4分33秒
杉野みくや
4分33秒
流行というのは時に、理解に苦しむものを蔓延させていく。そう感じることがまあまああって、そのたびに眉をひそめるのもだんだん疲れてきた。
単純にかわいらしいものが流行る時もあれば、「何が面白いんだ」と説明もつかないものが流行る時もある。今回は明らかに後者の類いだ。
廊下にいる段階から聞こえてくる女子の甲高い笑い声。朝からお元気なことですこと、と変なお嬢様言葉で皮肉りながら自分の席へと向かう。もちろん、声には出してないから安心してほしい。
教科書を机の中に入れていると、リーダー格の女子が急に神妙な声色で
「あ、通知来た。ごめんちょっと集中するね」
と言った。慣れた指さばきでスマホの画面を操作したかと思えば、なぜかゆっくり目を閉じ始めた。手に持ったままのスマホには、刻々と減っていく数字とでこぼこした波形が映っている。まるで眠っているかのように静かになったあいつはしばらく目を開かなかった。
4分と33秒が経つと、スマホから軽快なBGMが鳴り始めて目覚めの時間を知らせる。やや眠そうに目をこすりながらスマホに目を向けると、途端に目をぱっと見開いた。
「やばっ!今日の録音結構いい感じかも!」
「え、見せて見せて!」
「86点!?」
「え、やばくないこれ!」
「やばいやばい!」
お互いにキャッキャしてるだけで1ミリも中身が伝わってこない。SFゲームに出てくる難解な暗号の方がまだ分かりやすい。
語彙力の低さに頭が痛くなりそうになっていると、隣の机ががたんと揺れるのが見えた。
「よ、マサト」
「おっす、タケル。朝から何難しい顔してんだ?」
「あいつらだよあいつら。うるさいったらありゃしない」
小さく指をさしてみせると、マサトは妙に納得した顔を見せた。
「知らないのか?最近流行ってるアプリ」
そう言うとスマホを取り出し、『433』と筆記体調で書かれた画面を見せてきた。
「いや、知らないな。えっと、よんひゃくさんじゅう、さん?」
「ちげーよ。『4分33秒』。実際にあるクラシックが元なんだとよ」
「それなら知ってるぞ。曲なのに一切演奏しないってやつだろ?」
「知ってたのか」
「まあな。んで、どういうアプリなんだ?」
ややぶっきらぼうに尋ねると、マサトはアニメに出てくる博士のように指をピンと立てた。
「1日に1回通知が飛んでくるんだ。そしたら、そこから4分33秒間、スマホを手に持ってじっとする」
「じっと?」
「そう。動くのも、声を出すのもアウト」
「なんだそれ」
「って、思うだろ?」
待ってましたと言わんばかりにマサトは笑って見せた。
「実はじっとしている間、周りの音を録音してるんだよ。んで、時間が経ったあとにアプリが録音した音を採点してくれんのさ。点数が高ければ高いほど、ランキング上位にくい込みやすくなる。すると、多くの人に自分の音を聞いてもらいやすくなるんだ。それで――」
「待って。ランキング制度なんてあんのか?」
訳が分からないという感じで尋ねると、マサトはどや顔で指を振った。
「それがあるんだな~。けど、結構入れ替わりが激しくて、面白いんたぜ?」
なんでお前が誇らしそうにしてるんだよ、というツッコミは心の中にとどめておくとして、アプリの中身がなんとなく見えてきた気がした。だが、そこの何が魅力なのかという点までは全く分からなかった。
「小手先のテクニックなんかなくたって、誰でも有名になれるかもしれない。そう聞くとすごいように聞こえないか?」
「うーん。いまいちピンと来ないな」
「それに最近だと、アーティストが録音の一部を曲に使ったりもしたんだってさ」
「それはすごいな」
「だろ?まあそこまでいかなくても、ダチの録音を聞くのも結構面白いんだぜ?」
「ふーん」
熱心に教えてくれたマサトには申し訳ないが、流行の中身を知ってもなお、俺にはあまり刺さらなかった。いまいち面白さがピンと来てない。
