第3話 揺れる心 ~失いゆく居場所~
レッスンスタジオの鏡には、自分の姿が小さく映っていた。七瀬ひかりは、端の位置から動くことのない自分を見つめ、心の中に広がる違和感と焦りを押し殺した。
かつてセンターに立ち、ステージ中央でファンの視線を一身に集めていた日々。それが今では、ステージの端に追いやられるように立つ毎日だ。新人が次々と加入し、グループの注目が新しいメンバーに移るたびに、彼女のポジションは後ろへと押し下げられていった。
「次は、ここの位置でお願いします。」
振り付け担当のスタッフが指示を出す。ひかりの位置は、またしても端。これで何度目だろう。以前は当たり前だったセンターの景色は、もう手の届かない場所になっていた。
(私、このまま……1stチームからも外されるのかな。)
その考えが頭をよぎるたび、ひかりの胸の奥が冷たくなっていく。ステージに立つことが大好きだった。センターに選ばれた時の誇らしさも、ファンからの応援も、全てが自分の支えだった。
だが今、それが少しずつ崩れ去っている気がした。
「ひかり、大丈夫?最近元気ないけど……」
同期のメンバーが心配そうに声をかけてくれた。ひかりは一瞬、迷った。ここで弱音を吐けば、少しは楽になるのかもしれない。けれど、心の奥で何かがそれを拒んだ。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れてるだけ。」
口から出た言葉は、いつもと変わらない答えだった。同期はそれ以上何も言わず、少し気まずそうにその場を離れていった。
(どうして私は……こんなに弱くなったんだろう。)
誰にも相談できず、孤独を感じる日々。それでも「助けて」と言えない自分がいた。言葉にしてしまえば、それが現実になる気がしたからだ。
鏡に映る自分を見つめながら、ひかりは小さく呟いた。
「私の武器は……ダンスだけ……だよね。」
振り付けを覚える速さ、キレのある動き。自信を持てるのはその部分だけだった。だが、それだけでは足りないことを、彼女は痛いほどわかっていた。
「美少女……ではあるよね。」
鏡に映る自分の顔をじっと見つめる。その容姿は、確かに「美少女」と呼ばれる範疇に入るだろう。だが、それが群を抜いて際立つわけではないことも自覚していた。新人の中には、自分よりも若く、目を引く容姿を持ったメンバーが何人もいる。
(私は、もう……必要ないのかな。)
自分の居場所が徐々になくなっていく感覚。それを思うたび、胸の奥に重たい石が沈んでいくようだった。
レッスンが終わり、ひかりはスタジオを後にした。仲間たちが笑いながら話している声が耳に入るが、振り返ることはなかった。自分だけが取り残されているような気がして、足早に楽屋へ向かった。
その夜、ひかりは自室のベッドでじっと天井を見つめていた。手元には、買ったまま使っていないノートが置いてある。それはファンとの交流や夢を記録するために用意したものだったが、何も書き込む気になれないまま日々が過ぎていった。
(これから、どうなるんだろう。)
誰にも相談できず、未来への恐怖だけが増していく。胸に宿る唯一の思いは、いつかまた輝きたいという願いだった。
だが、その願いをどう叶えればいいのか、ひかりにはまだ見えていなかった。
「2列目上手2番。」
振り付け確認のときに告げられたその言葉が、七瀬ひかりの胸に冷たく突き刺さっていた。ステージ中央からはるか遠いその場所は、ファンの目線にほとんど入らない「影」の位置に思えた。
リハーサル中、ひかりは振り付けを確認しながら、何度も自分が立つべき場所を見つめた。そこは、スポットライトが直接当たらない場所だった。センターやその両脇のメンバーに比べ、動きを目立たせることも、表情をファンに届けることも難しい。
(私……本当にここでいいのかな。)
胸の奥に押し寄せる不安を振り払おうとするが、足元がどんどん重くなっていく感覚に抗えない。かつてはステージ中央に立ち、すべての視線を集めていた自分が、今では「2列目の端」に立たされている現実。それはひかりにとって、耐え難い重圧だった。
公演当日、ひかりは楽屋の隅で静かに準備を進めていた。周りでは新人メンバーたちが楽しそうに話している。彼女たちの笑い声が耳に入るたび、ひかりは胸の奥が締め付けられるようだった。
(ファンはどう思うんだろう。)
かつて「センターのひかりちゃん」として応援してくれていたファンたち。今の自分を見て、どんなことを感じるだろう。彼らの心の中で、自分はどう映っているのだろうか。
「ひかりさん、頑張ってください!」
後輩の一人が明るく声をかけてくれた。ひかりは笑顔を作りながら頷いたが、その笑顔はどこかぎこちなかった。
(頑張る……。でも、私がどれだけ頑張っても、この位置じゃ誰にも届かない気がする。)
ファンにとって、自分はすでに「過去のセンター」として記憶の片隅に追いやられているのかもしれない。その考えが、ひかりの胸をますます重くした。
公演が始まり、曲が流れ始めた。ひかりは振り付け通りに体を動かしながら、視線の先を意識していた。だが、2列目上手2番の位置では、観客の多くの視線が自分に届かない。前列に立つセンターやその脇のメンバーに向けられるスポットライトの外側にいる自分。それが、ひかりには耐え難い現実だった。
ふと、客席に目を向けると、一部のファンが推しサイを手に振っているのが見えた。それでも、その数は以前に比べてはるかに少ない。かつて感じていた熱狂的な視線が、今は遠いものに思えた。
曲が終わり、ひかりは深く頭を下げた。ステージを降りると、全身から力が抜け、楽屋の椅子に座り込んだ。仲間たちが楽しそうに話す声が耳に届くが、ひかりはその輪に入る気力を持てなかった。
鏡に映る自分の顔を見つめる。そこにはかつての輝きはなく、曇った目をした自分がいた。
(私、このまま……本当に必要ない存在になっていくのかな。)
ひかりは俯き、手をぎゅっと握りしめた。ファンにとって「かつてのセンター」として過去の存在になるのが怖い。それでも、立ち位置が遠ざかる現実をどうすることもできなかった。
ひかりの心の中には、今でも消えない想いがあった。再び輝きたい――その一心でステージに立ち続けている。それがいつか報われる日が来るのかはわからない。それでも、諦めるわけにはいかなかった。
(もう一度……中央に戻りたい。でももう無理なのかな)
その願いが、彼女をかろうじて前に進ませていた。揺れる心を抱えながら、七瀬ひかりはまた新たなステージへと歩みを進めていく。
ステージは終わった。少し休憩してこの後、物販が始まる。ファンの声を聴くのが怖くなっている自分に気が付いた。
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※推しサイ:推し個人の色を表すサイリウムの色です。
イメージイラスト
https://kakuyomu.jp/my/news/16818093091584252369
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