第六話 善と悪、人と妖

 憂鬱ゆううつな邂逅と務めを終えた夕時。



金色こんじき、帰ったぞ!」



 帰宅した煉夜れんやは、いつものように家屋の戸を開けて家の中へ入った。


 だが——。

 いつもならば真っ先に出迎えてくれるはずの声と姿がない。



「……金色こんじき?」


「あれ? ぼうは何処へ行ったんですかね? かまどに火も付けっぱなしで」



 部屋の中を見回しても、金色こんじきは見当たらない。


 出て行ったのだろうか。

 しかし、出掛けに言葉を交わした時は——。



『美味しい夕餉ゆうげを用意して待ってますね!』



 と、笑顔で送り出してくれた。

 くりやにもその痕跡こんせきがある。

 約束を守ろうしていたのだろう。


 なれば、何故。


 煉夜れんやみょうな胸騒ぎがして家を飛び出した。



あるじ様!」



 あてなどあるはずもない。

 闇雲に探したところで見つかる望みは薄い。


 けれども——。



金色こんじき……金色こんじき……!)



 導かれる様に、足が向いた。


 金色こんじきと出会った場所。

 逢魔ヶ刻おうまがどきの、森の中へと。



❖❖❖



 すっかりと夜の帳が落ち、ざわりざわり、と闇でうごめくモノの気配を感じるあやしの森を煉夜れんやは駆けた。



「何処だ……何処にいる、金色こんじき!」



 声に誘われて、有象無象が這い出て来る。



「——邪魔だ!」



 行く手に立ち塞がったそれらを、煉夜れんやは手で


 また、どこかでこれに襲われているのではないか。


 そんな不安をいだきながら、直感が告げるままに駆け続ける。

 

 そうして、森の奥深くへ入り込み、幾分いくぶんか過ぎた時。



「ぎゃあああっ!!」



 男の悲鳴が響いた。

 金色こんじきの声ではないが、どこかで聞いた声——。


 煉夜れんやは声がした方へ駆けた。



 辿たどり着いた先で煉夜れんやが目にしたのは、尻餅しりもちを付きおびえる金色こんじきと、肩から血を流して転がる湊音みなとの姿だ。


 その対面には美しき衣をまとい、扇子せんすかかげる白髪はくはつの女の姿があった。



金色こんじきっ!」


「……煉夜れんやさん!」



 煉夜れんやは二人と女との間に、体をすべり込ませた。

 何故、そうの弟子・湊音みなとが共に居るのか、という疑問はひとまず置いて置く。



金色こんじき、大丈夫か! 怪我は!?」


「僕は大丈夫です、でも……」



 ちらり、と後ろを見やる。

 金色こんじきの視線は、湊音みなとに向いている。


 見た目にも深い傷だ、一刻も早く手当てが必要だろう。


 しかし、煉夜れんや金色こんじきも頬に傷を負っているのを見逃さなかった。


 一体誰が金色こんじきを傷つけたのか。

 湧き上がる怒りに、ギリギリと歯を食いしばる。



「邪魔が入りんしたねぇ」



 上品で高い女の声。

 前方を見やると、べにを差し、つやのある唇があやしくを描いた。


 雰囲気でわかる。

 女は——人間ひとではない、と。



守橙しゅちょう!」


「ここに居ますよ、主様」



 名を呼べば式神は応えた。

 炎と共に現れて煉夜れんや薙刀なぎなたを手渡し、そばに立つ。


 煉夜れんやは受け取った得物の切先を女に向けた。



「お前か? 金色こんじきに手を出したのは」


「いややわぁ、誤解せんとください。

 うちはその子を助けようとしただけです。そこの青いお人から」



 女は扇子せんすで口元を隠し、目尻めじりの上がった菖蒲あやめ色の瞳を金色こんじき湊音みなとの順に送った。


 女が嘘を言っている可能性もある。

 どういう事か、と煉夜れんや湊音みなとにらみつけた。



「あ、あやかしはらうべき悪だ!

