第26話 仲なおりは日本酒のあとで
サーバルームは出来のわるいコラージュぐらいぐちゃぐちゃになるし、どっかでショートしたのかブレーカーはソーラーパネルの蓄電池ごと落ちるし、「頭を冷やせ」と夏美にどなられ、しょうもないメロドラマがキスシーンで途切れたからってそこまで怒らなくてもいいのに、入れっぱなしのお風呂の湯があふれて洗面所が水浸しになったのまで私たちのせいなのか、家をおいだされてしまった。あてもなく、未来が歩くうしろをとぼとぼ追いかける。やがて無骨なコンクリートの階段があらわれ、手すりがないのがこわくて、ふらついていると、未来が私の手をにぎってひきあげてくれた。たかい堤防のうえにたつと、このふかい夜を溶かしたようにまっくろい海がぬれていた。未来につづき、砂浜をあるいた。さらさらの砂につく、未来のちいさな足跡をたどれば、あるきやすかった。あ、生き方。とかおもったりした。一転、満ち潮なのだろう、そうとおくなく、波打ちぎわにたどりつき、未来があぐらで座りこみ、目線でうながすから、私もすぐとなりに膝をかかえて座った。こえがでるぐらい、砂はつめたく、やわらかくうけとめてくれた。未来が貝みたいなものをなげた。やがて暗闇のむこうから、ぽちゃん、という音がした。私も貝みたいなものをなげた。今度は音がしなかった。へたくそだと思った。未来はおもい口をひらくふうでもなく、よしなしごとを話すように、邪魔しないで、といった。プログラムをなおしたことを指してるのか、おなじふうに、私がなにかなおすことを推してるのか。この町は、自分のちからで立ち直らないと意味がない。だから、邪魔しないで、と。でも、その意味ってなんだろう。それは私がいつか考えたことのある意味と、おなじ意味なのだろうか。だとしたら私は、あると思うよ。そんなことを話すのは告白して「どこが好きなの」と訊かれたときの答えよりもむずかしかった。だから手をつよくにぎった。そのまま未来にひきずられて、ねころがり、上をみた。あの日、夜空にはよっぽどたくさんの星がまたたいていたという。そう思いつめたような口調で聞かされても、私がわかるのは今だけだから、未来のことはわからない。いっしょに今みているこの星だけを、きれいだねって言いあいたかった。しゃりしゃりと砂をかむ足音がきこえ、上半身をおこすと、みおぼえのある女性が立っていた。ガンジーのパソコンで盗み見た、イミという古風な名前と、外国のひとみたいにしゅっとした鼻梁や、あおみがかったにごりのない瞳をよくおぼえていた。未来の母親だという彼女は、おちついたグレーのパンツスーツで、あげた前髪が凛としていて、たしか夏美とおないどしのはずなのによっぽど大人っぽいというか、妖艶、なんていうつかったこともない言葉が着古しのジェラピケぐらいなじむ。夏美は彼女のことが好きなんじゃないか、と、電流がはしったみたいにそんな気がした。ほんとうは、イミとの子どもがほしかったんじゃないか。だから、父なんていなくてもよかった、あるいは、いない。そう予想すれば、イミをもうひとりのお母さんみたいにかんじ、彼女が私の背中やお尻についた砂をやさしく払ってくれるのがうれしくて、もう片方の手にたずさえたものを見れば、ぎょっとする。「夏美がこれを持っていけだって」。わるびれず、かかげたのは、金箔おしのラベルがていねいに巻かれた日本酒の四合瓶だった。私が呑むのはもっぱらビール、たまのバーならワインかカクテルで、日本酒も呑んだことはあるけど、見た目からしてアルコールそのものというか、薬くさいし、苦手だった。そういうと、「知らないんだよ、本当の日本酒のあじを」と、未来がみかづき形にくちびるをゆがめ、「本当の」にアクセントを置くあたり、いじわるい。私もいじになって、瓶をつかみ、ふたを勢いよくとって(というと格好いいが、じっさいは慣れないふたを取るのは、爪がながいこともあってむずかしかった)、瓶の口をくわえるとぐいぐいのどに流しこんだ。未来が私の手から瓶をうばいとり、私に負けじと彼女も日本酒を瓶ごと呑む。「やっぱり仲なおりするならこれだよね」と、イミがうれしそうに言いのこし、去っていった。この土地名産の日本酒だという。ここいらは日本でも有数のお酒どころとして知られており、なるほど、ワインみたいに呑みやすく、いや、これまで呑んだ安ワインよりよっぽど、香りもコクも、味わいゆたかだ。私ははじめてこの町に、すきなものを見つけた。仲なおりなのかわからないけど、むしろ「あんた吞みすぎ」っていいあいながら、一本の瓶をうばいあうのはしあわせだった。このぐらいで酔うはずもないけど、頭がぼんやりとして、うれしくて、いろんなことを話してしまった。未来も、いろんなことを話してくれた。なにを言ったのか、おぼえてない。でもいい夜なんて、そのぐらいがちょうどいいと思う。やがて瓶がからっぽになり、砂浜にころがすと、月光をあびてぎんいろにあわぶいた波にさらわれていく。「環境破壊」だってふざけ、脱いだ靴下も靴もブラジャーもぜんぶ海にほうりなげて、私たちは抱きあい、くだものみたいな首のにおいに、日本酒のなごりをたしかめあって、世界でひとつだけの場所みたいな砂浜に寝ころがる。素足を波がふれて、くすぐったい。もっと潮がみちるのかもしれない。「このままだと私たち、おぼれちゃうね」とささやけば、心中の甘美な想像に、くすくす笑った。したのかしてないのか、女の子とははじめてで、あてのないデートみたいにいく先が決定的でないから、未来のはだかはいつかの水をとじこめたようにつめたかった。
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