お見合い、上手くいきそうですよ!

 翌日、目立たない私服で事務所に顔を出した春海は、いくつかの持ち物を渡されて喫茶店に向かった。

 幸いにも、今日は曇っていて風もそこそこ吹いている。久しぶりに爽やかな気持ちで歩きながら、事務所での会話を思い出した。


「基本はメモ。音声を残すと色々と問題になったり、そもそも録音できない種族がいたりするからな。別に全部を書かなくていい。その場の雰囲気、相手が笑ってたかどうかなんて情報で構わないんだ。大切なのは、傍から見てて君がどう感じたか、だ」

「そんなんで良いんですか?」

「あぁ、それこそ、俺が人を雇いたかった理由だ。何せ、自分ばかりの感性で話を聞いていると、偏った考え方しかできなくなる。特に女性側の意見は貴重だから報酬は弾もう」


 そう言って渡された内の一つは、喫茶店の無料券十枚つづり。これだけで約五千円の食べ放題と思えば、かなりお得だ。


(ここの支払い、めっちゃいいけど、危ない組織と手を組んでるみたい。いや、実際に危ない組織っぽいけど……)


 昨日、首に突きつけられた氷の槍を思い出しながら、喫茶店の扉を開ける。中はクーラーがかなり効いているようで、今日の天気からすると寒いくらいだ。

 個人経営の店らしく、カウンターでは店主一人が優雅にコーヒーを入れていた。背の高い瘦身の老人で、口ひげをカールさせている。白髪をオールバックにして眼鏡をかけた姿は、その動きも相まって貴族に仕える執事を彷彿とさせた。


「いらっしゃいませ。御予約のお客様ですね? どうぞ、こちらへ」

「え、えっ!?」


 戸惑って、その場で春海は某立ちしてしまう。それを振り返った店主はにっこりと笑い、懐からカードを取り出した。


(ヤタガラスのマーク!?)


 白地に三本足の黒い烏が一匹。サッカーの日本代表のマークにも使われる有名な鳥だ。

 ただ春海からすれば、今この瞬間における考えは一つ。目の前の店主も空人と同じ婚活の協力者であるということだ。


「す、すいません」

「いえいえ、今日は曇っているとはいえ、暑いですから」


 案内されたのは奥から一つ手前の壁側の席。店主に促されるまま座ると、今回のターゲットの片割れである氷室が、そわそわと落ち着かない様子でアイスコーヒーを啜っているのが見えた。


「お水をお持ちしますので、こちらのメニューを見てお待ちください」

「ありがとうございます」


 ハンドタオルを鞄から出して首や腕を拭う。それほど汗はかいていないが、それでも思わず拭ってしまう。そして、鞄の中に入っている渡された物たちを一通り取り出してみた。

 ボールペンとメモ帳。百均で売っているやつだ。基本装備だが、しっかりと会社持ちで用意してくれている。

 眼鏡。変装魔法を無効化する術式が籠められたレンズ、らしい。

 お守り。安全祈願と書かれている。普通は交通安全とか家内安全とか上に二文字付くと思うのだが、そうではないらしい。

 とりあえず、眼鏡だけかけて、お守りは鞄に戻す。チャックを閉めたところで、甲高いドアベルが鳴り響いた。


「ごめんくださいな。先に注文を一つ。アイスコーヒー、ミルクを付けて」

「かしこまりました。どうぞ、お好きな席へ」

「ありがとう」


 落ち着いた雰囲気の声に振り返りたくなる衝動を抑え、春海は二人が注文していた物をサッとメモする。女性が近付く前に、メニューをメモ帳の上に被せて見えないようにした。


(よし、後は頼む飲み物を決めて、ゆっくりしーよおっと!)


 気分を上げて、メニューを指でなぞって行くとなかなかお目にかかれない値段が見つかった。どうせただ同然なのだから、と頼んでみることにする。

 観察対象のテーブルへと視線を移すと、どうやら互いに自己紹介をしている様子。眼鏡で辰巳を伺ってみると、一瞬で気付かれてしまった。

 心臓がバクバクするのを感じながら、春海は眼鏡をずらしメニューを立てて顔を伏せる。視界を遮った向こう側では、氷室のたどたどしい声と、辰巳の落ち着いて受け答えする声が交互に聞こえた。

