第二話 不死の巫と幼き妖狐

 時は平安の時代。


 京にみやこきずかれ、貴族の力が強くなった王朝では日々権力争いが繰り広げられる。


 そんな表舞台の裏側——。


 いつの頃からか、世には〝あやかし〟または〝もの〟と呼ばれる魑魅魍魎ちみもうりょう怪異かいい跋扈ばっこするようになっていた。


 怪異が現れるは、逢魔ヶ刻おうまがどき


 都を守護する神々に仕えるかんなぎ煉夜れんやの務めは、怪異をはらう事。

 ——なのだが。



「ああ、いなぁ。金色こんじきは可愛い、癒される」


「れ、煉夜れんやさ、んぷっ」



 煉夜れんやはたじたじと自分の名を呼んだ金色こんじき——その名の通り、黄金こがね色に輝く髪とを頭に生やした妖狐の少年を、自分の胸へき込んだ。


 ふわりと陽だまりの匂いが鼻孔びこうをくすぐり、小さな身体から高めの体温が伝わってくる。


 ぬくもりが心地良い。

 いつまでもこうしていたいと煉夜れんやは思った。



あるじ様。お楽しみのところ申し訳ないのですが、そろそろ……」



 背後から「こほん」と、わざとらしい咳払いが一つ。



「無粋だぞ、守橙しゅちょう。私は今忙しい」



 この幸福しあわせな時間を邪魔するとは何事か。

 不機嫌を露わに振り返れば、狩衣かりぎぬを着た男が呆れ顔で見下ろしていた。


 髪は燃え立つ炎のような真紅しんく、側頭部には羽根の髪飾り。

 開かれた切長の瞳はつやのある暗い赤、赤銅しゃくどうの色。


 只人とかけ離れた色彩を持つこの男は、煉夜れんやの〝式神〟である。



ぼうでてるだけでしょう。務めを果たさねば、またどやされますよ」


「ふん、それがどうした。こうして金色こんじきを愛でていられるなら小言の一つや二つ、痛くも痒くもない。大体、代わりならいくらでもいるだろう」



 煉夜れんや守橙しゅちょうから顔を背けて金色こんじきの頭を撫でた。


 絹のようにすべらかで触り心地の良い髪だ。

 耳はもふもふしていてやわらかいし、 「くすぐったいです」と、恥じらう声すらも癒される。


 触るだけでなく顔をうずめて堪能しモフりたい衝動に駆られたが——さすがに引かれそうなので我慢である。



「主様の代わりが務まるかんなぎはふりなど早々いません。

 ほら、駄々をこねてないで行きますよ」



 煉夜れんやまとった白衣はくえの首根っこを掴まれ、金色こんじきから引き離された。



「離せ、守橙しゅちょう! 主の命だ!」


「その命令は聞けません」


「主の命に背くというのか? そんな風に育てた覚えはないぞ!」


「命に従うだけでは、主のためになりませんからね。

 それに、坊の事だっておかみにバレたらまずいでしょう?

 疑いをかけられないためにも、やる事はやるべきです」


「く……っ!」



 正論なので言い返せない。

 狭い家屋の中、外に続く戸へ引きられて行く。



煉夜れんやさん、守橙しゅちょうさん、気を付けて行ってらっしゃい!」



 金色こんじきが手を振り見送っている。

 何とも良い笑顔を浮かべて。



(離れるのが恋しいのは私だけなのか?

 まさかくっつきすぎて、鬱陶うっとおしいと思われて……!?)



