第30話 意味と未来
洗濯機はドラム式だったり(夏美が服を入れすぎるのでぜんぜん乾いてない)、扇風機は暖房機能もついたダイソンのだったり(夏美がいつもボタンを間違えて熱風を浴びるたびイラッとする)、意外と裕福なここの家計はイミが支えてるらしい。未来のプログラミングも高校生としては素晴らしかったが、デバッグを手伝ったときにコードを精査したところ、いえた義理でもないけど若書きといおうか、はやいだけで、ミスが多く、ウェイトを多用するなど(いわく「なんとなく」らしい。お守り感覚でIOアドレス0xEDにライトするぐらいのウェイトを入れたがる感性的なプログラマは意外とおおい)、カップつきタンクトップを着ているときにうかがえた彼女のわき同様ぬるいといおうか、処理に無駄もみつかった。それと比べたら、いや地元でいっしょにはたらいてた(ダイエットじゃないほうのコーラをでっかいペットボトルごと飲むような)ギークと比べても、イミのプログラミングは、私のしるかぎりいちばん卓越したトンガリすら引き離し、断トツのナンバーワンだった。どこが優れてるかというと、テキストエディタのスクロールバーに目をうたがうぐらい、コード量が圧倒的にすくない。「これで動くの?」と値の参照元もわからない茹ですぎたスパゲッティみたいなぐちゃぐちゃのコードが、私のよりずっと安定して、なんで割込みもつかわずに桁違いどころかミリとマイクロが違うジッタを叩きだせるのか、三項演算子のマンガみたいなられつに舌をまいたし、イミにプログラミングを教わるのは「エラッタがでてる投機命令をcheatしてキャッシュの保護データを盗みよめばそこの処理時間ははんぶんになるよ」とか、わるいことを習うみたいで、マウスを共有する指がふれるたびどきどきした。夏美よりイミと過ごす時間のが長かったんじゃないか、吐き出された大量のエラーログをにらみキーボードにかじりついてると、イミが濃いブラックコーヒーで満たしたマグカップをふたつお盆にのせて持ってきてくれて、机をかこんでながい首をのばすモニタたちを指さしながら議論をかわし、コンパイルが通ったら抱きあってよろこんだ。イミのすこし皺が寄った首すじは太陽に灼かれる草のにおいがした。「夏美は私のことが好きだから、あなたもそうなんだろうね」とくすぐったそうに言う。その声変わりを迎えた少年みたいにハスキーな声色がすきなくせ、ちがうよ、と口をとがらせたりする。イミと夏美はアメリカで出会ったのだという。イミはたしかに、髪はしっとりとくろくて肌はきれいに日焼けしたような小麦色だけれど、瞳は海底のようにあおみがかってるし、日本人にしてはちょっと彫りがふかいなと感じていたところ、エスキモーにルーツがあるアメリカ人ということらしかった。「いまの夏至子とおなじぐらいの歳のころ、ちょうどいまとおなじ夏に、アラスカで夏美と出会ってね」とイミは一枚のタオルケットに包まれているとき、コーヒーをすすりながら、歳月をかんじさせる流暢な日本語で、なつかしそうに語る。夏はそういうことが起こる時期なのかもしれない、と、まさかいきなり自分の名前がほこらしくなったのか、イミと夏美の思い出話に胸をあつくした。とはいえ、夏美にさそわれて日本に来たころは、彼女をすきなのかまだ定かじゃなかったという。すきでもない相手とはるばる日付変更線をこえて移住できるものなのか、いぶかしめば、イミは「復興」とくちにした。彼女の故郷は、ここからベーリング海をはさんだ対岸にあり、放射能汚染の風評被害にくるしんだ漁業の町だったという。大事なことを言うときイミは注意ぶかく選り分けたように英語をまじえる。いわく「hell」みたいな生活ののち、彼女はその意味もわからないような年下の子をなかば暴行して、まだ中学生のうちに子どもを孕んだのだそうだ。「あの日々をやりなおしたくて、私をあんなふうにしたこの町の、原発を、治したいと思った。それが私の復興であり、贖罪だから」というイミの声をきいて、私はベッドのうえで体育ずわりをつくったまま、ひざのあいだに顔をうずめる。「そのとき産んだ子どもはいまどこにいるの?」とたずねると、イミは「abortしたよ」とプログラムの余計なコードをデリートキーで省くようにおしえてくれた。すー、と彼女のちからづよい瞳からおちる、ひとしずくが、朝のひかりをはねかえした。「失ったものを取り返すために残りの人生を無駄にすることがあってはならない」と彼女が自分に言い聞かせるような格言めいた言葉にうなずきもせず、きっと取り返すみたいに産まれてきた未来のことを、私はちゃんと、未来だとおもった。未だ来てない、じゃない。たとえるなら、未た来てね、というような。
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