とりあえず、仮契約ですか!?

 部屋の中に春海の絶叫が木霊した。


「うるさいなぁ。俺も声は大きい方だけど、流石にそこまで叫ぶことないじゃないか。過去の就活生で断トツだぞ、君」

「いやいやいや、おかしいでしょ! こんな若い社長がいるはずない! 君、まだ中学生か、あっても高校生でしょ!」

「悪いな。これでも成人してるんだ。君らの基準に合わせると、大体三十歳だ」

「嘘だ。絶対嘘だ。確かに背は大きいけど、肌の質とか絶対に未成年だって」

「うん。その点については申し訳ないが、そう言うものだと理解してほしい。だけど、こんなので驚いていたら、この先、身が持たないよ。一応、心臓が弱い人はお断りしてるんだけど、その辺りの病歴は――――大丈夫そうか」


 そう告げると、空人は机の引き出しを開けてバインダーに履歴書を挟み込んだ。


「それで、こちらとしては実際に働く前に見学、俺の補佐って形で話を進めていきたいんだけど? 最初は正社員じゃなくてアルバイトの方が都合がいいよね? 大学もあるし、他の所への就活も大変だろうし」

「うっ、何か、手慣れてますね」

「三年連続で君みたいなのが送られてくるからね。そりゃ、こっちも慣れるさ」


 空人は跳ねた髪を何度も触りながら苦笑いする。そして、空いた手で紙を取り出しながら、春海へと問いかけた。


「ところで、俺が言ったことに疑問を抱かなかったようだけど、大丈夫かな?」

「え、何がですか?」

「俺はこう言ったんだ、『異種族交流』って。それをスルーするのは、こちらとしても困る」


 春海は思考を巡らせる。


 ――――の結婚において、異種族とは何か?


 真っ先に浮かぶのは異なる国の人間という言葉だろう。だが、それならば国際交流という言葉がより相応しい。

 異なる民族と言うのならば、それこそ異民族と最初から使えばいい。わざわざ種族という単語を持って来るのは不適切だ。


「警告しておこう。ここから先、自分の意志を示す言動には注意しろ。迂闊に頷くだけで、君の人生が壊れてしまうだけのものがあるからな」


 馬鹿らしい、と春海は考える。

 今の時代、確かに映像機器や録音装置で了解の有無を記録することで裁判の証拠にすることは容易くなった。それでも、ただ頷くだけで空人の言う破滅などあり得る筈がない。

 だが、空人の目はその考えを見抜いたかのように細くなった。


「まず、ここが一番大切だ。『情報漏洩の禁止』。いかなる情報であろうとも、『この職に関わって知り得た客の情報や会社の存在意義』を他人に伝えてはならない。口頭は勿論、筆記、ネット、その他あらゆる全ての方法で伝えることを禁じる。ここさえ守れば、とりあえずは何とかなる」


 逆に言えば、ここを破った時には何があろうとも守ることはできない、と空人は人を殺しそうな鋭い瞳で訴えていた。

 春海はその視線を受けて、唾を飲み込んだ。いつの間にか乾いた喉が痛みを訴える。


「その上で、ここから先の話を聞いた場合、君は一生、ある秘密を抱えたまま生きる必要が出て来る。それが嫌ならば、引き返すことをおススメする。どうする? たかが、滑り止めごときにそんなリスクは恐ろしいとは思わないか?」

「馬鹿にしないで。それくらいの常識はある。それに情報漏洩なんて就職したら、やっちゃいけないなんて当たり前のことでしょ!」

「そうか……じゃあ、覚悟は良いんだな?」


 ニヤリ、と挑発的な笑みを浮かべた空人に、春海は苛立ちを隠せずに大きく頷いた。

 それを見た空人は、頷いたな、と確認した上で羊皮紙を取り出した。


「異種族交流ヤタガラス婚活相談所の設立趣旨は、日本国の未婚男性の増加とそれに伴って加速する少子化問題の解決だ。これはホームページで予習は?」

「してある」

「そうか。じゃあ、ここから先は載せてない部分だ。信じられないかもしれないが、よく聞け――――」


 空人は羊皮紙を脇に置きながら、次々にインク、羽ペンとまるで魔法使いが使いそうな道具を用意し始める。


 ――――異世界に存在する「人体に獣や虫などの人類以外の種族の特徴を持っていたり、或いは人類以外の種族だが、人類に酷似または擬態したりする個体ないし種族」で、「人とコミュニケーションが取れる者」を亜人と称し、彼らが望む場合は日本人との婚姻を奨励するものとする。


「――――は?」


 春海の口から間抜けな声が漏れる。


「日本の昔話にもあるだろう? 鶴の恩返しとか浦島太郎とか。人でない者が人と結婚して、子を成すって話だ」

「いやいやいや、そんな動物が人間だなんて……。じゃあ、アレ? 獣人とかみたいな?」

「あぁ、そうだな。多分、君が想像しているような、ファンタジー世界のアレだ」

「またまた、そんな映画の世界じゃあるまいし――――」


 そう告げた瞬間、春海の首筋に冷たい物が触れた。


「え?」

「ところがあるんだよ。魔法やドラゴンが飛び交う絵本の中のような世界が、君の知らないところにはね」


 ほんの一瞬、目を瞑っていた間に、春海の周囲のいくつもの氷の槍が出現し、春海へと向けられていた。それを持つ者はいないのにも関わらず、まるで美術館に展示されたかのように一ミリすら動かない。


「これが魔法だ。君が信じる為なら、次は火球でも用意しようか? 夏は暑いからやりたくはないんだが……」

「し、信じます。信じますから」

「そうかい。それは良かった」


 空人が指を鳴らすと、氷の槍は空中で砕け散り、水になることも無ければ破片を床にまき散らすことなく霧散した。


「細かい話は抜きにして、ここにサインを貰おうか。書かれている内容は単純だ。先程も言った通り。君に分かりやすく言うならば『魔法や亜人の存在を秘匿すること』。当然、破れば――――」

「破れば?」

「――――とても、面倒なことになる」


 その一言で、春海の心は折れたも同然だった。

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