まあこれもいつものことだ。流行に疎いとはよく言われるが、単に惹かれるものがないだけ。だから、珍しいものを見るような目で見られても困るというわけだ。
「タケルも始めたら教えてくれよ。フレンドになるからさ」
「そんな時が来ればな」
超遠回しに断りを入れたところで、1日の始まりを告げるチャイムが鳴り響いた。先生が入って話を始めると、あちこち飛び交っていた声の数がだんだん小さくなっていった。
1時間目の授業が始まって気づいたことがある。最近、授業中にトイレに行く人が露骨に増えていたが、おそらく例のアプリから通知が飛んできたんだ。いちど席を外すと5分ぐらい戻ってこないことからも、ほぼ確定だろう。
馬鹿らしい、と吐き捨てるように小さくため息をつきながら、ノートに数式を書き連ねていく。一通り解ききって顔を上げると、ちょうどクラスメイトの一人がそそくさと教室を出て行くところが見えた。扉を閉める間際、ポケットからスマホを取りだし始めていたのを俺は見逃さなかった。
まったく、学生の本分は勉強だっていうのに何をやっているのやら。あんなヘンテコなアプリ、一過性の流行りにすぎないだろう。
もうひとつ、あくび混じりのため息が数式の羅列をそっと撫でていく。数学という催眠術になんとか抗うべく、余計な思考はこれ以上しないことにした。
しかし、流行というものはまったく読めないもので、数週間が経っても『4分33秒』は話題の中心で居続けた。なんならやっていない方がもはや珍しいというレベルで広がっていて、ある種の恐ろしささえ感じる。毎授業、誰かしらが席を外し、満足げな表情で帰ってくるのがもはや日常となりつつあった。
案の定、マサトもこのアプリにどっぷりはまっていて、毎日誰かの録音を俺に聞かせては目を輝かせていた。正直、何が彼をそこまで楽しませているのか分からない。
だからといって、頭ごなしに拒絶しているかと言われれば、実はそうではない。マサトが聞かせてくれた誰かの録音の中にはたしかに良いと思えるものもあった。音を聞くだけでその風景がありありと見えてくるような感覚はどこか奇妙であり、大変心地の良いものだった。
とはいえ、そういった音に巡り会えるのはごく稀な話。大半は粗悪な雑音やありふれた環境音ばかりで、心ひかれる目新しいものなんてそうそうなかった。
そんな気味の悪い日常にまた変化が訪れたのは、アプリの存在を知ってからおよそ2ヶ月後のことだった。
猛暑を振りまく9月の陽気に照らされ、汗もだらだら噴き出るこの季節。暑さに弱い俺は部活中もスポーツドリンクをがぶがぶ飲んでいた。そのせいで、先輩との練習試合中にもよおしてしまったのだ。俺は申し訳なさそうに校舎に入り、古ぼけたトイレへと駆け込んだ。珍しいことに個室が全て埋まっていたが、このときはあまり気にもとめなかった。
一番奥の小便器を陣取り、用を足しながらぼーっとする。外から聞こえてくるかけ声やボールを打ち合う音に耳をすましながら全て出し切り、ズボンの紐を結び始めた。
そのとき、最近腐るほど聞いたBGMが背後から流れ始めた。びっくりして後ろを向くと、それは個室から流れてきたのだと分かった。しかもひとつだけじゃない。埋まっている全ての個室から鳴っていたのだ。
それから少しすると、個室のドアが一斉に開いた。中から出てきた男子たちは満足そうな表情を浮かべながら、手も洗わずに去って行った。あまりにも不気味な光景を見てしまった俺は、しばらくその場から動くことができなかった。
この出来事が脳裏に色濃く残った俺は翌日も、またその翌日も同じ時間に同じトイレへと向かった。案の定、個室は埋まっていて、決まった時間になるとあのBGMが流れ、そして満足そうな表情をした男子たちが個室から出てくる。
