乗ってる! 可愛いー!」
居酒屋で装備したの忘れてた。
自分じゃ見えないから慌ててアイテム欄を開いたけど、熊が手を振ってる。
ミスった。
どうしよう、タツキにも警告されてたのに忘れるとかないって。
幻のアイテムだからどこでもらったかみんな気になってるけど、ランカーの名前がリーダー以外思い出せない。一つくらい覚えておけば良かったって慌てる合間にも、サークル内は盛り上がっていく。
「ミツハ周りのランカーって、タツキしかいなくね?」
「オフ申請まで行ってるとかタツキやるぅ」
やばい。
頼みの綱のタツキに慌てて目をやると、首に手を当てながら考えている。
「あー……そう、オフ通してもらう代わりにトレードした。可愛い弟子が欲しがってたらあげるしかないだろ?」
「えー私もタツキチに子熊欲しいって言ってたのにぃ。師匠こそ優先すべきじゃない? 恩知らずータツキチひどいー」
ヒーラーちゃんとタツキがワイワイ盛り上がって、話題は過去に変わった。
頭の上のクマは残念だけど、こっそり装備から外した。手に持って、しばらくのお別れをしようと見つめ合う。
「にゃー」
くっ、可愛い。
親を呼ぶボイスらしい猫撫で声の子熊が可愛くて目を離せないでいると、リーダーが子熊を頭の上に乗せて盛り上がっていた。
うちの子はすぐにアイテムボックスに隠した。今装備してたらリーダーの彼女と間違われそうな気がするし、リーダーはリーダーで尊敬してるけど、そういう関係だってネタにされるのも嫌だ。この子は密かに楽しもう。
「それじゃ周回行くぞー。準備出来てるかー」
転移用の石の前に集合する合図がかかって、移動が始まる。
タツキも自然とそばに来たけど、さっきのこともあって笑っている。
「ミツハさん凡ミスさすがっす。冷や汗が出ました」
「ごめんて。フォローありがと」
内緒のつもりだったのに、タツキに迷惑をかけてしまった。
……でも今のを課長に言われたらムカつくのに、タツキとは素直に話せる。
不思議に思いながらも周回に回ったけど、ランカーにもなってるだけあって、やっぱり活躍を見せたタツキは格好良かった。そっか、銃を撃つ一流キャラデザが良いのかもしれない。
「お疲れー、ミツハナイス支援。新スキル取ったのに弾薬補給のタイミング合わせてくれるから、安心して任せられた」
「タツキもすごかったよ。お疲れさまー」
普通に話して、私も好きなだけゲームを楽しんでログアウトする。
寝る前に動画も見たけど、タツキが高順位のランカーと戦って、相手を制圧してる映像が格好良かった。
……これが三井くんならどれだけ良いんだろう。ゲームでもリアルでも好きな相手なんて幸せそう。
でも現実は大嫌いな蜷川課長だ。ままならない。
翌日、寝不足だけど早めに起きて会社に行ったら、もう課長は働いていた。
他に出てるのは私くらいだから、まさか私のせいかと驚いて寄ってしまう。
「課長、おはようございます。早朝なのに、なんでいるんですか」
「おはよう。課長職はこんなもんだよ。俺もいつも早いけど一崎が知らないだけ。ほら、残業後ろ倒した分がんばれ」
課長も営業の日報に忙しそうに目を通しているから、私も席に着いた。
せっせと資料を作って、大切なものだから課長にもチェックしてもらって、出勤してきた営業に渡す。
共通の趣味があるおかげか、いつもより蜷川課長は話しかけやすいし、今日は仕事もうまく行ってる気がする。
三井くんも気になったみたいで、いらなくなった書類のシュレッダーをしてたらこっそり来てくれた。
「一崎さん、課長と和解したの? 昨日一緒に飲み会に行ったって聞いたから、心配してたんだけど」
「あ、えっと、共通の趣味がわかって。盛り上がったら今までよりちょっとだけ仲良くなれた……かも。飲みに行ったおかげで気楽にはなれたよ」
「良かった。課長がついに一崎さんに戦力外通告かって、連れ出したの見た営業部がざわついてたからね。
何かあったら言って、俺も相談に乗るから。一緒に飲みに行くのもぜひ」
「心配してくれてありがとう。三井くんは……あ、そろそろ外出でしょ? 私の方は大丈夫だから、行ってらっしゃい」