 煉夜れんやは無性にさびしい気持ちとなった。



嗚呼ああ……金色こんじき……っ!」


「今生の別れじゃないんですから。帰ったらまた存分にでれば良いでしょう。

 ぼう、留守を頼みます」


「はい!」



 すがる様に手を伸ばすも今度は担ぎ込まれてしまい、煉夜れんやすべなく連行された。


 課せられた務め、怪異をはらたたかいへと——。



❖❖❖



 逢魔ヶ刻おうまがどき

 やって来たのは怪異の集う森だ。


 煉夜れんや達は森の奥、奥深くへと駆けた。


 夕闇に支配された森は陰鬱いんうつとした気がれこめ、風が木々の葉を揺らして「ざわざわ」と不気味な音をかなでている。



「はあ、このところ妖どもが騒がしいな。

 お陰で毎夜こうして出なければならないのだから、迷惑な話だ。

 金色こんじきとの時間が持てぬではないか」


「凶事の前兆ですかね。出雲いずもにあった災厄さいやくの封印が解けたという噂も耳にします」


「出雲の災厄……か。あれは幾年いくとしの出来事だったか。

 単なる災厄さいやくで無かった事は、覚えているのだが」


「私が主様に仕える前ですから、大分昔の話ですよね。

 ——っと、来ますよ、主様」



 守橙しゅちょうの声に、煉夜れんやは足を止めた。


 はらりと眼前に舞った己の黒髪を払い退けて、得物えもの——長いの先に、弓張り月の形をした刃を取り付けた薙刀なぎなたを構える。


 邪気が濃くなると同時に、木の合間からのあやかしは現れた。


 姿形は千差万別。

 「グギャギャギャ」「ギチギチ」と言った奇声を発している。

 知性を兼ね備えてはいない、有象無象うぞうむぞうだ。



今宵こよい小物こものが大漁ですねぇ」



 守橙しゅちょう赤銅しゃくどうの瞳を細めて妖を見やり、胸の位置に右手をかかげると、手のひらに髪色と同じ真紅の炎が生まれた。



「舞い踊れ、〝神炎じんえん〟」



 向かってくるあやかしの群れへ放たれた炎は一瞬にして燃え広がり、邪気じゃきを宿したあやかしのみを塵に変えてゆく。


 煉夜れんやは己の霊力を薙刀にめると炎の中へ飛び込み、薙刀を振るった。


 円を描くようにいで、斬って、時に斬撃派を飛ばし。

 そうして、あやかしを浄化していった。



 ——煉夜れんや金色こんじきを拾ったのも、こうした有象無象をめっしている時だ。



(思えば、あの出会いは運命であった)



 永き時、自分を使役する〝神〟の命に従って、数多あまたあやかしを無慈悲にほふって来た煉夜れんやはあの日、金色こんじきに出会って。



(……心を、動かされた)



 きっかけは、あの色。

 満ちた月、あるいは稲穂いなほのような黄金こがね色。



(出会った時、金色こんじきは手負いであった。

 有象無象うぞうむぞうまれた体は血にまみれ、命の灯火ともしびは消えかけていた。

 だが、人型と言えどもあやかし

 ……掛ける情けは不要だ)


 

 そう思って、金色こんじきを捕食しようと群がったあやかし諸共もろとも、浄化すべく煉夜れんやは薙刀を振りかざした。


 その時。



金色こんじきの瞳と、目が合った。

 あれは、あの黄金こがね色は、私にとって——)



 煉夜れんやは息を飲んだ。

 ドクリと心臓が脈打ち、胸が熱くなった。


 さらに金色こんじきは、神威しんいを授かった際に柘榴ざくろ色へ変色した煉夜れんやの瞳を恐れずに見て、言った。


 「助けて」——と。



(……そうして、気付けば金色こんじきを救い、連れ帰っていた)



 守橙しゅちょうとがめられたのは言うまでもない。


 回復して目覚めた金色こんじき——身の上を話そうとせず、名がわからなかったので見た目の色から名付けた——は、窮地きゅうちを救った煉夜れんやを、恩人としたった。


 人のわらべと変わらぬ無邪気さで、感情豊かに接して来る金色こんじき



(その行動は、存在は、苦痛しか感じていなかった生に希望を与えた)



 妖狐は狡猾こうかつで、人をかす事があるのは煉夜れんやも承知している。


 神の意に反し、あやかしかこっている事が露呈ろていしたら、それこそ大事になる事も。



(だが、もう……私は金色こんじきを手放す事が出来ない)



 己を癒す黄金色こがねいろの光。

 それが煉夜れんやにとっての金色こんじきなのだ。

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