このことをマサトに尋ねてみると、昼飯のパンをくわえながら口の端をニヤリと上げた。
「実は最近、午後4時33分に通知が来る人が増えてるんだってさ。でもこの時間って、たいだい部活中だろ?グラウンドで堂々と目を瞑る訳にもいかない」
「なるほど。それでトイレというわけか」
「そういうこと。もしかすると、お前がトイレに行ったのも、アプリの通知が来たからだって先輩に思われてるかもな」
「それは心外だ」
不満げにそう言い放ちながら、弁当の唐揚げを口に放り込む。冷めても旨い肉の味を噛みしめながら、ここ最近のことについて思い出してみた。
いまや学校だけでなく、テレビでもSNSでもすっかり『4分33秒』の話題で持ちきりになっている。休日ですらも誰かしらがその話をしていて、『4分33秒』という単語を耳にしない日なんてない。だからこそ、全く同じ時間に通知が来る人が増えていることも話題に上りやすくなっていた。熱心なユーザーからは「粋な計らい」だと好意的に捉えられていたが、その傾向に懐疑的な視点を向けている人も少なくない。
そうしたゆるいアンチの投稿を見かける度に、世界には俺と似たような考えを持つ人がいるんだ、という安心感を得られる。こんな同志を見つけられるのはネット社会の利点だ。
マサトは相変わらずあのアプリの虜になっているが、いつかわかり合える日が来ると信じてやまないらしい。
彼には申し訳ないが、そんな日が来ないことを願いつつ、最後の唐揚げを口に放り込んだ。
月日はあっという間に流れ、上着がないと肌寒い季節になってきた。季節の変わり目になると、体調不良が続出するのが世の常だ。体温調節がド下手な自覚がある俺は例に漏れず、この3日間はしっかり風邪を引いて寝込んでいた。
布団にくるまっているだけの退屈な時間が過ぎていく間はいまいちSNSを見る気にもなれず、ただ白い天井をボーッと眺めていた。 その時の世間の流れがどうなってるか、俺には預かり知らぬところだった。古典に出てきた「俗世から離れる」というのはきっとこういう感覚なのだろう。
しかし、本日俺は俗世に舞い戻らなければならない。つまり、久々の登校だ。いつもと特段変わらない通学路はほんの少し懐かしく、同時にどこか新鮮にも見える。冬の澄んだ空気のせいかもしれないが、なんとなく違う気がしている。あいにく、俺の語彙力ではうまく説明できそうにもない。
教室の扉を開けると、いつもと変わらない光景が目に飛び込んできた。
そして残念なことに、話題の中心も全く変わっていなかった。そらそろ何かしらの変化が見られる頃合いかと予想していたが、見事に裏切られた形だ。
さすがに風邪の心配はされたが、その後は例のアプリの話で持ちきりになった。未だに手をつけていない俺にできることは、話半分に相づちを打つだけ。
同情するのは気が引けるが、俗世を見放す神や仏がいる理由も分かる気がする。
代り映えのしない光景に少しばかり辟易としながらホームルームを迎える。そしていつもの退屈な授業を受けていると、あっという間に放課後の時間が訪れた。
「今日委員会があるから、遅れて行くわ」
「おっけ。部長にも伝えとく」
そうしてマサトと別れた俺は別棟の図書室を目指していった。
渡り廊下を歩いていると、開け放たれた窓から実にさまざまな音が入り込んでくる。
カラスのよく通る鳴き声。何かを運ぶ台車と地面とが擦れ合う音。
トランペットの音色が空気を震わせ、野球部のかけ声がグラウンドから中庭、そして渡り廊下へと通り抜けていく。
この賑やかな放課後の雑音は案外嫌いじゃなかった。
図書室に後ろから入ると、古本独特の匂いが鼻をツンと刺激する。この匂いもあまり嫌いじゃない。なるべく音を立てないよう忍び足で移動し、歴史物の本が並ぶ本棚の近くに腰を下ろした。
なぜこんなことをするのか、と聞かれれば理由はひとつだ。