今日も優しい三井くんを見送って、やっぱり良い同期だなって実感する。
仕事も、課長が予告した通り他の社員にも振って早く上がらせてもらえた。
早上がりさせるって言いながら残業させられるかと思ってたのに、ちゃんと帰らせてもらえるなんて思ってもなかった。
ログインも早めになったけど、普段は一緒にならないメンツもいて、遊ぶのが楽しい。
今日は新人ちゃんが入っていて、少し話をしたけど同じバックパッカーだった。
「初めまして、ピエナです。動画で見たんですけど、タツキさんに憧れて入りました。よろしくお願いします」
「よろしくー。今日は周回も一緒に回れるかな? 楽しみにしてるね」
「サブリーダーさんに今日は準備させてもらってるんです、すみません。
ミツハさんってあまりこの時間ログインされないんですよね? タツキさんってどの時間にログインしてるんですか? みんなあまり詳しくなくて」
「タツキなら、リーダーと一緒に夜遅めのログインだと思うよ。私もいつも回らせてもらってる」
「そうなんですね、ありがとうございます!」
ピエナちゃんは晩ごはんだって言って、ログアウトした。
私も終わり際にタツキと会ったけど、時間がズレたこともあって一緒に周回は回れなかった。
そんな、翌日。
「……?」
なんとなく課長が疲れてる気がした。
私は早く帰らせてもらえたけど、自分は遅くなったから疲れたのかと思って、三時が近くなる頃にそっと机に飴を置いてみた。
お母さんの出身地の習慣で、飴は絶対に鞄に入っている。
三井くんはあげると喜んで食べてくれるし、あまり話さない営業にも話のタネに渡すと、食べたり子供に持ち帰ったりしてくれる。
「……飴?」
「おやつです。糖分補給でたまに配ってます。いらなかったら捨ててください」
「いや、一崎が俺に? って驚いただけ」
「……和解したって営業部でも話題になったらしいですからね。不仲で知られてますから意外ですか」
「意外」
机の前にいるのが上司であっても睨みつけた。でも課長は前までなら文句を言ったのに、今日は面白そうに笑ってる。
「和解の証として、休憩がてらいただくよ。ありがとう」
課長は言葉通り食べてくれた。今日も営業と打ち合わせが入ってお昼抜きだったから、ちょうどよかっただけかもしれないけれど……少しは元気が出たのを見て、私もほっとした。
その夜ログインした私の目の前には、衝撃の光景が広がっていた。
武器の弾込めをするタツキの隣には、ハートエモートを垂れ流すピエナちゃんがいた。
「タツキさんすごいですよね、カバーも早いし憧れますっ」
「……」
無視して武器チェックしてるけど、ピエナちゃんはタツキについて回って離れずにいる。
サークル内がちょっと雰囲気悪い。
何事かと思ってたらヒーラーちゃんが腕を引いてくれたから、いつも周回を一緒に回るメンツのところに向かったけど……タツキへの粘着が昨日の夜から始まってるらしい。
「ランカー狙いでたまにいるんだよね、出会い厨。昔も別の子だけど湧いて大変だったの。しばらく放っておいたらいなくなるから、ミツハちゃんは気にせずいこ?」
「ただなぁ……あの子何もせずの放置系なんだよな。その分レアドロ割れんの辛くね?」
「タツキにだけ支援入ってるよ。手厚いやつ。でもタイミングずれたらしくて、弾切れして下がってるの久しぶりに見た」
「初心者でも自分の役割頑張ってくれるなら分かるけどさ。後ろでぼーっと見て、気づいたら支援入れて、なのに上級者サークル入れてるのが納得いかない」
「う。私も初心者なのに入れていただきました。ご迷惑おかけしました」
「ミツハちゃんは大丈夫だよ。自分なりに必死に覚えて支援投げて、みんなに出来ることやってたし。短気なドラゴンライダーだって『上級者も最初は初心者だ』なんてカッコつけて擁護してたよ。
でもね。ミツハちゃんはタツキが育てたいって言ってそばにいたから良いけど、あの子は他メンたぶらかして、しかも振ってるみたい。気まずくて入れた子も逃げちゃったって」
罪が深ぁい。
タツキ大丈夫かな。会社でも疲れてたのは、粘着されてたからかもしれない。ゲームでストレス発散のつもりが、ストレスの原因になってたら私だって嫌だ。
