第15話 西の魔女はかわいそうな処女膜を再生させてくれる

 テレサは、村上春樹のマジックリアリズムが牛丼中盛りより好物なので幻想小説はともかく、女性作家ならいちばん好きなのは江國香織だし(彼女のテーマは恋愛より家族だと捉えてるから、家族ぎらいのテレサ的にどうなの、と疑わしいけど)少女小説の書き手と呼ばれるのは「小馬鹿にされてるみたいで」と青ねぎよりよっぽど選りわけたいらしい。それでたまに挑発的な少年小説だとか、いいとしのOLが主人公の小説を書いたりもしているが、人質を取られて書かされてるんじゃないかというぐらい、絶望的につまらない。彼女とおないどしの、アラフォーあたりを主人公に据えてすら、よくこんな噛みつくしたチューイングガムもよもやという無味乾燥(無知蒙昧といったほうがある意味で正しいのかも)なものが書けるなというぐらい噴飯ものに書けてなく、「もう私小説やめたら」と半笑いながら同情まじりの批評もどきをかませば頬を風船みたいに張ってふてくされていたが、なんのことはない、彼女はいまをもっても、どうしようもなく、膝丈よりながくてふわっとしたワンピースが誰よりも似合う少女なのである。し、彼女の小説にあらわれる無垢な花弁をそっとふれるかのごとく耽美で繊細な表現を追っていると、こっちも少女というか、処女になったかのように、恥ずかしくなる。私のすきな大森靖子が高円寺にいたとき(YouTubeでなんでも観られるけど、生で観たら妊娠しちゃうぐらい、弾き語りはいまでもえぐいよ)よりよっぽど、処女膜を再生させることのできる魔女だ。そんな彼女の魔法にたのみたかった。が、彼女は年のはんぶんは寝て、残りのはんぶんのはんぶんはトリスを呑んで過ごしているため、話しかけるタイミングを計るのは雨の日のスロットの目押しよりかんたんでなく、逸すれば当をえない返答がポク・ポク・ポク・チーンの一休さんよりトンチあらためトンチキでかえってくるだけのお陀仏である。とはいえ夏休みもトンガリの部屋で中古の値段シールがきたなくはがされた島耕作を読んでいれば終わるぐらい長くはないわけで、ガンジーがいつもどおりノーネクタイ(クールビズ? 「貸借」を「ちんたい」と読むようなあいつがそんなん知ってるわけねえだろ)およびエンジニアなくせ昭和の営業ぐらい履きつぶした革靴で遅刻ぎみに出ていった平日、進路の相談をよそおって訊いてみた。トンガリとおなじ大学にいきたいことは話してある。国公立屈指の難関であり、いまの成績ではきびしいこと、人生において大学がすべてではないこと、彼氏と暮らしたいならおなじ町にもっと入りやすい大学があること、私立でもバイトをするなら家賃と学費ぐらいは出せること、などを、小説を書きながらではあるが、なめらかな口調で話してくれた。いい兆候である。彼女の具合がわるいとき、眠剤が効いているとき、などは、さすが幻想小説の女王、空に浮いてるくらげを食べてはどうか、ぐらいの如何ともしがたい返事がかえってくるので、それはそれでおもしろいけど、マインドフレンドのねこちゃんが別人格で、みんなといっしょになりたいのー、と登場したりなどは、いちおう人生のシリアスなシーンだからご勘弁ねがう。「やりたいことが分からないんだよね」と、なやめる女子高生をよそおって親指をぐねぐねさせながら訊いてみた。事実ではあるけれど、そもそも「やりたい相手」ならともかく「やりたいこと」という概念がわからない。「何者かになりたい」というのは究極、「人生の成功」で、つまりお金を稼ぎ、いい男または女と結婚し、じゃがいもぐらい立派な子を育て、家族に見守られながらわらって息をひきとるだけにすぎないのではないか。と思えばshe/herの少子化を大絶賛ですすめている令和生まれらしく冷めてるのかもしれないけど、陳腐で、私は「何者かになる」なんてごめん。夢というのは、足跡のことであり、目のまえに存在するものでない、と高名な詩人も言ってたではないか。でもそう書いたペラ紙をもちタカシマヤ前でポエトリーリーディング(覚えてこいよ、といつも思う)してそうな、「何者にもなりたくない」なんてペコちゃんも食傷ぎみに舌を引っ込めるような甘えたメンヘラはよっぽどごめん。そんな私のフリが分かっているのか、「大学に入ればひととおりのことはできるから、あなたはまずそこを目標にしたらいいんじゃない」と、さすがお嬢様そだち、逸脱してるくせわかったうえで逸脱してる(よっぽどタチがわるい)テレサらしく、教科書どおりのまっとうな返事がかえってきた。「復興についてどう思う?」と訊くと、ちいさなワープロのキーボードを器用に打つテレサの幼女みたいにまるっこい指がエンターキーの手前で止まった。いきなりすぎただろうか。ごくりと唾をのむ。「私が復興に関わりたいって言ったら、どう思う?」。いきおいそのまま尋ねると、テレサは「それは社会の? それとも、きみの?」と、目線を私に向けた。なんて目をするんだろう。まぬけ面のまま石になるかと思った。コンドームが破れてあわてたり、大人あつかいするとき、テレサは私を「あなた」ではなく「きみ」と呼ぶから、背筋がぴんと伸びる。しばらくして、よくできた冗談を言ったあとみたいにテレサは微笑み、ふたたびキーボードに向きなおった。締切をぶっちぎっているのだという。が、彼女は締切になってからいわく「嘘をつくみたいに」書きはじめるので、いつものことだった。問われていると思った。私は果たして「かわいそう」なのだろうか。未来よりも?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る