先に図書室にいた先輩はいつものように、1人の女子と楽しそうに話をしている。毎度のことながら仲がよろしいことで、と思いつつ、今回も入るタイミングを掴めずにいた。
学校のいち先輩の恋愛模様にはあまり興味ないが、それでも2人だけの空間に割って入るのが気まずいと思えるぐらいのデリカシーは持ち合わせている。
先生が準備室から現れたのを見計らい、机に近づいていく。あたかも今着いた風を装うのが大事だ。2人の時間を盗み聞きしたと疑われれば、先輩と合わせる顔がなくなってしまう。委員会のメンバーが全員集まったところで、委員会が始まった。
本日の委員会では、図書室で行う企画の準備といくつか届いた新刊の運搬が仕事となる。公平なジャンケンの結果、俺が後者の仕事を請け負うことになった。
しかし、宅急便が渋滞に捕まっているらしく、新刊はまだ届いていないらしい。ということで、しばらくは企画の準備に加わっていた。
時刻が30分を回った頃、図書室の電話が鳴り響いた。先生が受話器を手に取り、ひとこと二言話した後に俺に視線を向けた。
「新刊が届いたようだから、よろしくお願いね」
やっと訪れた本来の仕事を全うするべく、俺はさっそく事務室に向かった。
事務室に届けられていた段ボールを受け取ると、ずっしりとした感触が腕に伝わる。本の重さをしっかり感じながら、事務室を後にした。
図書室に戻るまでの道中、カラスの鳴き声がいつもよりも大きく聞こえた。時折、風に揺られた木々がガサガサと音をかき鳴らし、バケツの転がる音が中庭に響く。買い換えたばかりのかたい上履きが廊下に触れる度、軽い足音が閑静な廊下に反響した。教室の扉に手を掛けたそのとき、抱えた本の1冊が廊下にボトンと落っこちた。すると、まるでトンネルのように遠くまで音が何度もこだましながら遠くへと消えていった。
「ん?」
強烈な違和感を抱いた俺は拾い上げようとした手を止めた。放課後の、部活中の学校の廊下で聞こえるような音にはどうも聞こえなかった。辺りを見回すと人らしい姿どころか、その気配すらもつゆとして感じない。まるで時が止まってしまったかのような雰囲気だ。
いくらなんでも静かすぎないか?と訝しみながら、図書室の扉をガラリと開けた。
「っ!?」
一瞬、何も言葉を発せなかった。
数人の生徒と先生が穏やかに目を閉じていた。いずれの手にもスマホが握られており、画面上では無機質な数字が刻々とカウントを減らしていくのみ。
「どうしたんですか?」
先輩の体を強く揺すろうとしたが、まるで石像にでもなってしまったかのようにびくともしなかった。
「ちょっ、起きてください!先生も何して――」
いつもより一層静かな図書室に、一層張り上げた声が響く。しかし、それよりも大きなカラスの鳴き声が再び外から聞こえてきた。窓の外に広がるグラウンドに目を向けると、思わず息をのんだ。
いつものグラウンドに体を動かしたり、隅っこでだべったりしているような人は一人としておらず、みなうつむいたまま微動だにしていなかった。それどころか、学校の外にいる人たちまでも同じように立ち止まって俯いていた。
なんだかこの世の終わりを見たような気分になり、思わずその場で尻もちをついた。口の中の水分がどんどん失われていき、血の気がさーっと引いていくのが分かった。
世界で人間らしく動いているのは自分ひとりだけ。「世界でひとりぼっち」と言えば聞こえはいいが、実際は絶望のひと言に尽きる。こんな状況の中、往年の名曲のように愛だなんだを叫ぶなんてできるわけがない。このままひとりぼっちの時間が一生続いてしまうのか。そう思えてしまうぐらい、時の流れがゆっくりに感じた。
ひとまず、動いている人を探さないと。
そう思い立って立ち上がったそのとき、よく耳にした軽快なメロディが耳に飛び込んできた。すると、先輩たちは命が宿った人形のようにぎこちなく動き始め、すぐにいつもの日常が舞い戻ってきた。