私が時間を教えた責任もあるし声をかけたいけど、そもそもタツキが私に近づいてくれなかった。明らかに避けられてる。飴で和解したんじゃなかったのか。
戸惑いながらも周回に付いていくと、いつも爽快なボスバトルが、実は私もやりづらかった。
タツキ専属って聞いたから私は他メンの支援を優先してるけど、タツキがたまに弾切れで下がってるのが見える。私も支援先に悩んで目が回る。
ピエナちゃんは後ろでタツキだけ追ってるけど、実は後衛にも悪影響を撒き散らした。
「きゃータツキさんかっこいー!」
必死になってる時にハートのエモートで視界遮られるのが、やりづらい。あぁ、ハートは周囲にも飛ぶから連打やめてぇ。
戦闘が終わってもタツキは私たちに近づこうとしないから、近くに来たリーダーに声をかけた。
準備の間にフルフェイスの兜を小脇に抱えてる剣士は、聞かれ慣れているのか堂々としたものだった。
「ピエナなぁ。俺が言っても聞かないんだよな。ブロックしても恨み買うだけで、キャラ削除して同じことしてくるだろうし……タツキが言っても聞かないから、とりあえず放置しておいて。
気が済んだら消える季節性お邪魔モブだって思っておこうぜ、逆に楽しもう」
「季節性お邪魔モブ」
「春の路上には変態が増える、PVPイベント後には出会い厨が増える、季節の移り変わりを感じるよな。
ところでミツハ、女子目線から見て、なんで俺にはモブ湧かないんだと思う? 俺も最多出場部門でランカーなんだけど」
「え。動画でも付けてたレインボーカラーの賀正ライトカッコ悪かったです。
兜はフルフェイスなのに下はまわしで舐めプとか、内容よくても身内以外はアウトですよ」
「くっそ、厳しい! 俺を好きになってくれる女の子募集中!」
すごいプレイヤーは、たまにネタ衣装にハマる。それかPVPイベントではモブが湧くのが分かっていて、あえて着て出ているかだ。
リーダーもサークルまとめてるだけあってすごいプレイヤーだとは知ってるけど、まわし姿の変態が戦っている映像はネタ映像だった。あれうちのリーダーだって恥ずかしくて言いづらいです。
ピエナちゃんはタツキがついに眉間に皺を寄せて文句を言っても、聞かずに喜んでる。構ってもらえることが嬉しいみたい。だから放置ってリーダーが言ったんだな、って理解できた。
私だったら蜷川課長に上から目線で言われるたびに「もう会社やめてやる」って思ってるのに、ピエナちゃんは平気で後をついていく。心が強いんだ。
その後も周回は、なんとなくストレスが溜まる内容で終わった。
いつものサークルメンツは上級者が多くて、手軽に楽しく狩れる。でも今日は息が合わないから、苦労してる気がする。
短気なドラゴンライダーさんは途中で回線を切った。前線ガタガタでもリーダーが作戦変えて立て直して、ボス討伐は何とかなった。
みんなで力を合わせて戦った爽快感って大事だったんだ、って改めて思ったし、タツキも嫌になったらしくて時間余っててもログアウトした。一緒にピエナちゃんも落ちたのを見て、ヒーラーちゃんたちと拠点の井戸を囲んだ会議が開催された。
「タツキチに振り向いて欲しければレベル上げて出来ること増やせばいいのにね。ミツハちゃんみたいに一生懸命な子なら、タツキチ面倒見いいから育ててくれるのに」
「リアルは可愛いから自信あるんじゃね? リーダーどうすか、女子に飢えてるランカーだしアピールしてみたら」
「爆発物処理班じゃないんで、地雷系はちょっと」
サークルはいつもの和やかな雰囲気に戻って、タツキには申し訳ないけど私たちは周回を楽しんだ。
それから、数日経った。
ピエナちゃんは今日もタツキのそばにいるし、みんなも諦めて季節をハードモードとして楽しみ始めた。
課長は会社ではいつも通りだけど、今日は営業部の外にある休憩所で、自販機に囲まれながらコーヒーブレイクで黄昏てるのを見た。
私もお昼ご飯をコンビニに買いに行って戻ってきたところだったから、普段なら近づかないように遠回りで帰るけど声をかけてみた。苦手だから顔がこわばるのは仕方ない。
