② 女の子の生活

 時刻はすでに8時50分を過ぎている。教室では朝礼を行っている時間だろうか。


 俺はいまだ、自宅のリビングでテレビを見ながら朝食を食べていた。


 学校へ行く気はある。しかし、朝から衝撃的な出来事に戸惑っていたばかりか、着替えに1時間も費やしたことで遅刻が確定した為、これならどれだけ遅れても変わらないだろうと、お母様に用意していただいた朝食を頂いているのだ。


 こういう時は落ち着くことが大事だ。ピーピーわめいて泣いても解決などしないことを俺は知っている。


 病院へ行ってみることも考えたが、弟と母の反応からして、おかしいと思われるのは俺自身の頭の中だ。俺が男だった物的証拠も歴史的証拠も発見できていないので、おそらく行くとしたら精神科か、そういった類の心の診療をしてくれるところを受診させられるだろう。


 俺はあくまで正常だ。コーンスープを啜ると、体が温まると同時に心がホカホカと落ち着いていく。窓から見える景色も、近年にしてはすっかり珍しくなった春の陽気に包まれている。テレビで流れた星座占いも良い結果が出ていた。


 うん、女の子であること以外は一切これっぽっちも問題が無い。


 俺は意を決し、空いたカップと皿を流しに置いた。


「じゃ、行ってくる」


「気を付けて行くのよ?帰りが遅くなる時は言って今日はハンバーグにするつもりだから出来立てを食べてもらいたいの、あぁもし体調が悪くなったらすぐ先生に言うのよ?早退しても構わないからね」


 俺はニコッと微笑み、大丈夫と言って玄関を開けた。




 全く大丈夫ではなかった。俺は今、駅のトイレに籠城中である。


 そう、まさかの女の子の日が来てしまっているのだ。


 義務教育程度の知識は俺にだってある。ナプキンのCMで頻繁に表現されている青色の液体が、お小水ではなく血であることくらい、丸っとお見通しだ。


 血が出るのはこの際いい。問題は、この体マジでどうなっているのかと神経を疑う腹痛だ。


もし神が人間を創造したという神話が事実であるならば、何としても神の世界に殴り込みに行き、世界の理を書き換える必要性がある。立ち上がれ世の女性たち。


 股から血が流れ出る状態で、活動などできるわけがない。周りの女性方はどうやって平然と毎日学校や会社へ赴いているというのか。強がりか? 休めや。


 俺は一体どうやってトイレから出て学校へ行けばいいのだろう。とりあえず、流れ出るものをなんとかする必要があるが、カバンをいくら弄ってもナプキンらしきものが出てこない。


 仕方がないのでネットの力を乞う。


 「外出先、生理、対応・・・・・・」


 布、トイレットペーパーでの代用に、痛みは鎮痛剤・・・・・・ロキソニンか。


 なるほどな。それでクラスの女子はロキソニンくれとかなんとか言っていたのか。


 トイレ内にナプキンが置いてある場所もあるのか。親切だな、ここは無いのだろうか?


 キョロキョロと、周りを見渡してみる。後ろも前も。


 ない、何もない。トイレットペーパーホルダーがあるだけで、他には何もない。


 ・・・・・・何もない?


 俺はもう一度、とあることを検索してみる。


 サニタリーボックスが無いぞ?


 この駅は数年前に改修され、トイレも最新設備で奇麗になっている。男子トイレも個室内は勝手にカバーが開いてくれる便利トイレに生まれ変わっていた。先ほど駆け込んだ時も、同じようにカバーが開いた。


 近年は女性の声を社会に反映させることは必須となっている。働きやすい社会、生活しやすい世界を目指して、地道に活動を続けている方々がいるのは知っている。


 その結果、トイレも様々な配慮がされているのだろう。さっき調べた通り、生理用品を提供してくれる場所だってある。そうなれば当然、使用済み生理用品だって捨てられる場所があるはずだ。


 もちろん、このトイレが例に漏れて対応していないという可能性はあるが、最新式の公衆トイレでそんなことがあるのだろうか? 無いのであれば、モノを持ち帰るしかなくなる。個室外に一つ、大きい箱が置いてある可能性もあるが・・・・・・。


 こう言っては何だが、同性とて見られてよい物でもないだろう。出来れば個室内で全ての事を済ませたいはず。奇麗な公共トイレで、その気持ちが考慮されないとは思えない。ましてやここは高校が近い駅のトイレだ。私、いや俺と同じ年齢の女子だって利用する。


 対応していないのであれば、これは利用者の声として一言物申す必要がある。女子の情事を理解した俺にはその権利があるはずだ。


 男子は良いなぁ。小便するのも立小便器があるし、個室に入る必要が・・・・・・。


 立小便器が・・・・・・。


 入ったときにあったような?


