見学結果、報告します!

「ふーん。上手く言っているようで何より、あちらさんからも早速、二回目の要望が来ているから日程に関しては調整しておこう」


 空人は春海のメモを流し読みしながら、タブレットに情報を入力していく。

 幸いにも明日は土曜日で氷室も仕事がない。辰巳側は常に時間を持て余している状態なので、すぐにでも会わせることは可能であった。


「あの、すいません。使っておいて言うのもなんですけど、本当に良かったんですか?」

「あぁ、喫茶店のことか。金のことなら気にするな。はっきり言って、一生働かなくても済むくらいの資産はある」

「一生、ですか?」


 サラリーマンの生涯年収は三億円と言うのが、よく聞く一つの指標だが、それを一体どうやって稼いだのか。聞いてみたい気持ちと、聞いてはいけない気持ちが春海の中で衝突する。

 そんな中、空人は一通りやるべきことが終わったのか、メモ帳とタブレットから目を離して背もたれに寄り掛かった。


「それで? どうだった? 初めて亜人を見た感じは」

「どうって言っても、意外に人間っぽいんですね。もっと、異形な感じを想像してたんですけど」

「そりゃ種族や個体により違うさ。角が長い奴もいれば短い奴もいる。肌が人に近い奴もいれば鱗がある奴もいる。場合によっては足じゃなくて下半身が蛇のままとかもな」

「そうですか。まぁ、比較的美人な部類だし、正体を明かしても全然やって行けると思いますけどね。それに初対面であそこまで話が盛り上がるなら、二人の関係も全然イケる範囲だと思いま――――ハクチッ!」


 唐突にクシャミが出てしまった春海に、空人は口くらい覆えと苦言を呈する。


「どうした、就活生。受験生と同じで、体調管理も実力の内だと思うが?」

「仕方ないじゃないですか。喫茶店の冷房、かなり効いてたんですから。あんな中に二、三時間いたら、こうなるのも仕方ないでしょ!」

「それも含めての体調管理だ。ブランケットを借りるとか、温かいコーヒーを頼むとかあっただろう? 待ってろ、白湯の一杯くらいは用意してやれる」


 呆れたように立ち上がった空人だったが、不意に足を止める。腕を組んで片手を顎にもって行き、何かを思案するような動きを見せた。


「あの、どうかしましたか?」

「今回、依頼者二人がいたのは二時間だったな?」

「はい。午前十時から正午までの二時間で、昼ごはんは食べずに帰りました」

「その間、飲んだ物は?」

「氷室さんはアイスコーヒーを一杯だけ。辰巳さんはアイスコーヒーをミルクありで二杯ほど。お冷もおかわりしていましたね」


 それを聞いた空人は席に戻ってタブレットを素早く操作し始める。目を見開いたまま無言で動く空人の姿に、春海はどことなく不安を覚えた。


「な、なにか、マズイことでも?」

「あぁ、大問題だ。緊急を要するレベルのな。双方の依頼人が承諾した契約書の内容、覚えているか?」

「も、もちろんです。そう言うのを覚えるのは得意ですから」


 その基本的な内容は会員期間や料金などの基本的な事項について、その点は割愛するが、この相談所では今回のようなお見合いの第一段階が行われるまでは金がかからない。

 このようなお相手がいるが、会うかどうかが選べる。会うというのならここから相談所への支払いが必要になる、という形式だ。会員費を取らないのも、空人に資産があるからなのだろうが、春海からするとどこかで法律に引っ掛かっているような気がしなくもない。

 問題になって来るのは、異種族と関わる上で必要な契約文のところだろう。


「人間側へ最も警戒するのは『絶対に亜人の存在をバラさせないこと』。この一点に尽きる。変な抜け道を見つけて広められた日には、誰の得にもならんからな。主に依頼者は、だが」