「あの、課長」
「んー? どうした、一崎。何かトラブった?」
「違います。疲れてるのが気になって。声かけただけです」
……え、何か言って欲しい。沈黙が一番困る。
嫌いな上司に話しかけたことをどん底まで後悔したから、やっぱり関わるべきじゃなかったと逃げ出す体勢を取ると笑われた。
「リアクション取れなくて悪い、平気。心配してくれてありがとう。
あー……最近いいことないなーって思ってたけど、少し回復した。一崎のおかげで助かった」
「え。いいことないですか」
会社じゃ言えないけど、ランカー入りしてたのに。すごいし、滅多にないことなのに。
でも課長は壁を彼女にして、ため息を吐きながらコーヒー缶を見つめてる。
「まぁなー。好きだった子に告白したけど振られて、頑張ったつもりが全部裏目に出てる。流石に辛くなってきた」
……ぼかして言ってるけど、まさか振ったのは私のことか?
いや違う、リアルにも相手がいたのかなって思い直した。
私はオフ申請もらっただけだし。リアルに誰かと付き合えそうだったのを振られたのかも。
あまり聞くべきじゃないから言葉は慎んだけど、ブラックコーヒーを口にしたメガネの課長は笑顔で指を差してきた。
「一崎にも嫌われてるしな。飲み会ではっきり『嫌い』って言われたの傷ついたなー」
「それは売り文句に買い言葉で」
「いいよ冗談。言い出せない環境より言えた方が良いよな。……俺も新卒への態度が悪かったって反省した。
一崎も最近はミス減ってきたし、いい傾向だと思ってる。このまま少しずつ余裕持っていこう」
初めて聞いた課長の優しい言葉に、驚いてコンビニの袋を握りしめている。
背が高くて顔はいいけどメガネの嫌いな上司が自販機に移動して、缶が捨てられた音が聞こえた。
「よし、気分転換出来たし戻る。
そうだ一崎、ミス減ったって言ったけど、今日は表計算ソフトの一番下が多分数式抜けてるぞ。昼前に貰ったやつ、最後の行使ってる見積書が合わなかった。
ミスが許されない場面はあるからな。ちゃんとチェックしてから出すように。頼むぞ」
「あ、すみません、すぐに直します」
課長は課長だった。
夕食後ログインすると、サークル拠点にいるピエナちゃんはずっとタツキのそばで喋ってる。タツキも面倒そうに武器チェックを続けていた。
「タツキさん、オフ申請のメッセージ開けてください。ピエナ、タツキさんとお友達になりたくてぇ」
もうオフ申請飛ばしてるとか、怖いぃ。
多分メッセージ拒否入れてるだろうけど、聞いてるだけで恐怖だ。リアルな名前と住所をあの子に知られるのは絶対にまずいって井戸端会議も盛り上がってる。
タツキも相手にしないけど、あれだけ毎日靡かなくても付いてくるものなんだって思わず震えてしまった。
周回もいつも通りで、ピエナエモートが視界の邪魔をする。
他のメンツがタツキに話しかけてもピエナちゃんが入ってくるから『ピエナブロック』って呼ばれ始めた。
周囲はだんだん面白がってても、タツキ本人は浮かない顔。冷たくしても喜ぶから無視するしか対抗手段がない。
……いいことないって言って、疲れてた課長の顔が浮かぶ。
嫌いだけど。……まだ全っ然嫌いだけど。
今までお世話になったタツキのためになら、私には出来ることがあるはずだって駆け寄った。
ピエナちゃんから離れようと立ち上がるタツキの腕を、逆から取って奪ってやった。
「……!?」
「えー、ミツハさん? 邪魔なんですけど。なんなんですか?」
不満そうなピエナちゃんの前で、アイテムボックスから子熊を頭の上に装着。
タツキとカップル繋ぎに指を組み替えて、密着。足の間に腕入れて挟んでやった。
顔が熱いけど、タツキもびっくりしてるけど、キャラクターの胸まで押し付けてピッタリくっついた。
「初心者だと思って黙って見てたけど、タツキは私のだから。真面目にサークル活動しないなら、もうどっかいってもらえる?」
「にゃーん」
熊がちょうどよく鳴いたけど、女性同士の喧嘩はキャットファイトって言うらしい。
火がついてばちばちのピエナちゃんに、子熊を示す。
「タツキと付き合ってるのは、貰ったばかりの子熊でわかるよね?