「お、タケルー。もう戻ってきたのか?」
「へ?」
「なんだ。目ん玉丸くしちゃって」
不思議そうな顔で尋ねる先輩たちに先ほどの光景を見せつけてやりたかった。せめて何か言い返そうとしたが、先輩は俺の返答を待たずしてスマホに目を向けてしまった。2桁の数字が表示されているだけの画面を満足そうに眺める先輩たちのことがなんだか不気味に思えて、気づいたらその場から逃げ出していた。
「なんなんだ、あのアプリは」
あのあと、SNSをくまなく調べたものの、この現象について言及している人は誰ひとりとしていなかった。みな何事もなかったかのようにくだらないことを投稿し合っている。前に懐疑的な意見を投稿していたやつらはそろいもそろって音沙汰がない。それが余計恐ろしく思えて、せっかく治った風邪もぶり返してしまいそうだった。
この日は放課後の時が止まったような光景から目を背けるように帰宅し、早々にベッドで横になった。
翌朝になっても、気分はあまり晴れなかった。
昨日の出来事はただの悪い夢。なんならあのアプリ自体、何者かが見せた幻であってほしいと思っていた。
しかし、教室に入った瞬間にその希望はあえなく打ち砕かれた。
「見た見た?昨日の点数!」
「見た!え、めっちゃすごくない!?」
思わず顔をしかめながら席につく。すると、前の方で誰かと話していたマサトがこちらに駆け寄ってきた。
「タケル!昨日どうしたんだよ。無断で部活に来ないなんて」
「そんなことよりも大変なことが起こったんだよ!お前、昨日の部活中、何か変なこと起こらなかったか?」
「変なこと?何言ってんだ」
肩をすくめる友人に昨日の出来事を全て話した。それでもマサトは
「病み上がりで白昼夢でも見てたんじゃないか?」
とまるで信じてくれなかった。
風邪をひいている間になにがあったんだ、と頭を抱えていると、「それよりさ」とマサトがスマホの画面を突き出してきた。
「これタケルのアカウントだろ?」
「え?」
突きつけられた画面を食いいるように見つめる。
たしかに、IDもアイコンも、他のSNSで使っているのと全く同じだった。
「いや、入れた覚えなんてないぞ」
「でも、このIDとアイコンはお前しかいないじゃん。アカウント名までまるっきり同じだし」
慌ててスマホの画面をスライドさせていくと、一番後ろに異質なアイコンが隠れていた。
身に覚えのない、『433』という文字のアイコン。それをおそるおそるタップすると、以前マサトが見せてくれたのと同じ、筆記体調の『433』という文字が画面を支配した。続けて、アカウントのプロフィール画面が目に飛び込んできた。ID、アカウント名、アイコン。どれも別のSNSやソシャゲでよく使っているものばかりだった。極めつけに、登録されている誕生日も全く同じ。
実はなりすましてました、と誰かに言ってもらえれば、どれほど気が楽になることか。
「どうなってんだこれ……」
あまりにも気味が悪すぎてスマホをぶん投げたい衝動に駆られた。
「やってるなら教えてくれりゃ良かったのに」
「で、でも、ほんとに入れた覚えがなくて」
懸命に弁明していると、突然スマホがぶるっと震えた。おそるおそる通知欄を覗くと、あのアプリからの通知だった。
「お、通知来てんじゃん」
「こ、これどうすればいいんだ」
あたふたしている俺のことを見て、不思議そうな顔をしながら、
「どうするも何も、ただアプリ開いて、目を閉じればいいだけだろ?」
と言って勝手にアイコンをポチッと押した。
「なに勝手に押してるんだよ!」
「早く目を閉じて」
感情のない口調で返されて頭が回らないまま、ぎゅっと目を閉じた。心臓の音がバクバク鳴ってとてもうるさい。
しかし、何度か呼吸を繰り返すうちにそれとは違う音が聞こえてくるようになってきた。