 その上で今回の問題は辰巳側。つまり亜人に問題があると空人は言う。春海は、今回のお見合い中に、辰巳が契約を破ったようには感じなかった。むしろ、次に会う時には、この事務所を通すようにと提案をしていたほどだ。


「どちらの契約文にもあるが、その重みは亜人側の方が圧倒的。そんな一文を君は見ているはずだ。いや、そもそも『そんな一文必要なのか』と思う人がいてもおかしくない」

「あ、もしかして、あれですか? 『虚偽の申請を出してはならない』って文ですか?」


 嘘をついてはいけない、などというのは契約以前の問題だ。それでも、明文化しておくことに意味があることは春海でも充分理解はできる。現実問題として、人間同士であっても年齢のサバを読んだだけで問題になることもあるくらいだ。その責任を仲介である相談所は負うことなどできるはずがない。

 ただ、空人の慌てようからすると、それには少しばかり違う要素があるようにも思えた。


「もちろんだ。尤も、これは俺に対する契約であり、俺から二人に対しての契約ではない。だから、最初の時点で俺は氷室氏に虚偽の情報を暗黙の内に渡していることになるが、問題にはならない。この意味は分かるか?」

「――――人同士の婚活と思わせている、ってことですか?」

「そうだ。氷室氏は辰巳氏を現時点では『人間の女性である』と信じて、婚活を行っている。その点においては、俺は詐欺師同然だ。ただし、この行為は双方の種族の安全を確保するために許されているので、問題にはならない、という意味だ」


 もしも、その契約が意味を成していなければ、どちらかが命を落とすという事件にも発展しかねない。御伽噺には正体がばれた亜人側が、人間の下を去る話で終わるものもあるが、中には人間を殺したり、亜人が自ら命を絶つバッドエンドも数多く存在する。それを引き起こさないための安全装置が、その契約書なのだという。


「で、でも契約書なんて、やろうと思えば破ることも――――」

「何か忘れていないか? 俺が何だったかを」

「あっ!」


 空人の人差し指に浮かんだ炎を見て、春海は顔が蒼褪める。

 目の前にいるのは外見と年齢が吊り合わない謎の魔法使い。そんな男が用意した契約書を破ろうものなら一体何が起きるか。それではまるで悪魔との契約と同じで――――


「待ってください。その契約って、まさか私の契約も同じ代物だったり……しませんよね?」

「形こそ違うが、ちゃんと同じものだ。契約を破れば、女神の裁きが下る」

「うわあああああ。うそだああああああ。クーリングオフを希望します。できますよね!」

「無理に決まってるだろう。異世界の存在、魔法、亜人のことを知って、元の生活に戻れると思うな」

「ですよねー」


 春海はソファへ倒れ込む。その目に精気は宿っておらず、絶望の二文字しか見えていない。

 さようなら、私の日常。そんな声が聞こえてきそうだ。


「それで、どうする? ここから先は婚活事業とは違う、裏の顔も見ることになるんだが、そっちにも興味があるか?」

「もう、良いですよ。ここまで来たら全部見た方がスッキリしますから。毒を喰らわば皿まで、って言うでしょう」

「そうか。今回みたいなレアケースは一年に一、二回程度なんだが、それに初っ端で当たって、しかも発見して来るくらい優秀なんだ。正直、今回の件を最後まで見届けられるくらいの度胸があるなら、正式にここで正社員としてやっていってほしい気持ちもある」


 春海は僅かに首だけを動かして空人を見る。タブレットを持っているが、その奥にある二つの瞳はまっすぐに春海を捉えていた。


「……熱烈な歓迎に感謝しますけど、こちとら一般人なので、一般企業に就職したい気持ちの方が上ですね」

「そりゃ、残念だ。まぁ、君の席はとりあえず仮で用意はしておくよ。一応、面接で合格判定を出したのは事実だから」


 空人はタブレットを置くとカウンターの方へと歩いて行ってしまう。しばらくして戻って来た彼の両手には湯気を出す緑茶が入ったコップが握られていた。

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