今日も一緒にハイレシア行く約束だし、迷惑。悪いけど勝ち目ないのに付いてってるの見てられないから、サークル抜けてもらえる?」
裏で個人チャットを展開。脳とリンクしてるから文字起こしも早い。
『タツキSTPちょうだい。二個以上あったら一個だけ誰かに付与できるって攻略サイトに書いてあった』
『いいってこれ以上関わるな、今度はミツハが粘着される』
『ここまでやったらどっちみちでしょ!? 古参なら溜まってるでしょ早くして!』
目の前には憤怒の形相のピエナちゃん。勢いがなかったら無理だってこんなの。
腕を軽く引っ張るとようやく申請が来たから、速攻で受け入れる。警告文なんて無視して連打。二枚目も出るなんてかなりしつこい。
けど頑張ってると薄緑色の桜マークが視界端に付与されたから、溜めてた金塊を溶かして鍵を購入して、タツキに渡した。
「それじゃね、お疲れ様ー」
多分悪女ってこんな感じ?
……タツキがソロでいるからピエナちゃんは構うんだ。
だったら彼女として振る舞えば良かったんだって、私だってタツキのために何が出来るのか考えた。
トドメを刺すためハイレシアに移動したら、すぐさまゲーム内位置情報をONにしてサークルチャットに流す。
『position【ハイレシア】』
HPバーの横の心拍数ゲージが爆上がりしてる。
それでもやり切るんだって、盛り上がるサークルチャットに私からも爆弾を放り込んだ。
『お察しの通り、タツキとハイレシアinしましたー。ピエナちゃん隠しててごめんね、今日はSTP使って楽しんできます。
タツキと私、ラブラブです。バイバーイ』
『やべえ英雄が出たw w w』
『ピエナちゃんフラれて涙目だお。ぴえん』
『ミツハやっぱりタツキと付き合ってたー!』
『position【拠点】』
『position【拠点】』
『posi-tionコード絶対に現在地だから。お前らがいくら打ってもならないって。つまりあいつらは本気で今頃以下略』
『隠しきれない愛かー、若いっていいなー、うらやまなんですけどー』
『あ、うちのサークル恋愛自由なんで。リーダーの俺もパートナー募集してます。付与お待ちしてます』
『ん』
『ブチギレピエナちゃんサークル離脱の上ログアウト』
『放送禁止用語乙です。通報しますた』
『これキャラごと消えたんじゃね?』
『季節性モブ消滅確認、お疲れっしたー平和に周回行こうぜー』
終わった。
心臓が大太鼓を叩いてるくらいドンドン言ってる気がするけど、ハイレシアの玄関でパートナーの腕抱えながら震えてくずおれてるのは歴史上私くらいだと思うけど、やり切った。
「ミツハ。エンジョイ勢なのに面倒ごと抱え込まなくていいって。ああいう手合いは無視してたら消えるから」
「は? タツキだってエンジョイ勢でしょ。なのに毎日楽しめてなかったよね?