 依然としてキリキリと痛むお腹が、さらに痛むのを感じた。お腹をさすりながら、扉を睨む。そこには、どこか見覚えのある傷が。


 これは男子トイレにあった傷だ。つい数か月前、寒さからか胃腸を弱めて下痢気味になっていた為、耐えきれずに駅のトイレに駆け込んだ。その時ずっと祈りながら見つめていた扉の傷に酷似している。


 間違いない。見覚えしかない。


 すると、ガタリと入口の扉が開く音がした。


 完全におっさんの咳払いが聞こえる。


 入ってきた人物はコツコツと個室扉のおおよそ正面まで来ると、ジッパーを降ろしてジョロジョロと音を立てはじめた。


 事を済ませると、おっさんは手も洗うそぶりも見せずにスタスタと退室していった。


「まずい」


 間違いなく、ここは男子トイレだ。


 無我夢中で駆け込んだのがよくなかった。この駅は男子トイレが青っぽい表示、女子トイレは赤っぽい表示になっている。当然、意識としてはで男子トイレに駆け込んでいる。そこに何の疑問も抱いていなかった。今の今まで。


 入ったときに人がいたかどうかも定かではないぐらい、緊急だったのだ。


 間違いは誰にでもある。このくらいはご愛敬願いたい。


 さぁ、いよいよ本格的にここから出づらくなってきた。


 とりあえずは、股の血はトイレットペーパーとハンカチで対応する。下着は・・・・・・後でドラックストアへ行こうか。どうせロキソニンとナプキンも必要だ。


 俺が一体何をしたというのだろうか。むしろ何もせず日々を過ごしていただけだというのに、この仕打ちはあまりにもひどい。学校へ行きたいだけなのに。


 今日はこの時間にお腹痛くなるとか血が出るとか、あらかじめ前兆として認知できる機能は備わってないのか、女子には。


 朝、鏡を見ているとき、実はちょっと楽しかった。


 鏡に映る自分はかなり美形な方だった。もちろんアルバムでもそれは確認したし、自撮り写真なんか撮っちゃって、確かめもした。


 好きなアニメでも男子が何かの作用で女子になったりする場面がある。アニメ好きマンガ好きとして、女の子になるというのは一種の憧れを抱かずにはいられない。


 これでもし男の時の顔のまま女子になっていたとしたら、俺は絶対に外出しようとは考えなかっただろう。


 この現象がいつまで続くかはわからないが、寝て起きたら女子になっていたのだし、今すぐに戻ってもおかしくはない。


 であれば、今日一日くらいは楽しんでみても良いじゃないかと思ったのだ。


 本来、男子が女の子になるにはそれ相応の努力が必要だ。


 隠したり盛ったり、体を作り変えたり。ピンキリではあるが、お金も時間もかかる。こんなお手軽に体験できるものではない。


 ・・・・・・生理痛の体験は一切必要なかったが。


 ともかく、ここから脱出しなければならない。そうと決まれば、ここは勢いに任せて駆け出せばいいだけ。何のことは無い。ただ扉を開け、堂々と出て行けばいい。


 服を整え鞄も持ち、俺は立ち上がった。その勢いに任せて目の前の扉を開け放つ。


「!?」


「・・・・・・・・・・・・」


 目の前にいた制服姿の男が、びくりとこちらを振り向く。


 彼はちょうど息子を披露しようとしているところだった。


「失礼しました!」


 俺はそう言い残して飛び出し、改札を通らず電車に乗って帰ることにした。




 結局家に帰り、母に事情を説明。・・・・・・できれば良かったが、そう上手に言葉が出ることは無く、最終的に察していただいて。


「もう仕方のない子ね、今日は寝てなさい」


 いつものマガジントークも無く、ロキソニンとナプキンを受け取って部屋に籠った。


 ナプキンのつけ方で四苦八苦したのは、また別の話にしておく。

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