第29話 声をひろうしごと

 ネコメロは私がいそがしいすきにミニのスリードアの助手席にすべりこみ、夏美とぶらぶらしてたみたいで、おどろく。それ、いちおう私のお母さんだけど。「しごと」と、ままどおるを齧りながらもったいぶって口にする、夏美の「あついお茶ちょうだい」みたいな行いを理解することはできなかったが、とにかくあちこちをめぐって人と会うものらしく、お金をもらえるわけじゃなければ、ボランティアというほど立派でもないし、どっちかというとあそんでるみたい。かつてこの土地には「ロッコク堂」なる復興の拠点があり、そこを運営してたのが私と未来のお父さんだったんだって。お父さんがいまどこでなにしてるのか、リビングにイミと変顔で自撮りした写真は百均の木製フォトフレーム入りでたくさん並ぶくせ、彼の姿はフォトショップの加工で省いたんじゃないかというぐらい見当たらず、教えてくれなかったし、訊けば「十分百円ね」とかマッサージじゃあるまいしふざけながら教えてくれただろうけど、知りたいことは夏美がお父さんを好きだったけど愛してはいなかったような口調からさっした。私が産まれたとき、夏美はハタチかそこらのはずだから、彼女のノリからすれば、やっぱあそびで、計画外の出産だったのかな。女子トイレの汚物入れに陽性の避妊薬が落ちてたり、仲間うちでそういう騒動は夏休み後とか「夏の落とし子」と揶揄されるぐらいあるし、ふつうだったら「責任もとれないくせ中出しすんなよ」「ドラッグストアでアフターピル買う小銭もねえのかよ」と眉をひそめなくもないけど、だとしたら私はここにいないわけで、むしろ感謝をした。というかそうしろとネコメロが、「さいきんこっちはどう?」なんてこぶしの隙間から親指をのぞかせ茶化してきた彼女らしからぬ説教くさい口調でいう。ネコメロはいちいち話してはくれなかったけど、日を追うたびに化粧がうすく、髪の赤みがいろあせるかわり、炎をつかんだ少年みたいにおとなびる変貌っぷりを見ればあからさまなとおり、ほんとうに、たくさんの人と会ったらしい。いっしょのお風呂にのぼせるぐらいながく浸かっているとき、ネコメロは湯にしずめた口からちからない音をたててあぶくを吐きつつそれを「声をひろう」と表現した。かつての被災地は、もはや被災地とは呼べないほどに、こまっており、復興というわかりやすい言葉では、ひろえない。かつてネコメロが「ユートピア」の語源を話してくれたっけ。だから翻訳しなければならないのだ、と、シャンプーをしているとき反響したネコメロの真剣な口調で、彼女がいけすかない帰国子女とも遜色がないぐらい英語が堪能で、アメリカに留学したがってたことを思い出した。なんのために、ということを、考えなかったけど、背中から腰へのインテグラルみたいなラインがきれいだなとか、うれた白桃みたいなおしりがいろっぽい安産型だなとか、鼻のしたを伸ばしぼんやり見惚れてるんじゃなくって、考えるべきだったのかもしれない。友だちだからね。あえていえば、すでに遅く、ネコメロは、ここに住むことを考えはじめてるんだって、くるしそうにマイナスイオンの息をきらすドライヤーで髪をかわかしあっているとき、熱を帯びている彼女の瞳からさっした。そのことを私はどうこういう、どころか、おもう資格はない。いや、資格でいいのか。ただ、「しごと」について考えたし、しょうじき、夏美といっしょにいるからじゃなく、私といないから、うらやましかった。たとえば「死ごと」と字をあててみる。ここにはたくさんのおもうべき死がある。ほんとうに伝えるべきは、かれらの声だったのかもしれない。ネコメロが死にたがりだったことをおもいだした。ネコメロが恋人をつくらなかったことをおもった。ほんとうに禁止していたのはパパだったのか、「どうして」ときくことは、ハラスメントとか、そういうんじゃなしに、人間として、はばかる。思春期の女子校だから、自殺未遂はけっこうあって、私はそういうの、そもそもいまの剃刀なんて安全なのばかりだから、馬鹿サバイバーとか、メメント森鴎外とか、さめた目で見てたけど、ネコメロが工作用のでかいカッターナイフで手首をざっくり切ったときは、さくら色の肉がうかがえるほど他の子よりふかい傷をわらわなかった。私はおもいのほか、ネコメロのことを、人間としてすきなのかもしれない。この町でしったのは、だいたいそういうことで、ネコメロがもしのこるとしたら、さびしいけど、私がどうしたらいいのか、志望校にふざけて東大理三って書いたときよりよっぽど、とわれてる。ふろあがり、湯冷ましにと日本酒の入ったお猪口をたずさえ、ススキとアワダチソウのあわい、この町の夏は緯度のわりに暖流の影響でハワイにたとえられるぐらいむしあついから、夏美に借りた子ども用なのかちんちくりんの浴衣で、砂利道に前後どちらからでも履けるサンダルをひきずりながら、こだかい丘にあがると、あの子の瞳みたいにもえる月をみあげ、ぶさいくにへこんだ杯をかかげた。ひかりがじゅうぶんに溶けた水をさまつな懊悩ごと一気にのみほす。しめった風が浴衣のミニスカートほどみじかくした裾をはだけ、下着をはいていないから、ふとももがふるえるぐらい気持ちいい。こういうふうにぜんぶ、呑めたらいいのに。津波みたいに。想像は、あれ以来うたわれなくなったラブソングぐらい、かなしくて、酔っているはずもないけれど、くろい画用紙のうえに砂粒をまぶしたような星々をながれのはやい雲がかすめていく空のした、火照った耳に手をあて、ラジオで声をひろうみたいに、つながってないほうの未来をかんがえる。ガー、ガー、そっちはやってけそうですか。

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