私だって楽しいゲームをしたいから見てられなかっただけ。見てよサークルチャット、みんなもいなくなって清々してる。ピエナちゃんがずっといる方が誰も楽しめなかった」
みんなの言う通り無視してやり過ごすのが正解だし、正しい方法じゃないってわかってる。
タツキが仲良いメンツに迷惑かけたくなくて、今は距離を置いてたのも分かってる。
粘着の対象が私に変わる可能性だって、……ちゃんと理解してる。
でも戸惑ってるタツキに、私だって言いたいことがある。
「これで今日からまたストレス発散できるでしょ。子熊のおかげで『いいことあった』って思ってよ」
「にゃーん」
プレイヤースキルが足りなくて夢も希望もない私には「ほどほどにな」って慰めてくれてたのに、自分は最後まで粘って頑張って、ランカーになった。
子熊をタツキが使ってるのを見たことがないし、ランカーだって威張る人でもないから、特典もらって……私に見せるだけでも良いし、喜ばせようとしてくれたのかもしれない。
なのにリアルの私には嫌いって言われて、ピエナちゃんが来て。タツキが努力した結果が「いいことない」で終わっちゃうのは嫌だった。
「頼りない後輩だけど、出来る限り頑張るし。リアルでは色々あるかもだけど、ゲーム内ではいつも通りだから。ちゃんと話して頼ってよ」
終わったと思ったら、怖くなって泣けてきた。嫌だー、私だって面倒ごとに首突っ込みたくない。地雷が焼夷弾になって帰ってきそうで怖いぃ。
でも格好つけたのに情けないから、必死に脳とリンクしてるキャラクタに泣いてないって言い聞かせた。
タツキに顔を見せないようそっぽを向くのに、隣に座ってくる。背が高いキャラに上から頭突きされたから、当たった子熊が「にゃーん」って鳴いた。
「あーあ」
めちゃくちゃ大きいため息が聞こえて、なんなの頑張ったのに、ってイライラする。
まさかピエナちゃん狙いだったのかもなんて思いたくもないのに膨れていると、タツキがまた溜息を吐いた。見上げようとしても頭突きで押さえられてるから出来ない。
「ミツハのせいで辛い」
「は? なんで私が悪いの」
「リアルではめちゃくちゃ嫌われてる。だから諦めようとしてるのに、またミツハのせいで諦められなくなった。辛い」
う。やっぱり振ったの私のことだった?
でも課長が嫌いな今、告白されたって受け入れられないのはタツキもわかってる。
蜷川課長には声を掛けるのも緊張して、自分から話しかけても一歩引いて、会うのも嫌になる。無理。
「……聞きたかったんだけどさ。タツキはリアルの私に、なんで冷たかったの?」
飲み会では聞けなかった。
視界にはロビーしか見えないし、向き合わない今なら、隣にいる相手がタツキなら言葉も出てきた。
「課長の『こいつ使えねー』みたいな顔が嫌いだった。
営業部でも戦力外通告突きつけに行ったって飲み会行ったの話題になったみたいだし、あからさまに嫌ってたんでしょ?」
「……そうだな、嫌ってた」
せっかくキャラクタに泣いてないって言い聞かせてるのに、涙腺が緩みそうになる。
「だって新卒ちゃん毎日ミスしまくりだし。仕事やる気ありませんって顔にデカデカ書いてあるし。かといって指摘しても言い訳ばっかで拗ねて距離置くから、扱いに困ってた」
タツキはちゃんと中身が蜷川課長だって認識した。
文句を言ってやろうと振り返りたいのに、頭を子熊ごと押さえられてて動けないからロビーに文句を言うしかない。
「ミスしまくりの新卒なんてひどい。新社会人だから緊張してて、でも細かく指摘してくる上司だから嫌いになったのに。課長が最初から優しかったらこんなことなってなかった」