 最高とも言えないが、最悪とも言えない。春海が評価を下すなら、後は二人の相性次第では、と思う程度に会話は進んで行く。


「お待たせしました。アイスコーヒー、ミルク付きでございます」

「ありがとう」


 商品を運び終えた店主が折り返して来る途中で、そのまま春海のテーブルへと近づいて来た。


「お水をお持ちしました。お客様、ご注文はお決まりですか?」

「あ、はい。これをお願いします」

「砂糖とミルクはいかがしますか?」

「両方ありで」

「かしこまりました」


 ゆっくりと恭しく礼をした店主は、背筋を伸ばして去って行く。その背中がカウンターの中へと入って行くのを見届けて、春海は左斜め前の会話へと耳を傾けた。


「出身はどのようなところでしたか?」

「私の生まれは温暖なところでして、冬はそこまで寒くなく、夏はそこまで暑くなく――――といった感じです。この辺りは、まだマシとは聞いていましたが、やはり冬も夏も辛いかもしれません」


 美晴は頭の中に最低限叩き込んだ二人の契約内容を思い出す。

 人間側――――つまり、氷室は相手の出身地について踏み込んで聞いてはならない。亜人は異世界出身が大半だ。それを考えれば、答えたくても答えられないのが実情だろう。

 逆に亜人側――――辰巳は自らの正体を明かしてはならない。一般人が亜人を心の準備無しで見たら、パニックを起こすことは間違いないからだ。


(――――それに自分の正体がバレたら、伴侶から去るっていうのが御伽噺のテンプレだものね。ここでは、それだけじゃないと思うけど)


 二人の会話はそのまま進んで行く。好みに関しては二人とも一致しているようで、どちらも鶏肉が好みらしい。氷室は行きつけの焼き鳥屋があるらしく、そこへ誘いたい雰囲気を醸し出しているが、辰巳は日程がすぐには決められないと難色を示している。


(今、こっちを見た?)


 何度か二人の方を見ていた春海だったが、明らかに今の会話の最中、春海の方を辰巳はジロリと視線を向けた気がした。何かマズいことでもあったかと不安に思っていると、店主の体がその間に割り込まれた。


「お待たせしました。店主厳選のプレミアム・アイスコーヒーでございます。ミルクと砂糖をお付けしておりますが、まずは入れずに香りと一口分の味を楽しんでいただければと」

「あ、ありがとうございます」


 視界が遮られて助かった意味も込め、春海は店主へと頭を下げた。

 いえいえ、と告げる店主は、まるで頑張ってと応援するかのようにウィンクをして去って行く。彼に言われた通り、軽く鼻の近くまでコップを持って来ると、鼻腔から頭頂部に抜けるような爽やかな香りが吹き抜けた。

 ちょうど真夏日に吹く爽やかな風のようなそれに、思わずストローへ口が吸いつく。


(あ、全然苦くないかも……)


 ここ最近の就活への不安や目の前の婚活事情でモヤモヤとしていたものが、そのままなくなってしまうよな清涼感に、春海は思わずコーヒーを舌の上で転がした。


「――――では、第二回の方でヤタガラスさんを通じて日程を決めるのはいかがでしょう。多少の契約内容は違えど、恐らく、氷室さんの方にもそのようなことが書かれているのでは?」

「あ、はい。そうでしたね」


 はっ、と春海はコップを置いて、メモ帳とボールペンに手を伸ばす。自分がここにいる理由を思い出し、焼き鳥の件を書いていく。

 婚活相談所の契約は段階性になっていて、最終的には亜人であることを受け入れた上での結婚も視野に入れている。その為、結婚を前提にお付き合いします、と勝手に二人で会われて正体がバレて破談と言うのは避けたい。

 結果として、次に会う時も相談所経由での日程調整が行われる必要がある。


(あの人、一人でできるようなことじゃないけど、魔法使いだって言うなら無理ではないか。私みたいに観察するのだって、なんか黒猫の使い魔みたいなので観察させてそうだし)


 そう言って春海は窓の外に見えた室外機の三毛猫や電線に止まった烏を見た。どちらも店内を監視しているように、じっと顔を固定して動かずにいる。


(……大丈夫、だよね? 実は私が監視されてる側だったり?)


 信用無いかぁ、とため息をつきたくなるのを堪えて、ペンを走らせる。逆に自分の有能さをここで見せつけてやると言わんばかりにメモ帳へ、自分の思ったことも行を変えて書き込んだ。

 気付けば喫茶店で過ごした時間は二時間に届き、観察対象の二人は昼食はまた今度ということで、それぞれ店を去って行った。

 当然、春海はというと――――


「あ、すいません。これ一つください!」


 昼食もきっちり食べて、事務所へと戻ることにした。

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