風が木々を揺らす音。どこからか聞こえてくる楽しそうな笑い声。チュンチュンとかわいらしい鳴く小鳥のさえずり。
周りから聞こえてくる会話も、一定のリズムを刻む心臓の音と合わさると粋のいいラップのように聞こえてくる。
しばらく浸っていると、昨日も耳にした軽快な音楽が流れ始めた。もう少しだけ聞きたい気持ちを抑えながら、ゆっくり目を開く。すると、マサトの満足そうな表情が見えた。
やっと分かってくれたか。
マサトの顔にはそうデカデカと書かれていた。
驚いたことに、心臓の音も録音の中にしっかりと反映されていた。胸の近くに置いていたせいかもしれないが、皆に聞かれるのかと思うと少しだけ恥ずかしさを覚える。
そして肝心となる点数は——。
「……91点」
ゆっくり読み上げると、周りがしんと静まり返った。その直後、クラス中の人が一斉に俺の元へと集まってきた。
「91!?」
「お前すげえな!」
「どうやったのどうやったの!?」
驚きと賞賛の声があちこちから飛んでくる。
今までの人生で一度足りとなかったモテ期の到来。タジタジしてしまっていたが、内心まんざらでもなかった。たった一度の高得点でこんなにも注目されるのものなのか。
理解はしがたいが、承認欲求の過剰な充足に心も満たされまくっていた。
授業が始まってからも、どこかソワソワしていた。既に次の通知が来ないかと楽しみになってしまっている自分がいる。
どうしてこんなに素晴らしいアプリを早く始めなかったのだろう。
今まで何かと理由をつけては避けていた自分の気が知れない。
それからは、毎日午後4時33分に通知が届くようになった。みんなと同じ時間に、同じ姿勢で周りの音を楽しむ。あの時を超えるほどの感情を揺さぶられるような音には出会えていないが、それでも十分に楽しめている。なにせ毎日が新たな発見の連続だからだ。
全ての音が一期一会であり、一度きりのハーモニーを奏でる。叙情的で、躍動的で、それらが調和する音の世界を求めて、今日も通知を合図に目を閉じる。
人工的な雑音が消え、本来の自然が織りなす静かな音が鼓膜を震わせた。
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ゆっくり流れるスタッフロールを眺めながら、ふたりは静かにため息をついた。
「いや〜、面白かった」
「ね」
「まあ現実には絶対にありえないけど」
「たしかに。第一、4分33秒なんて長すぎる」
「なんで先生はこんな5年以上も前の作品を薦めてきたんだろ?」
「さあな。とりあえず、課題をさっさと終わらせちまおう」
その発言を皮切りに、ふたりは感想レポートの欄に文字を埋めていく。ノートパソコンの軽いタイピング音だけが響く。この音に飽きてきた頃、ポケットからポーンッというハープ音が鳴った。
「あ、通知来た」
「お、まじか」
「早く早く早く」
書きかけのレポートをほっぽり出し、急いでアプリを起動する。内カメになっているのを確認してスマホを高く掲げ、カメラに友人が入るように調整。さらに、顔が崩れないよう画角を微調整する。
あの短編映画みたいに何分も待つ必要はないが、シャッターを切るまでの制限時間は割とシビアなのだ。
「入った?入ったね?じゃあ撮るよ」
そう告げて、パシャリと一枚撮った。それをさっそくアプリ内のコミュニティに上げると、程なくして友達からの反応が続々と返ってきた。
「今回もいい感じだな」
「褒めたって何も出ないぞ」
肩を軽く小突いてから、またスマホに目線を戻す。レポートのことなんか頭からすっかり抜けてしまったふたりは、しばらくみんなの反応や他の人の投稿を楽しんでいた。
4分33秒 杉野みくや @yakumi_maru
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