「じゃあどうやって指導したらいい? 今日も印刷枚数11枚を111枚で印刷したまま、どこか行ってたミツハさん。
バックパッカーとしての心得を教える時は素直に聞いてくれるのに、仕事の心得は聞いてくれないんだけど、理由は?」
う。
課長は嫌だけど、タツキは嫌じゃない理由が私にもわからない。
でも嫌いな理由はいっぱいあるって、この際だから頭を押さえつけてくるタツキに膨れた。
「仏頂面が怖いから嫌い。他の営業には優しいのに、私相手にだけ怖いのなんなの」
「俺も配属当初は笑顔だったはず。新卒がミスるたび言い訳重ねて拗ねて話聞かなくなってくし、明らかに距離取られ始めたから、社会人として学んでこいって地獄の一課に放り込んでやろうかと思った頃から笑えなくなった気がする」
「そういう風に態度が高圧的なのが嫌い」
「新人ちゃんが入社した頃は、今みたいに気軽に喋ってた。上司が話しかけるだけで勝手に高圧的って思って避け始めたのはミツハ」
「タツキまで嫌いになりそうなんだけど、じゃあタツキは何が原因だと思う?!」
「俺に聞かれても。ただ新人ちゃんが仕事やる気なくなって、俺も指導のたびに言い返されて、扱いに困ってたのは事実。部署移動させて空気入れ替えか、最悪人事考課までもたずにやめるんだろうな、って思ってた」
何それ。
上司づらのタツキに悔しくなって頭突きをすると、子熊が鳴いた。タツキが子熊を撫でると、ぽんぽん、って振動だけが頭に響く。
「課長の指示が嫌味っぽくて嫌い。……じゃあいつもみたいに指導してみてよタツキ。絶対に違うから」
「いいかミツハ、印刷前に一呼吸置け。設定を一度確認してからボタンを押すのを徹底しろ。あと頼むから仕事に集中してくれ、仕事中に携帯端末をいじるな、お前は会社をなんだと思ってるんだ」
「それいつもの課長だよね」
「中身一緒だからな」
むむ。
「じゃあバックパッカーの指導は?」
「周りの状況を良く見てアイテム使え。スキル使用中は硬直あるからHPや状況を見るのに有効活用。集中切らすな、今は前見ろ余計なこと考えるな。支援は支える側だ、わがままなプレイイングするなら別の職業に変えてこい。……何か違う?」
必死に覚えようとしてる私に言われたことと同じだけど、タツキには「はい」って言ってきた。
今も別に上から目線とは思わない。おかげでサークルメンツにも頼りになるって言ってもらえるくらいにはなった。
でも、背が高くてメガネで顔が良くても性格悪い課長は、嫌い。……ほんと、なんでなんだろ。
「タツキは大丈夫だけど、課長はやっぱり嫌。だってずっと会社行くの辛かったんだよ。ちょっと恨みっぽくなってるかも」
「お互い様だな。一崎どうすっかなーって思いながら仕事に出るのは俺だって嫌だった」
「やっぱり嫌い」
タツキに頭突きで仕返しした。ダメージないし、熊が鳴いただけだ。さっきからごめん子熊。
「それでも最近は、一崎も可愛げあるって思い始めたって言ったらどうする?」
え。
息を呑む私の頭の上で、子熊に重みをかけるタツキが笑ってる。
「ミツハはもちろんオフ誘ったくらい好きだけど。一崎蓮花も近づいてくると意外に気立てがよくてさ。
仕事はミスるけど、その分だけ周りに気を配ってる。三井が心配してかまいたくなるのもわかった」
待って待って。慌てて接触してる頭を抜き出した。
見上げると、首に触れて照れくさそうに、一流のイラストレーターが描いたキャラが笑っている。
「一崎が俺のこと好きになってくれたら、もう一度告白しても受け入れてもらえる?
