第24話 うつくしい夏

 母娘の感動の対面、なんて広告ばかりおおいYouTubeの観すぎじゃあるまいし、想像してたわけじゃなかったけど、おもってたのとちがった。まず、お母さん、もとい、夏美は、私が来ることをガンジーとテレサに知らされていたらしい(いまも私の誕生日にアマギフ付きのメールが届いたり、やりとりしてることは知ってたし、あたりまえといえばあたりまえか)。「遅い!」となぜか顔をあわせるなりガツンと叱られ、靴下ですべるように手をひきずられるまま、あっというまに廊下のどんづまりに連れていかれると、建付けわるそうな引戸をけとばした向こうは、うすぐらく、ひんやりとして、臓物を散らかしたみたいなケーブルが床にたくさんとぐろを巻き、カラフルな光がそこかしこに点滅している。え、この太いのはLANケーブル? このLEDの色はもしや2.5GBASE-T? SMルームかとおもえば、既視感をおぼえるここは、サーバルームじゃないか! 目をしろくろさせていると、横長のおおきなモニタがカールし、ゲーミングキーボードが七色にともるデスクトップのまえに座らされ(Cherryの銀軸、ピアノ叩いてるみたいに打ちやすい! そして椅子はゲーミングチェア! 初めて座ったけど宙に浮いてるみたい!)、「う」の口になるぐらい両頬を手ではさまれて、「Python書ける?」と真正面からのぞきこまれた。娘の欲目じゃないけど、名は体をあらわすといおうか、夏美は女優みたいにうつくしく、高校生の子がいるとは思えないぐらい若く見えるし、私もそういうお姉さんに弱いから(教師が美人だと、気に入られたくて、すごく勉強がんばっちゃう。それで数学だけやたら成績がいい)、こくん、と、うなずくと、夏美は「良い子」と私の頭をがしがし撫で(不覚にも、うれしかった)、部屋をスキップで出ていったのち、「コーヒーに砂糖は何個?」とコーヒーにいれる砂糖の数を問うような(そのままやないかーい)軽妙な声がとんできた。こたえてもいないのに、やがてミルクたっぷりのぬるいカフェオレが(ただし私は猫舌だし砂糖は入れないので、奇遇にも要求どおりではあった)運ばれてきた。はだしの指先で器用に引戸を閉めると、ビリー・ジーンが聞こえてきそうな足取りで力士のお茶碗みたいにでっかいコップを私の手元に置き、たかく積まれた段ボール箱に座ると、だぶだぶのルームパンツでも分かるほど肉感のある足を組み、おおげさな身ぶりで語りかけてくる。話すとき目をまっすぐに見るから、どきんとしてしまう。いわく、プログラミングの仕事をうけおっているのだが、きゅうなトラブルの連絡がはいり、イミも未来も外出しているから、困っていたのだという。「ガンジーに聞いてるよ。あんた、プログラミングのバイトしてるんでしょ? えいやっでやっちゃってよ。納期はニューデリーの三時だから……だいたい今日の五時まで!」と指をひろげてまくしたてるなり、乱雑な手書きの仕様書がピンクのダブルクリップで留められた束をでかい蝶でもはばたかせるみたいに投げてきた。いやいや、ガンジーとクリケットの試合を観たから知ってるけど、インドとの時差は三時間半だったはずでは。仕様書を埋めるのは筆記体の英語で、表現もくだけた口語というより、ちらかった頭のなかをそのまま文字にしたみたいにブロークン。パイオニア探査機にのせた人類からのメッセージみたいな絵はなんなのか。理解するだけでも小一時間は過ぎてしまいそう。こんなざっくりした依頼、政府がらみのDX案件でもなかったぞ(それにあれは、納期がガバガバなわりに単価がよかったし)。「おか、おばさんは、なんの仕事をしてるんですか?」と、挑発的な口調で、じっとりした目線をうえにあげると、夏美は私に似たアーモンド形のおおきな目をまるくして、「知ることと、伝えることよ」とあたりまえみたいに言い、左手首をひねりミニーマウスの腕時計をみてのけぞるなり「観たいドラマがあるから」と、あわてたように、またドタバタと部屋を出ていってしまった。ぽかーんと、はんぶん開いたままの扉を見ていたところ、トンガリが置き去りにされた仕様書をめくり、「このプログラム、すごっ」とプライドのたかい彼らしくもなく、親指の爪をかんで気色ばんだ。自律走行に関わるプログラムなのだという。自律走行はすでにフィールドで運用されているぐらい、ノウハウの蓄積があるはずだが、「学習量の少なさと、ニューラルネットワークのシンプルさが、シンギュラリティは言いすぎだけど、どの国でもいますぐ特許を取れるレベル」とトンガリは声をうわずらせた。これは未来か、彼女の母だというイミが書いたものなのか。プログラミングには性格があらわれると思う。トンガリは「やばすぎるプログラム」とファミレスのドリンクバーで粘る学生みたいに語彙力のあやしい表現をくりかえし、興奮ぎみに唾をちらしつつテクニカルタームの誉め言葉をならべたてたけれど、嫉妬とかじゃなくて、私にはどこかあやうい、生きいそいでいるようなプログラムに見えた。じっさい、コメント文はぜんぜんなく、変数名はもろ日本語のローマ字表記だし、unsigned short型が0xFFを等号付き不等号でforループを抜ける判定値にしているからバッファオーバーフローするような分かりやすいバグがいくつかあって、仕様書を追うまでもなく修正はでき、コンパイルを通したころ、チャットのポップアップがあらわれた。英語の「そろそろできた?」みたいなメッセージを受け取っている。「Gitに反映されてるから試してみてください」と返そうとすると、背後からネコメロが二人羽織みたいにキーボードを打って、それを英語に訳し、送信してくれた。まっくろい親指をたてたようなスタンプが送られてきて、しばらく待つと、今度は通話のポップアップがちかちかする。ネコメロが緑色の「受信」ボタンをクリックして、いまどきめずらしく有線のヘッドセットをかぶり、そのままrでちゃんと舌をまく流ちょうな英語で話してくれた。むこうの女性のテンションがたかく、「No problem」とヒンディー語訛りで連呼される音漏れでわかったとおり、修正したプログラムは無事動いたらしい。達成感なはずもないけど、ひどく疲れてしまい、ターミナルからsudoでシャットダウンすると、力が抜けるままキーボードのうえにつっぷした。「大丈夫?」とトンガリとネコメロが声をかけてくれたが、「ひとりにして!」と、ふたりと言い争いなんかしたこともないのに、声をあらげてしまう。ひとりになって、思うぞんぶん、泣きたかった。このプログラムを書いたのは私じゃない。そのことが、中学生のころ、「ヤリマン」と噂をたてられて坊ちゃん刈りのかわいい子に「処女じゃないとこわい」とフラれたときよりよっぽど、かなしかった。

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