第28話 知るべきちいさなものたち

 トンガリは家を離れることが多かった。おおげさな口調でいわく「近代社会の課題の前線基地」たるここでは、ソーラーパネルが雑草のちらかる荒地いっぱいにならび、クリーンエネルギーで充電した電動バイクを、免許がなくても(ただし二輪免許・原付免許・免許なしの三段階で出力とか二段階右折といったルールと液晶ナンバープレートの色が変わる)、マイナンバーカードにひもづけたサブスクで、かんたんに使うことができる。トンガリはそのバイクを借りて、あちこちに出かけているらしかった。帰ってくると、憔悴しきりで、ホルムアルデヒドなんちゃら型はどうしたのか、なれない缶ビールの、けっこういいやつを呑み、私がいそがしく働いてる足元に、かまってちゃんみたくごろごろ横たわる。ポコチン蹴ったろか。彼の両親が過ごしたかつての故郷の光景を見たかったが、当時の様子はまるで残っていないにちがいなく、立ち入り禁止が解除された場所すらいまも廃墟が立ちならび、じっさい、両親を問い詰めて、まだ本籍はそこにあった旧居をたずねたが、気がちいさいわりに侵入することも検討していたけれどそれどころか、あまりの様相に写真を撮ることすらためらわれたという。真面目な彼らしく、故郷をかくありさまに変えた要因をしるため、震災の資料館も、原発事故を扱ったものを中心に、予約を入れてまでひととおり訪ねて回ったのだそうだ。「俺になにができるんだろう」と机のしたで借りてきたフェレットみたく頭を抱えもだえるあたり、まさしく外からみるひとの、定型的な反応におもえ(「お前がいうな」と言われればにべもないが)、ベタなあたりはガンジーそっくりだなと、げんなりし、「ちょっとは遊んできたら?」とざつにプリントアウトした観光マップを渡したところ、素直なものでたくさん付箋を生やし、このあたりでいちばん大きいという体験型の水族館に行ったり、水着もないくせハワイをテーマにしたスパリゾートに行ったりしていたが、フラガールのかわいいぬいぐるみを買ってきたと思ったら、それを抱きしめたまま背後でイヤフォンもせずけっこうな音量で映画を観て、めそめそ泣き、鼻をかんだティッシュのしろい花をあちこちに咲かせる。シコんなよ。でれすけ。蒼井優ちゃんの方言えもいけど。いちおう彼氏ではあるので、ほぼ呑み残してある缶ビールをうばい、足をくみ背中をむけてかろやかにキーボードを打ちながらだが、「あんまり考えすぎないほうがいいんじゃない」とは伝えておいた。それは私がここへきて、気づいたことでもあった。たぶん、震災当時より、問題はちいさくなって、そのぶんこまかく、ややこしくなり、できることはそんなにない。でも、無理してあれこれやろうとしないでもいいんじゃないかって。それよりは、ああここの空はうつくしいなあとか、海があおいなあ、風がきもちいいなあ、どこまでもひろがる水稲のうえを流れるくじらみたいな雲のかげに目をほそめ、生きててよかったなあとか、そんなふうに、思うだけでも、ここに来た価値はあるんじゃないの、って、思ったことを伝えた。いってみて、私は思ったより、トンガリのことを彼氏としてすきなのかもしれない。エンターキーをしたたか叩くと、うしろから、トンガリの「ありがとう」というぐずぐずの声がした。それはセックスで果てたあと、耳元でささやくそれに似て、すこし、てれくさかった。それからも、トンガリは、あちこちに出かけていたようだったけれど、まえみたいに、塩のかかったチンゲンサイみたく、うなだれることはなくなった。さんまのポーポー焼きがおいしかったとか、しゃんと片足で立つ鶴をまぢかで目撃したとか、いっぱいスマホにきりとった写真を披露してくれて、チョコボールで銀のエンゼルを当てたときみたいな、私のすきな笑顔で、うん、そんなんでいいんじゃないの。知ることは、おおきいものより、ちいさいもののほうが、だいじで、むずかしいことだと思うよ。

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