好きな上司になれるよう頑張るから。……今からでもやり直しさせてほしい」
ご尊顔に心拍数ゲージが跳ね上がる。
ピエナちゃんが好きになったイケメン顔が近づいて、嫌いな課長だって頭から吹っ飛びそうになる。
近づいたタツキについ頭を縦に振って、安心した笑顔を見ると胸が甘酸っぱく疼いた。
「ミツハも俺のキャラクター好きだな、作成の時に頑張った甲斐あった」
茶化してくるタツキに文句を言いたいのに、神絵師のイケメンが笑ってて、心臓バクバクで言い返せない。
タツキが頭の上の熊を撫でて立ち上がると、誰もいないフロントを示した。
「よし、お互いに言いたいことも言えたし、ピエナ対策に付き合ってもらったって言っても誤解のないうちに出るか。
俺とそういう関係だってサークル内で思われるのも嫌だろうから、後でフォローしておく」
「待って、い、今の告白、冗談、冗談じゃない、どっち!?」
「本気。また考えておいて」
目の前にいるのはタツキなのに、嫌いな課長にまで改めて告白されたのが衝撃的で、へたり込んだまま見上げるしか出来ない。
タツキが鍵をアイテムボックスから取り出したけど、目が合うと首に触れて、ちょっと赤くなりながら顔を逸らした。
「あー……そうだ、STP付与は迷惑行為って聞いたことあるけど、警告すごかったな。
本当に使用の意図があるのか、かなり長い注意文が出たから読みきれないまま進めるしかなかったけど、ミツハは何か知ってる?」
「え、あ、えっと。攻略サイト見たけど、付与した相手以外とは消せないんだって。一個だけしか付与出来ないけど、視界にはずっと残るから警告いっぱい出すんじゃない?」
心臓バクバクで震えてる私の視界の端には、今も薄緑色の桜マークが回ってる。
タツキは後悔してるみたいだけど、私は頑張った結果だから気にならないし、残っていても構わない。
「前にも言ったけど、支援の時も平気な位置だから大丈夫。気にしないで。
それじゃ早く出ようよ。鍵返しちゃうね」
タツキに鍵を渡してもらったけど、フロントの返却口に入れればハイレシアから出られる。
そういうことする場所だから雰囲気に飲まれてるんだ。サークルメンツのところに戻ったら普通のプレイヤー同士に戻れる、って必死に考えながら返却口に鍵を置いた。
……でも、異変に気づいた。
「あれ?」
返そうとした鍵が入らずに、視界いっぱいに赤と黄色、黒の警告文が出る。
キャンセルしてもう一度同じ手順を繰り返したけど、私の前には同じ警告文が開いた。
「どうした?」
「……えっと。ハイレシア出るのって、ロビーに鍵返せばいいだけ、だよね」
「そうだったと思うけど……待ったミツハ、俺にも貸して」
「いいけど、『通報しますがよろしいですか』って出るよ」
ーーーーーーーー【警告】ーーーーーーーー
性被害防止のための救済措置について。
STP付与を意図せず強制的に行われ、脱出のために本システムを使用する場合は迷わず通報を押してください。
ーーーーーーーー【注意】ーーーーーーーー
STP付与を行われた場合、強制ログアウトまでの時間が一時間以上、かつ強制ログアウトまでSTPを使用しなかった場合も不正使用とみなし、通報の対象となります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ボタンは『通報』と『キャンセル』しかない。
もちろんキャンセルを押したけど、タツキにも同じ画面が見えてるみたいで、攻略サイトを自分でも調べてくれてる。
「STPもらうとき私にも警告文がめちゃくちゃ出たけど、無視して連打して消したんだ。
あれ、もしかして使わないと不正使用になりますって書いてあったのかな……」
タツキが調べてくれたサイトも見たけど、プレイヤーの中には視界が消えるのが嫌いだから、STPを誰かに押し付けようとする人もいる。
でも少子化対策が目的のゲームだから、誰かがポイント預かりなどの行為が出来ないよう、むやみに付与行為を使うと不正として判断されるらしい。
わざわざSTPをパートナーに付与するってことは、今すぐそういうことしたい、って意味のはず。
違うなら付与させません。意図的なポイント移動なら通報します。邪魔だからって一時的にも消させません。
そういった最終的な意思確認のために、長い注意と警告文が二回出てたみたい。メニュー画面に救いを求めたけど絶望しかない。
「え、どうしよう。まだログイン時間二時間以上ある」
警告文の通報を押すと、政府AIが管理してるから『強制性交等』の罪に処される。
注意文のログアウト行為も、政府AIの通報によるキャラクター凍結が待っている。
慌ててタツキを見上げると、頼りになる先輩は攻略サイトの赤文字を示してため息を吐いている。
「……ミツハ。な。ミスったらまずい場面があっただろ? 事前に攻略サイトをもうちょっと確認するだけで防げたんだって。慎重にやろう」
「それ課長にお昼休憩で言われたやつじゃない!?」
一難去って、また一難。
私とタツキはハイレシアに閉じ込められて、外に出たりログアウトしたら政府AIに通報される、社会的なデスゲームが始まってしまった。
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