 そうかみも、貴女も何を血迷っているのですか!?」



 打ち震えた湊音みなと眉間みけんしわを寄せて眉尻まゆじりを上げ、憎悪をあらわにしている。


 「過去に色々ある」と言ったそうの言葉が思い起こされた。


 このご時世、珍しくもない話だが——。



金色こんじきを……害そうとしたのか」



 感情が荒れ狂う海のようにさざ波を立てる。

 それと同時に、自分の見通しの甘さをいて唇を噛んだ。



「貴女だってかんなぎでしょう、おかみの命を忘れたのですか!?」


「世の秩序を乱す、不浄なるもの。

 見つけ次第、ことごとくを滅せよ——か?

 忘れてなどいないさ。その命に従い、嫌と言うほど殺してきたからな」


「ならば何故、今回もそうしないのです!

 たわむれで情でも移りましたか!? この妖狐は貴女をたばっているのですよ!!」



 湊音みなとの言葉に、煉夜れんやは一瞬、動き止めるが——。



「それがどうした」



 と、歯牙にかけることはなかった。



「な……どうしてですか!」


「どうしてもこうしてもない。そも、此れは私と金色こんじきの問題だ。部外者が口を挟むな」


「ですが、妖は!!」


「くどい! 昔馴染みの弟子だから、と大目に見ていたが……お前は何様のつもりだ?

 まださえずるつもりなら、その首くびき落とすぞ」



 煉夜れんやが明確なる殺気を乗せた瞳で湊音みなとを射抜くと、湊音みなとは「ひぃ!」と情けない悲鳴を上げて肩を震わせた。


 そうは『優秀な弟子』と言っていたが、この程度の威圧で委縮するようでは「まだまだだな」と思いながら前を向く。


 一部始終を静かに見守っていた女と視線が交わる。



「お話は終わりまして?

 それにしても、人間ひとはみぃんな、同じことを言わはりますなぁ。

 人間ひとき者、あやかししき者、と。

 なんで言い切れるのやろなぁ?」



 さげすむような視線と声が降る。


 狡猾こうかつあやかしの言葉に耳を貸す必要はないが、人間が必ずしも善でないという点には煉夜れんやも共感出来た。



「まあええやろう。うちの目的はその子です。大人しゅう渡しとぉくれやす?」


金色こんじきを? 何のために」


「さぁて、それを答える義理はあるんやのん?」


「私の庇護下ひごかる者を、理由もわからず託せるはずがなかろう?」


「ふぅん、えらい大切にしてるんどすなぁ?

 それとも愛玩あいがん動物としてでっしゃろか。

 たまにいはるんよね、うちらを飼い慣らそうとするおろかなお人が。

 あんたもそのたぐいやろ?

 素直におうじひんちゅうのなら、ちぃとばかし痛い目にあってもらいますえ」



 パチンと軽快な音を鳴らして女の扇子せんすが閉じられる。


 すると、木々の合間の闇から有象無象のあやかしが現れた。


 煉夜れんやは得物を持たぬ左手で素早く印を結ぶ。



けつ!』



 発声すると結界——三角錐さんかくすいの光の膜が金色こんじき湊音みなとを個別に覆って展開した。



みやびやかに踊っとぉくれやす」



 扇子が煉夜れんやに差し向けられ、あやかしが大挙して襲い来る。


 小物ばかりだがひゃく二百にひゃく——いや、それ以上かもしれない。



「これはまた……」



 「見飽きた光景だな」と呟きながら煉夜れんやは迫り来るそれを見据えて、つかを握る手に霊力をめた。


 刃へ霊力が伝い、白い波動がゆらめく。


 津波のように押し寄せるおどろおどろしい群れ——煉夜れんやはそれに飲み込まれる瞬間、地からてんへ、空を斬る様に刃でぎ払った。


 ——霊力の宿る軌跡は、陣風じんぷうを生んだ。


 激しく吹き荒れる風が邪気をはらんだあやかしを巻き込んで、まばゆい光の洪水となり空へ昇る。



「児戯よなぁ。もっとましな遊戯はないのか?」



 すべてを一振りで浄化して見せた煉夜れんやは、口角を上げて挑戦的に笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る